水野真由美句集『草の罠』〈草の罠にごろんと寝転ぶ 石川青狼〉

『海原』No.39(2022/6/1発行)誌面より

水野真由美句集『草の罠』
草の罠にごろんと寝転ぶ 石川青狼

 句集『草の罠』は水野真由美の『陸封譚』『八月の橋』に続く第三句集となる。2008年(平成20)8月から2022年(令和4)2月までの13年6ヶ月間に創られた432句である。内容目次はⅠ〜Ⅴのテーマに分かれ、作者の明確な意図による構成となっている。
 まず表紙に次の7句が載る。

  雲少しあふれて鬱金桜かな
  どの道も家路ではなし花杏
  お尻から落ちてくる猫桐の花
  ゆるやかな被曝や毛野は水の國
  夏野へとピアノを運び出す男
  貝も木も硝子も風を留める釦
  失語して少年であり黄落す

 また『草の罠』へのプロローグとなる、畏友で俳誌『鬣TATEGAMI』代表林桂氏による「ことば」。
 ―遊びたりない思いを草の罠に結んで帰ったものだった。この小さないたずらは、あす同じ草の道を遊ぶ友へのメッセージでもあった。水野真由美の俳句のことばも草の罠だろう。転んでくれる未知の読者を待っている。―
 真摯に俳句と向き合う仲間たちと、水野の純な遊び心とがリンクする、信頼に満ちたメッセージなのである。ふと島津亮氏の〈怒らぬから青野でしめる友の首〉の皮膚感覚にも似た温もりを感じる。
 1997年(平成9)発行『海程新鋭集2水野真由美集』の句群の中で「真昼・まひる」の句に注目していた。

  木枯しを父に届けし真昼なり
  夏蝶のひとがたを組む正午まひるかな

 河原枇杷男氏の「自作ノート」の一文―現代人の不幸は、真の夜闇をもたぬところにあるのかも知れない。(中略)病むことのないものは、健康とは何かを理解することは困難である。真の夜闇をもたぬものに、真昼の真の意味を解くことはできないであろう。―の言葉が水野と折り重なっていたのだ。今句集にも通底する「真昼」が、齢を重ねて対象がさらに身近なものとなり、陰に陽に「悼み」「傷み」をより強く内包させてきた。

  井戸の底ひの少年真昼の星を見る
  花冷えをゆくたましひの真昼かな
  真昼間の暗がり死者も綿紡ぐ

 水野は言う。―詩は見えづらいモノやコトを見るためにもあるような気がする。―と。どこまでも深く真っ暗な井戸の底より、天上を見上げる少年ゆえに見ることのできる真昼の星。真昼間の「暗」に綿を紡ぐ生者と死者のたましいが往還する時空。水野の真昼の闇は、これからさらに深く沈潜してゆくのであろう。
 さて、目次Ⅰは「風のしるし」と題し、「しろき人影―フクシマ2017・9・9」よりはじまる。

  草荒れて海に色なき日のありぬ
  路傍の神を川を沈めて草茂る
  海が海を消してゆく日や草の罠

 句集名となる『草の罠』の草草。東日本大震災を目の当たりにして、この世の理不尽を体感した。紺碧の海が荒れ狂い、色を失ったあの日。「海が海を消してゆく日」と対峙し「草の罠」が抱え込む非情と有情の世界観。
 そして水野と時代を共に生きて来た知人や仲間たちの死と立ち合い、悼み、句とエッセイが綴られる。齢を重ねるということの足跡が淡淡と刻印されてゆく。

  軒下で煙草に火をつけ雪の夜
  もうおやすみ船底の種子に月射しぬ
  ジン匂へり川を下ればスポットライト

 掲句は浅川マキの急死を友から聞き、時代がタイムスリップ。「夜が明けたら」「かもめ」「こんな風に過ぎて行くのなら」……。浅川や時代を共にした仲間たちへの思いの丈の幕が上がり、次から次と水野に語り掛け、その声に呼応し、ひとつになり、静かに幕が下りてゆく。
 今句集の大きな特徴は、身近な人たちとの別れを言葉として残す句群。思い出を紐解くように祈るように紡ぐ。
 「お、猫っ、飲んでるか?」と声。

  空つぽのカウボーイハットへ夏の星
  乗り継ぎの雪の駅舎の窓明り
  遠くより振り向く猫や金木犀
  友の背の彎曲を手に緑野なり
  言の葉をそよがせてゆく花野かな

  そして「終点は夜ノ森駅」―兜太逝く

  山茱萸に雲に手をあて逝きしかな
  山茱萸の黄を反戦の水脈とせり
  山影に蜻蛉の大群兜太来る

  あきぐみに陽の匂う風吹き来たる 兜太
  水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る
  山国の橡の木大なり人影だよ

 水野にとって俳句の先生と呼べる師は「金子兜太」ただ一人。師へのオマージュに他ならない。師を慕う弟子たちが蜻蛉の大群となり兜太師を出迎えている。
 あとがきに―生活とはあっけなく変わるものだと改めて思う。平時から戦時へも、こんなふうだったのだろうか。―と。今、ロシアのウクライナへの侵攻が続けられている。戦争という狂気の影の足音。
 最後に、真昼間を夏蝶の影と結界の踏切を軽々と飛翔する水野の新たなる世界。

  踏切を夏蝶の影と渡りゆ

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