《創刊5周年記念》第2回海原全国大会 レポート(一部)

『海原』No.56(2024/3/1発行)誌面より

《創刊5周年記念》第2回海原全国大会 in 秩父
2023年10月28日(土)~10月30日(月)
於 ナチュラルファームシティ農園ホテル・長生館(長瀞町)

 第1回開催以来4年ぶりに第2回海原全国大会が開催された。詳細レポートは『海原』誌面をご参照。
 以下、初日のパネリストによる「合評ディスカッション」の模様など、一部を転載する。


第一次句会・事前投句の高点句
*〔〕内は得点。なお、パネラーは匿名で鑑賞。

糸瓜ゆらり一人暮らしはこの抑揚 宮崎斗士〔18〕
満月のような沈黙師とふたり 小林育子〔14〕
よそゆきの服脱ぐ感じ水蜜桃 北川コト〔13〕
過去語る少しの噓や式部の実 森由美子〔12〕
木や鳥のもの言う国の歌留多取る 武田伸一〔11〕
人間に目玉も原爆忌もふたつ 中村晋〔10〕
芋虫のさみどり滲むような一歩 堀真知子〔10〕
半日はけものの耳で霧をゆく 茂里美絵〔10〕
菊膾兜太目つぶり目ひらき喰う 安西篤〔9〕
銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子〔9〕
白むくげ猫のとなりで生きる母 芹沢愛子〔9〕
ふいに来る涙の訳とか蛍草 中村道子〔9〕
言の葉の根の澄みてゆく草雲雀 川田由美子〔8〕
徘徊のゆくて枯野に行き当たる 北上正枝〔8〕
秋の昼夫の知らざる着火音 小西瞬夏〔8〕
百日草自傷のように書く日記 佐々木宏〔8〕
視力表2行目以降は芒原 小鳥遊彬〔8〕
鳥籠の中の草原地雷原 遠山郁好〔8〕
友情の翳ったところアキアカネ 室田洋子〔8〕
昼月と砂ひびき合う雁渡し 茂里美絵〔8〕
レモン噛む火種少々呑み下し 山下一夫〔8〕

第一次句会の第二部●合評ディスカッション
 4人のパネラー、熱く語りつくす  まとめ 石川まゆみ

 続く第二部。パネリストが登壇し上手から中村晋、小西瞬夏、川田由美子、小野裕三、引続き司会(小松敦)の順。司会より、「俳句」と「海原」について刺激的な議論の場となれば、との挨拶でスタートした。以下、臨場感を重視してお伝えしたい。

