『海原』No.19(2020/6/1発行)誌面より
◆鈴木康之エッセイ集『故郷恋恋』
多才で多彩なストーリー 服部修一
鈴木康之さんは、いくつかの顔を持つ多才な人物だ、と思って来た。このたびの鈴木さんのエッセイ集『故郷恋恋』を読んでさらにその思いを新たにした。
まず、鈴木さんは「ストーリーテラー」である。読み始めると短いフレーズの歯切れよい展開にぐいぐい引き込まれる。登場する本人もタフな行動派だ。ユーモア精神もある。それもそのはず、鈴木さんはみやざきエッセイストクラブのメンバーであり、毎年刊行されている作品集の常連だ。
三〇編ものエッセイの中には人物が入れ替わり、場面がつぎつぎに展開し、時代が飛ぶものがある。ところがうまいぐあいにテーマから離脱することもなく、なんとなくはじめにもどってきて、現在唯今の自分の思いで締め括られるうまい構成となっている。
二つ目の顔は何か。それは時事評論家、コラムニストの顔である。鈴木さんは、会社役員を途中で退任して帰郷、六年間にわたって、時々刻々変化する政治、経済社会の情勢をコラムに書いた。それを「日本インターネット新聞」に送り、二四八本が掲載された。そのうちの二二○編ほどをまとめた時事評論集『時事コラム・芋幹木刀』を出版している。これらのコラムは結構硬派の小気味良いものだった。今度のエッセイ集にはそういった鋭い視点、特異な切り口のものがあるのかないのか。たしかに地球環境と経済政策をテーマに論じたコラムニスト鈴木康之ならではの
エッセイもいくつかある。しかし全体的には、鈴木さんがこれまでに出会った人々との交流やエピソードをもとに、ソフトタッチで書かれた抒情味溢れる一冊である。
三つ目の顔が、いわゆるかつての企業戦士、会社人間、日本の経済を転がしてきた人の顔だ。自分に厳しく真面目である。このエッセイ集でも仕事人間であったころの思い出が語られる。親会社から経営をまかされて大幅な赤字から立て直した会社を久しぶりに訪問して、今も会社をもり立ててくれているかつて中堅社員に熱きものを感じた話など、往時の仕事の思い出がつづられている。
もう一つ忘れてはならない鈴木さんの顔がある。それは紛れもなく「俳人」の顔である。特に、「さいたま俳句紀行」や「マイウエイ―俳句の道のり―」などでは、亡くなった兄が現代俳句協会の幹事だったこともあって、もともと俳句に関心があったこと、当時の事務局長津根元潮さんとの縁で現代俳句協会に入会したことなど、壮年過ぎて見出した俳句への道が語られている。
俳句編に登場する人物の筆頭はなんと言っても金子兜太だ。日頃から「私淑している」師金子兜太に関する記述が多いのが、このエッセイの最大の特徴といえるかもしれない。金子兜太と初めて出会った時のエピソードをはじめ、大会などで出会った師金子兜太と鈴木康之さんの、短いが味のあるやりとりの場面は圧巻である。