福富健男句集『新燃岳』
韻律のしたたかさ―健男俳句の魅力 有村王志
今回上梓された第七句集『新燃岳』は平成二十七年から令和二年までの五年間の作品、二百六十一句を収めている。
表題の「新燃岳」は宮崎と鹿児島に跨る山である。福富健男氏とは隣県ということもあって長い間親しくさせていただいた。また、あつ子夫人も、かって田原千暉「大分市・石主宰」に参加して注目を浴びていた。その関係で存じあげており、後年、福富健男氏と結婚されたことを知った。
この作品の鑑賞に対して福富健男俳句(以下「健男俳句」という)を識るうえで読者の理解を深めるために、次の二人の方の「健男俳句」評を引用しておきたい。
一人は『鰐塚山』(海程叢書21)の序文で安西篤氏は次のように述べている。
「(俳句の)整理の仕方を編著書目録等で見ると、まことに整然たるもので、明らかに人生への意志を感じさせるものがある。つまり福富は「自分をマネージできる」人なのであって、それ故にこそ現在の〈成熟〉の姿を実現し得たと言ってもいい」。人間の信頼の醸成でもあろう。
このことについては、平成二十七年に刊行した『俳人山下淳の世界』にその足跡が窺える。時系列で纏めた労作で宮崎県現代俳句の貴重な資料集となる一冊、福富健男氏はその山下淳氏の後継者として海程をはじめ俳人の育成に努めて今日に至っている。
もう一人は、句集の序文の秋尾敏氏(俳誌『軸』主宰)の一節である。
冒頭「平明で作為のない俳句ほどおそろしいものはない。それが単純に見えたとすれば、ただその句を読めていない、というだけの話だからである」。健男俳句を理解するうえで的確な指摘である。
もともと福富健男氏は多作家である。今回の作品数は前回『鰐塚山』の五百七十八句からすると少ない。真意は定かではないが厳選したことは間違いない。
二十句を抽出したが、それについて触れてみたい。その前段として福富健男氏は県の農業改良普及員として各地を転勤したことにより、地域の顔が固有名詞で随所に登場する。
握りと煮付け森にもてなす春神楽
神楽と言えばやはり高千穂の夜神楽が余りにも有名。ところが近年になって沿岸部のもっこりとした森の神社で昼間に春神楽が催されているという。
その地域の声が聴こえる。宮崎米と煮付けでもてなす神楽、その動きすら想像できる。簡明である。
地域といえば、例えば次の一句。
尾鈴山麓生涯牛を飼いし日日よ
前句集『鰐塚山』に収められた句だが、かっての口蹄疫という苦難を乗り越えてきた人々の覚悟をこの句の即断の力で示している。この尾鈴はまた葡萄の産地でも有名。
白樺派へ想いを馳せる釜炒り茶
農業県として、武者小路実篤の「新しき村」が根底にあり釜炒り茶が新鮮。
昭和の家ぽっかぽっかと蕗の薹
オノマトぺに特長があり時には慈愛に満ち満ちて独我の世界を醸成している。
被爆胎児のわれを陽子と呼びし父
記念すべき第七十回現代俳句大会での一席作品。最近の同大会の中では出色の作品と思っている。記念すべき一句である。
海辺の句碑クロツグ椰子が華やぎぬ
平成十七年七月十日、宮崎市青島亜熱帯植物園に兜太の句碑「ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ」が建立された。
また、二十句のほかに特に次の作品群を加えておきたい。
◇傘寿の作品
人世で傘寿を迎えての感慨。例えば還暦や傘寿を記念した同窓会の開催などもその一つ。ひとしおの想いはその場面場面を通して物象、心象様々な形で醸成される。
傘寿とは常山木の花まだら紋
傘寿とは枸杞の実熟れる垣根なり
傘寿とは葦が穂孕む河畔なり
◇妻の作品
ご夫妻での海外旅行も多い。この句集ではマニラ、ミンダナオ島、セブ島などがある。それらの旅の折々の思い出と共に夫人と歩む姿が親しく見えてくる。
妻と来て白せきれいの翔ぶ朝よ
妻と歩む銀杏の実のいろづく森
妻と来て枝垂れる花の紅チョウジュ
最後に、栞「句集に寄せて」の南邦和氏(詩人)、吉村豊氏(『流域』)、高岡修氏(『形象』主宰・鹿児島)および服部修一氏の一文も福富健男氏を識る貴重なもので、本句集はその交歓を加えた渾身の一冊。
福富健男句集『新燃岳』二十句(有村王志・抄出)
握りと煮付け森にもてなす春神楽
尾鈴山麓樫の実こんにゃく山椒味噌がけ
デンドロビウム目線の高さに華やぎぬ
びしびしと楠の実踏んで梅雨の明け
皇帝ダリア倒れ伏すとも年新た
朝日の沼に影を映して黒面箆鷺よ
新木の集落昭和を語る兄が居て
キャベツ畑穫られぬままに黄の結界
昭和の家ぽっかぽっかと蕗の薹
広島忌ケネディ大使は頰かぶり
小さな泉湧き出る里の耕地整理の碑
白樺派へ想いを馳せる釜炒り茶
梅雨明けの空眩しくて柿甘し
ふわっふわっと繁りに茂る飼料稲
海辺の句碑クロツグ椰子が華やぎぬ
被爆胎児のわれを陽子と呼びし父
赤松を抜け来る霧の我が晩年
終章や朝から斑鳩頻りに鳴く
祖母なれば桑の葉を摘む鉤型指
わっと鳴いてすっと引きあげ春蟬よ