■事前投句の高点句を批評する

 司会=まず、高点句のうち、〈糸瓜ゆらり一人暮らしはこの抑揚〉について。
 川田由美子 糸瓜に日常感あり。一人暮らしを描いているところが良いが、「この抑揚」とは何か。揺れることとは少し違う何かがある。「一人暮らしは」で切って読むべきか。
 小西瞬夏 「抑揚」は素晴らしい。取らなかったのは、揺らぎは糸瓜だから当たり前かと。ゆらりでない描写のほうがよいのでは。「一人暮らしの抑揚」で披講されたが、そのほうがいいかと。
 小野裕三 特選にいただいた。この句は三つ要素があり、三つが微妙に重なりあっている。似ている部分もあり、「光の三原色」を重ねると白になるという感じ。「は」「この」で切れていると思うが、微妙に離れて繋がるのが良い。(以下、発言は名字のみ)
 司会=〈よそゆきの服脱ぐ感じ水蜜桃〉は。
 中村晋 つるっと服を脱ぐ感じもわかるが、つきすぎているか。
 川田 「よそゆき」、として、いかにも水蜜桃らしくなってしまった。
 小野 なまめかしすぎる感あり。
 司会=〈ふいに来る涙の訳とか蛍草〉は。
 小西 比喩が上手い。ふいに来る、で出てくるニュアンスがある。「訳とか」の、そこが好きな人と邪魔になる人とがあり、私は「とか」が気になる。
 川田 「訳とか」が説明的になってしまったか。
 司会=取った理由、取らなかった理由を。〈人間に目玉も原爆忌もふたつ〉について。
 小野 身も蓋もない言い方と思うが、その感じが残酷さを示している。特に「目玉」という言い方が惨状を思わせる。それで取った。
 司会=取ってない中村さん。
 中村 知的に操作している感が強い。日本には広島・長崎があるのだが、世界中に凄い数のものがあるし、この二つだけではないだろうと。
 司会=〈芋虫のさみどり滲むような一歩〉は。
 川田 取った。若森さんが言われたが、「滲むような一歩」が人間につながる。一歩進む、その状態が「さみどり」だと思う。
 小野 取ってない。「滲む」とは何が滲むのか、「さみどり」ならいいが。「血の滲む」となると平凡だなあ、と。
 司会=〈銀漢や心をたたむ膝の上〉は。
 中村 「心をたたむ」と言ってしまった瞬間に具体的な映像がぼやけてしまった。
 小西 取った理由だが、「こころ」と言ってしまったら普通はファンタジーに流れるか、言い過ぎてしまう言葉なのに、「たたむ」と言ったがために「こころ」が物そのものに見えてきた。
 司会=次、八点句。〈徘徊のゆくて枯野に行き当たる〉は。取った小野さん。
 小野 枯野への図が想像される。
 司会=取らざる中村さん。
 中村 結構怖い句だ。散文っぽい印象が強い感じなので目につかなかったか。
 司会=〈百日草自傷のように書く日記〉。
 中村 「百日草自傷のように」の音の響きが上手い。
 川田 「自傷のように」が、ちょっと…。百日草は暑い盛りに咲くので、苦行のようにとは思うが。
 司会=〈視力表2行目以降は芒原〉は。
 中村 ユーモアがあるな、芒原か、本当にそうだなと思った。「2行目」の表記が斬新で度胸がある。
 司会=〈鳥籠の中の草原地雷原〉。小野さん、取ってない理由は。
 小野 あまり具体性がなくて、訴えかけてこなかったかな。
 小西 いただいた。鳥籠の中に草原の地雷原、と書くと、自分たちの居る草原に、この鳥籠があるかもしれないというところまで広がってゆく。ただの比喩ではない力強い句。
 司会=〈昼月と砂ひびき合う雁渡し〉。
 中村 良い句。作者が砂の河原に足を踏み入れて、サクッと踏んだ音か。この音が響き合った感覚、吹いてくる風と。乾いた感覚。地球の何かを感じたのかな、砂という生き物感覚、すごい。
 司会=取ってない川田さん。
 川田 「砂」に、大雑把な感じがした。浜辺ならわかるが。
 司会=〈レモン噛む火種少々呑み下し〉は。
 小野 いただいた。レモン、ときて、そのあと少々火種である、と。そのギャップが面白くて不思議な感じ。
 小西 いただいてない。「火種」となったときに、やや手触り感が弱いかな。
 司会=火種、となると抽象的でしょうか。
 川田 「心のわだかまり感、のように思った。
 小野 両方の意味に使われていると思う、それが良かった。

■文語か口語か

 司会=では、「表現」という観点で、文語・口語について意識していることを。俳句誌の八、九割が文語ですが。
 小西 口語を否定はしない。口語俳句もつくるのだが、ある友人から、俳句と短歌だけ文語が残っているのだから何故使わないのか、と言われたことがある。もっと複雑に作りたいとか時間軸をずらしたいとか、不思議なニュアンスを出したい時は文語のほうが。
 中村 初学の頃は、文語・口語を意識していた。海程に入って、現代仮名遣いに切替えて、句集も「現仮名」にした。震災以降、今を書かなきゃと思い、口語をベースにして、今の時代をと思っている。
 司会=〈…涙の訳とか…〉のように、「とか」は。
 川田 私は口語の方が一瞬で水平にバーッと伝播する感じがする。読者が文語表現に追いつかず「や」とか「けり」の表現が飾り程度に読まれて平板な俳句にならないよう、自分が文語で作る時は垂直の意識を大事にする。
 小野 なるほど。旧仮名とか文語って白黒写真に似ているかなと。白黒写真独特の質感を好むようにして、俳句では、旧仮名・文語スタイルを選択する。自分も憧れはあるけど、旧仮名・文語が現代に届く表現かどうか疑問を拭い去れず口語を選択している。

