『海原』No.45(2023/1/1発行)誌面より
佐孝石画句集『青草SEISOU』
圧倒する青春性 安西篤
本書は著者の第一句集である。当年五十一歳。俳人としてはまだ若手ながら、すでに三〇年の俳歴を有し、海程賞も受賞しているから、すでに一家をなす俳人であり、待望の句集といっていい。その上梓を寿いで、故金子兜太師の序文、佐孝の先輩に当たり、今や地域俳壇の重鎮でもある松本勇二、石川青狼の跋文という選り抜きの執筆陣が華を添えている。恵まれた句集というべきだろう。
佐孝自身、ここでおのれの青春を総括したという意味のあとがきを書いている。長い俳歴とはいえ、五十歳代以下のキャリアは、まだ青春といってもおかしくはあるまい。事実その内容は、青狼もいうように青春性に満ちたものだった。兜太師は序文の中で、次の句を挙げていた。
この道は夕焼けに毀されている
…映像としては、道が毀れるくらい激しい夕焼け、それだけなんだ。しかしその激しさだな、それを「毀されている」と書けたというのは、佐孝の若さだ。激しい孤独もあるわけで、これから人生の境目の第二段階に踏み込もうとしている感じがある。
筆者は、佐孝俳句のナイーブな側面から、次のように鑑賞したことがある。
花水木あかるい猜疑心でした
若々しい青年の心理。それも軽い悔いを伴う青春性が感じられる。花水木は樹液が多いため、枝を折ると水が滴り落ちるところから来ているといわれる。多感な年頃の鋭敏な感受性の中に、ふと兆した猜疑心が、一度湧いたらとめどなく広がってゆく。でもそれは決して暗いものではなく、どこまでも明るい。こういう心理感覚は青春ならではのもの。「でした」と過去形で捉えたところに、作者の青春の居場所があったのかも知れない。
二句ともに、青春性を感じさせながら、その時期の終焉の立ち位置からの、どこか哀しみの翳りを引くのが佐孝の青春性であった。佐孝は一句を成そうとする時、かなりの力技でもがき苦しむはずだが、その果ての天与のように、体からほとばしる言葉が授かるのではないか。その力感が、松本のいう「断定」に結びつくのかもしれない。
白梅は空を纏って泣いていた
白梅の梅林は、大方は桜のように大きく広がらず、点在して咲くところに風情がある。まだ寒い時期でもあるので、木々に微妙な表情がある。空は厚い雲が低く垂れこめていて、白梅は布団をかぶって忍び泣きしているようだ。しかしそれは時に、「少年期白梅というか歯軋りというか」のように表情を変えてくるのだ。
ひとりとは気化することよ八十八夜
「八十八夜の別れ霜」といわれるように、この頃を境に季節の移ろいが感じられる。そんな時にひとりでいると、このまま暖気とともに気化してしまうようだ。それはコントロールの利かない不安感とともに、蒸発してしまうような孤独感。
時々佐孝は、意味をオフにして言葉を液状化し、その泥をこねるようにして作ったオブジェに、名づけるような言葉を立ち上げる。だがそこに造型されたものは、日常の中にみられる具象感なのだ。
梅雨の山体毛の溢れと思う
梅雨時の山の、長雨に煙る濛気のような水煙を、山の体毛の溢れと思うという。これは作者自身の体感のように山の質感を捉え、おのれ自身を山に化体して、「体毛の溢れ」を感じてしまうのだ。
密告のように煙雨の鶏頭花
煙雨の中に紛れ込むように、鶏頭花が茫然と咲いている。だがその立ち姿は、密かな擬態で、どうやら密告のような油断のならない緊張感を蔵しているらしい。直感的な表面の意識とは別の、微妙に移り動く意味のエネルギーが、ピンと張った力動性をもたらしている。
また佐孝は、「今」「ここ」というかけがえのない唯一性にこだわる。それは過ぎ行く青春という時間を惜しむかのようでもあった。
吃音の果て流れゆく花筏
晩春の小川を流れゆく花筏にふと気づいて、思わず声をかけて止めようとしたのだろう。不意のこととて、駆け寄ることもかなわず、あわてて吃音になったまま声を挙げたのだ。日常の小さな蹉跌感。
先回りして会いに来ていた曼珠沙華
曼殊沙華に会いたいという一心で、お目当ての場所に来てはみたものの、もう
先回りして曼殊沙華が咲いていた。一瞬「嬉しいな」という初な反応。
そして、その生のおのがあるがままを、自ずからなる詩的パフォーマンスで捉える一連が浮かび上がる。
葉桜という感情で夜を漉く
葉桜は、華やかな宴の後を思わせるような、しっとりとした感情で、夜の静寂を漉いてゆく。清新な情感の漣とともに。
冬木という圧倒的な居留守かな
冬木の疎林を、圧倒的な居留守とは、作者ならではの若々しい不信の抗議。「居留守」を「圧倒的」とまで詠むのは、作者の内面の燃えあればこそといえよう。