『海原』No.64(2024/12/1発行)誌面より
董振華句集『静涵』
そして世界は 宮崎斗士
ここ数年の俳壇にて大きな反響を呼んだ董振華氏編著の三冊、『語りたい兜太伝えたい兜太―13人の証言』『兜太を語る―海程15人と共に』『語りたい龍太伝えたい龍太―20人の証言』(全てコールサック社刊)。安西篤代表は「全国に散らばる語り手たちに直接インタビューし、貴重な話を巧みに引き出し収集した、編著者の労力は並大抵ではない」と記しておられるが、事実、董氏は長時間をかけて日本中を飛び回り、過酷ともいえる取材ロードをこなしてきた。その熱意と忍耐力、生半可ではない俳句愛にただただ敬服したものだった。
そんな董氏の満を持しての句集『静涵』発行。この「静涵」という言葉は「心を落ち着かせて学問を修め、品性を養う」との意味だという。
金子先生の揮毫による「静涵」の題字、長谷川櫂氏による帯文の「中国の豪胆と日本の繊細。董振華氏の俳句はその幸福な結婚である」の一節にまずは感じ入る。
董氏は現代俳句協会ホームページにて「良い俳句に出会うといつも心が浄化される思いがします。一句一句が世の中を照らす灯りになることを願っています」と記している。この「世の中を照らす灯り」に込められた董氏の切なる祈りをひしひしと感じつつ、句集『静涵』を読ませていただいた。
その初っ端の一ページの二句目、
清らかな刹那さずかる梅開花
がまず強く印象に残った。梅の開花を「清らかな刹那」と捉えるセンスもさることながら、「さずかる」の誠実な端然とした佇まいに董氏のキャラクターが色濃く出ていると思ったのだ。この「さずかる」という姿勢は句集中の、
青き踏む蹠に勿体ない心地
手のひらに春光のほかものはなし
金木犀ひと日素直なこころかな
五十路なる春日春光いまを生く
などにも感じられるところ。
そして董氏の故郷・中国の地理、歴史、風物など様々な要素をモチーフとした作品の数々。
黄河秋聲その漣のその延々
北京冬天人も鳥も声高に
司馬遷の筆に解けゆく幾春光
長城しばし万里にかかる春の虹
春雪の虚空装う紫禁城
秋陽の余暉よ関羽の赤マント
加えて、
春ゆたりひねもす思う詩と遠方
もまた私は望郷の句と解釈した。「詩と遠方」春の駘蕩の中、故郷北京を懐かしく思い出すひととき。
憂国われら杜甫に似て杜甫とならず
杜甫の詩の特徴として、社会や政治の矛盾を積極的に題材として取り上げたリアリズム的な視座ということが挙げられる。ひとりの俳句作家としての、憂国の士としての自らを「杜甫に似て杜甫とならず」とここに再認識する。
また、董氏は2023年6月お母様を亡くされた。遠く離れた母を案ずる気持ち、慈しみの心に溢れた作品群。
母老いてのろりのろりと晩夏なり
スマホには母の溜め息ツクツクシ
百歳を夢見る母の菊まくら
母老いて弥々と豊かに実万両
母逝くや柘榴の花の咲くうちに
万両の実と柘榴の花の鮮烈な赤に生前の母の面影を求める。
游子思う母の屈託柚子の花
「游子」とは中国語で「家を離れて他郷にいる人」の意味とのこと。母の立場となって詠むことにより、より一層の母との強い繋がりが生まれる。柚子の花の芳香が麗しい。
そして故・金子先生への思い――。
斜陽いま秩父皆野の曼殊沙華
兜太墓前告ぐることあり満作の黄
会いに来て蕾の白梅を墓碑に置き
兜太墓碑閑かな高さ静かに秋思
総持寺の高台にある金子先生ご夫妻の墓所。緑と鳥の声に囲まれたまさに「閑かな高さ」。
おほかみの咆哮ののちいくさ無し
金子先生の生涯の平和への訴えの数々を「おほかみの咆哮」と喩え「いくさ無し」への希望を引き継ぐようにこの一句。
その他、董氏の人生観、境涯感が汲み取れる句として、
時計草みるみるうちに齢かさね
萬衆の一人よ仰ぐ今日の月
実柘榴や独りぼっちの遠き日々
空蟬や生きるは死ぬに寄りかかる
名月に寡黙な齢でありけり
天狼に逢うまでわれの彷徨いぬ
青りんご無心に着地また着地
まだ熟し切っていない青りんごだからこその「無心」なのだろう。残酷な運命を悲観することなくひとつずつ大地に落ちていく――。このあたりも董氏ならではの美意識、人生観の表れと思う。
俳句専念この夏の終わりけり
俳諧有情真夏の月にひっかかる
俳魂のすべてを照らす晩夏光
いま書ける言葉を探し新小豆
この「新小豆」の斡旋、中国では古くから赤色には邪気を追い払う力があるとされており、小豆にも強い厄除けの力があると信じられている。また唐代の詩人・王維が「相思」という有名な小豆の詩を生んだことで、小豆は「相思豆」とも呼ばれ相思や愛情の象徴となったという。董氏が新小豆に託した句作への確かなる情熱と方向性。
燕の子濡れた目で見よこの世界
この燕の子のピュアな真摯な眼差しはきっと董氏自身のものなのだ。そして世界はいつまでも董氏の眼前にある――。
董氏の今後の展開、活躍にますます無関心ではいられない。