■私がめざす俳句

 司会=自分が詠みたい俳句について。皆さんが目指す句は。
 小西 兜太先生の言葉にある、「暗喩と映像」の俳句。それと「態度」。生き方とか思想とか、私なりの態度が句に入っていれば、何が書かれているかは何でもあり、だと思う。態度とは、生き方そのものであり、全部自分を問われる大きなことだと思う。
 中村 「社会性は態度の問題である」、と関わってくるかな。自分の中で原発事故の経験は拭い去れず、社会性を意識するもののイデオロギー的になると鬱陶しいし、そんな句ばかりで日常とかけ離れたところで作っても、どうかな〜、と思うし。そんな葛藤自体が句になっていくようになるといいかな。それと、日本人だけにわかるような季語の世界だけで自足するのでなく、国境を越えてもわかるような句を作れるようになれば。
 司会=海原には人間を詠んだ句が多く、写生句は少ないと思うが、心象と抒情がトレンドなのか。川田さんはどんな句を目指す?
 川田 兜太先生は「実景を書いた結果、暗喩になればいい、それが写生」と言っているが、私も自分の態度を暗喩として立ち上げるというか、好きな景を描いた結果自分の中の暗喩が作れたらいいな。実景の中に暗喩、そんな句。先生はまた、「平明で深いものを」と言われたが、平明とは、若い時は「分かり易さ」かと考えたが、今は「純度の高いもの」と思う。純度が高ければ心に響くのではないかと。
 小野 英語俳句は両極端で、現在の我々よりはるかに実験的(サイファイ句等)。一方でストイックな向きもあり、比喩を使ってはならぬ、実景のみを書け、と多く言われている。エズラ・パウンドの俳句も実景のみだった。さて、俳句とは? 前衛とは? と最近改めて思う。

■これからの「海原」の方向

 最後に、各パネリストより「これからの海原」について、それぞれの思いを次のように述べた。
 小野 日本の俳句が英国に伝わり実験性を高め実景が重視されている様を見て、改めて俳句とは前衛とはを考え直してみると面白いと思った。川田さんの「実景の中に暗喩」が印象的。
 川田 海原には好きな俳句がたくさん。海原で皆が一つの方向を目指すというのではなく、多様な個々それぞれの創作活動が集まって新しい方向性が見えてくればいいし自分も新たに作っていきたい。
 小西 俳句に詩を求める中で、虚構や概念が前面に出て実感と手触りがおろそかになる懸念あり。そんな中、今日の座談会で色々ヒントを得た。「実景を書きそれが暗喩になっている」は目指していきたいし、これからの「海原」はそうした思いを仲間同士で刺激し合いながら、実作で示しあう場としていきたい。オンライン句会は刺激の場としてありがたい。
 中村 今の時代を意識した作句を変わらずに続け、互いに評価し合える「海原」であってほしい。また、風土を濃厚に感じさせる句を期待する。グローバルな視野と併せローカルをも掬う「海原」に。
 司会からは、このように多様な「海原」の作品や活動をさらに「海原」の外部にも露出していきたいとの意欲を述べて、第一次句会は全て終了した。

