追悼 山田哲夫 遺句抄

『海原』No.71(2025/9/1発行)誌面より

追悼 山田哲夫 遺句抄

明日を期す備えの固さ冬木の芽
冬ひと日心澄まねば筆を置く
やり遺すこと今少し梅真白
和紙にある幽かな湿り菜種梅雨
かけがえなきわたしと出会う秋燈下
歩きつつ言葉を紡ぐ花の下
生かされている里山の笑みの中
少年の伸びやかダッシュ風光る
一隅を照らし螢の消えゆけり
沢山のバンザイ沈む土用波
なお先へ一筋の道月冴ゆる
逡巡や落花と共に済んだこと
目高散るむかしみんなとかくれんぼ
蒲公英や地上に絶え間なき戦火
明日は立秋ポケットの鍵束鳴り
大根煮て隠棲に似る妻病めば
干し若布おのれの色を失わず
惜敗の少年が泣く夕焼けて
鳥渡るとかく火種は国境
秋深む土鍋の蓋の穴から湯気

〔中部日本俳句作家会編集/「中部日本年刊句集」より〕
(鵜飼春蕙・抄出)

高校の国語の先生
―山田哲夫先生を偲ぶ 鵜飼春蕙

 山田哲夫先生は高校の国語の先生、そして校長先生でした。私事、自分の不勉強は重々承知していますが、高校時代、古文の文法がサッパリで国語はいつも低空飛行。先生に当てられないよう目を合わせないようにしていました。こんな私が、大先輩を偲ぶ文章を書くことを、どうかお許し下さい。
 山田先生は長く「海程」「海原」の同人であり、地元の「中部日本俳句作家会」(中日句会)の選者でした。選者の当番になると、朝九時半からの「木の句会」に出て、午後の中日句会に選者として出席、丸一日仕事です。木の会も、中日句会も、名古屋城駅の桜華会館であります。田原市からお見えになる山田先生は「田原から渥美線で豊橋に出て、そこから名鉄線で名古屋まで行き、駅からはバスで外堀通りで下車して、徒歩にて桜華会館まで行きました」(田原の樅山伸次氏)。片道二時間です。
 朝の木の会で山田先生にお会いすると、やはり教師としての矜恃を持ち、人徳があり、仁義を守り、約束は必ず守り、発するお言葉もはっきりよく聞こえました。私のような一兵卒にも筆忠実ふでまめで、必ずお返事を下さいました。最近では、三月に合同句集『くにたち』をお送りしたところ、三月三十一日に葉書が届き、「冠省『くにたち』拝受いたしました。ありがとうございます。「海原」とはずいぶん傾向がちがっていますね。故御母堂(加藤初子、海程に所属)の能筆(仮名書道で自詠句を書いた)今も時々思い出されます」と山田先生の直筆で頂きました。宝物です。
 木の会への投句も、六月十二日の消印の速達で十四日に届いたそうです。俳句道も最後まで全うされました。その五句を記します。
  浜撫子みんな忘れに来たものを
  告げられず浜刀豆を抜いている
  突然の告白が良い浜木綿白
  沖に台風弘法芝の茎揺れて
  荒東風に少しふるえて浜薊

 以前に木の句会に私の拙句「花吹雪今在ることを慎みて」を出したら、山田先生が大変ほめて下さり、一生忘れられません。
 令和7年6月17日逝去、享年87。

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