『海原』No.66(2025/3/1発行)誌面より
追悼 岡崎万寿 遺句抄
帰る燕還らぬ義兄はまだルソン
いま辺野古じっと見つめる冬怒涛
片仮名のフクシマなんたる酷暑かな
牛抱きし霧のフクシマいつ帰る
卵立つ卓平らなり多喜二の忌
秋水こんこん老いて情の高ぶるも
生きてやろ枯木の山が好きだから
赤蛙人間も絶滅危惧種かな
「悩むことはない」と声あり曼殊沙華
でこぼこの老兵ここに葱坊主
思いったけ老鶯のソロ我一人
遠く近く昭和の残響多喜二の忌
いのち暖かにぎり飯分け合う人ら
初空に兜太の声あり九条どうした
大統領 禎子の声が聞こえますか
むさしのに赤いポストと妻の木と
秋の蝶よくぞわが家へ下駄はいて
笑窪あり最晩年の良夜かな
一挙秋冷人類かくも争えり
地球はやわが方程式はご破算に
(小松よしはる・抄出)
真摯なる時代の伴走者―岡崎万寿さんを偲ぶ 安西篤
海原同人で「海程多摩」句会の仲間でもある岡崎万寿さんが、二〇二四年十二月二十一日、九十四年の生涯を閉じられた。
万寿さんは、衆議院議員、理論政治誌「前衛」編集長等を歴任された政治社会活動家であるが、一九八七年頃より政治家の余技として俳句をたしなみ始め、一九九六年より古沢太穂に師事、俳誌「道標」同人となり、道標賞、新俳句人連盟賞を受賞。一九九八年頃より金子兜太に学び、二〇〇二年海程同人、これまでに海程例会大賞三回、同特別賞を二回受賞。緻密にして平明達意の文章力をもって、俳句評論書二冊、政治社会評論書六冊を上梓している。その公私にわたる膨大な執筆活動は、知る人ぞ知るものと言わざるを得ない。政治家で俳句を作る人は多いが、「道標」「海程」のような専門俳誌で賞を受ける程の本格派は少ない。まさに政治家の余技レベルを超えていた俳人であった。
しかし、その政治思想を、句会や実作活動の場で声高に主張することはなく、あくまでも己の生き方生きざまや作品素材の中に溶かしこんで、一個の人間像としての表現を目指そうとしていた。生なまなイデオロギーでなく、作品素材の中に息づく人間の生きざまとして捉えていたともいえよう。それは、兜太の言う態度の問題としての社会性に通ずるものでもあった。
筆者自身、万寿さんから政治思想や社会活動についての講釈や実践活動への誘いを受けたことは一度もない。あくまでも一個の俳句表現者としての付き合いに終始したというのが有態のところである。それは師兜太の態度と変わらないと言い切ることも出来よう。
万寿さんの最後の著書は、『転換の時代の俳句力―金子兜太の存在』であるが、もはや残る紙数が許さない。ここでは万寿さんの提示した三つの視点を挙げるにとどめよう。
▼歴史的展望に立つ文化現象の変化
▼その中で最も有効に働く最短定型詩の力
▼この時代をリードする金子兜太の存在感
そこに、新しい衆の詩のリアリズムを追求する真摯な時代の伴走者のまなざしがあった。