全国大会事前投句 特別選者の特選一句抄

【安西篤選】自然かな犀の背中に小鳥二羽 堀之内長一
【小野裕三選】糸瓜ゆらり一人暮らしはこの抑揚 宮崎斗士
【川崎益太郎選】退却の道は干乾び蚯蚓鳴く 川崎千鶴子
【川田由美子選】地震ない過ぎて夕顔を煮るその淡さ 藤野武
【こしのゆみこ選】満月のような沈黙師とふたり 小林育子
【小西瞬夏選】菊膾兜太目つぶり目ひらき喰う 安西篤
【小松敦選】蝸牛に一切合切という雨 小野裕三
【芹沢愛子選】露草やあらくさの中にねむい青 三好三香穂
【十河宣洋選】よそゆきの服脱ぐ感じ水蜜桃 北川コト
【高木一惠選】閑かさにやんまの天降あもる地雷原 柳生正名
【武田伸一選】行き暮れて露の野を一人の人を 北川コト
【遠山郁好選】兜太逝き五年日記のはや果てぬ 野口佐稔
【中村晋選】遺言書や庭にありたけの露草 石川まゆみ
【野﨑憲子選】菊膾兜太目つぶり目ひらき喰う 安西篤
【藤野武選】芒野の無意味かがやく背中かな 佐孝石画
【堀之内長一選】芋虫のさみどり滲むような一歩 堀真知子
【茂里美絵選】銀漢や心をたたむ膝の上 安藤久美子
【柳生正名選】自然かな犀の背中に小鳥二羽 堀之内長一
【若森京子選】落ちこぼれの逆転劇です燕日記 綾田節子

【大会作品】(前掲作者を除く一句抄)

浦曲夏パンツ一丁で自転車で 石川義倫
暑いねという人も居ずさびしんぼ 遠藤秀子
秋思かな清水寺のわたしと私 太田順子
茄子もいで老いのままごと始めましょ 岡田奈々
主ならば平らに眠る青大将 奥山和子
ほんとうのダビデの身体ひやひやと 桂凜火
不動明王の谷へ飛沫や櫨紅葉 神谷邦男
世が世なら我も間引菜だったかも 川崎益太郎
山法師の実を喰う君と仲よくす 河田清峰
野菊そよと今なら言える言葉など 河原珠美
上りくる月より高く梨を剥く こしのゆみこ
震災忌中村哲の眼が欲しい 後藤雅文
九月事変ちびた石鹸泡立てる 小松敦
長き夜や戒名に「凡」加えたき 齊藤しじみ
兜太と語ろうパフェの絶巓さくらんぼ 十河宣洋
文なし芸なし三番草を刈りて寝る 高木一惠
月貧し甲武両神大菩薩 田中信克
黒猫の尻尖りたり晩夏かな 田中怜子
稲の穂やあんたいつまで独身者 董振華
鳩小屋に眠る少年星流る 鳥山由貴子
亡夫つまと相談満月の遺言書 西美惠子
時の扉一斉にひらき赤とんぼ 野﨑憲子
運命とふ雲があります鳥兜 長谷川順子
AIと老いのおしゃべり月の宴 日高玲
両神の空どっと転げて芋の露 藤好良
夕焼や街を見下ろすゴリラの背 前田恵
台風裡むすんでほどくダリの髭 増田暁子
蓼の穂や彳ちつかれたる軍楽隊 水野真由美
面取りはしないでください富士薊 峰尾大介
すすきはら日暮れて潜水艦浮上 望月士郎
鳳仙花こころのマスク外します 横田和子
露草や涙もろくて藍の晩年 若森京子

予告:第3回海原全国大会 in 伊豆
 2024年は、霊峰富士の麓で開催します。伊豆の名所をめぐる吟行も楽しみに。詳細は本誌7・8月合併号に掲載予定です。
日時:2024年10月26日(土)~28日(月)
会場:ホテルサンバレー富士見

 静岡県伊豆の国市古奈185-1
 電話 055-947-3100
 最寄駅 伊豆長岡駅(伊豆箱根鉄道)

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