『海原』No.17(2020/4/1発行)誌面より
榎本祐子句集『蝶の骨格』
スリリングな詩的世界 藤野武
榎本祐子の俳句は優れて個性的である。金子兜太師も「感性の飛翔力を発揮しての、個性的な作品が心強い」と評価する(「海程」五三五号)。この「個性」とは何なのか。またこの個性が生み出す、榎本句の魅力とは如何なるものなのか。
まず私は「感覚」に着目する。
触診のとき藻刈舟すべり出づ
いきものの素足や月に触れてゆく
なんと繊細で独特で魅力的な感覚。さらに榎本のこの感覚は、強力なバネ(感性の飛翔力)を具えていて、この飛翔力で一挙に「詩」を掴み取るのだ。
雨粒を拾う眠りの染みており
舌出して最上階の春夕焼
これらの句の飛躍や展開は、私達の常識的予測を超え、日常の鋭利で新鮮な「切口」をあらわにする。これが第一の魅力。さらに私は「美意識」に瞠目する。
髪梳けば背に谿裂ける晩秋
風花のどこか骨片人恋えり
ここには既成の「美意識」の明確な排除が見て取れる。古臭きもの、つきなみなるものを遠ざける。あくまで自身の感覚を信じ、自身の感性に依って「詩」を掴む。「谿裂ける」も「骨片」も榎本以外の何ものでもない。屹立する美意識。
さらに一人立つこの美意識は、感覚の直接表現とでも呼ぶべき句をも生む。
花野風一筋乳の流れよな
麦秋の真ん中ひゅっと攫われる
感受したものを言葉にするときに私達は、概ね何らかの知的計らいをし、句を膨らませる。しかし榎本はそれらを極力排し、感受した衝撃を直に俳句に定着させようとする。ここが極めて新しいのだ。
ところで、これらのことを別な角度から見れば、榎本作品の底を流れる時間というものの特徴(魅力)に行き当たる。
蝶横切りわたし横向く無音かな
己が影うっとりとゆく大揚羽
重層する硬直した、ときに黴臭い縦割の時間よりも、今というフラットな一瞬に重心を置く。「今の私の心の時間」。
だから只今の「私」の、心の襞深く分けいり、心理的な世界を繊細に紡ぎ出し、
水草の絡まる髪の朝かな
春立つ日遊んで胸のぬた場かな
ときに、現代の空気感をポップ?に軽々摘まみだし、今の気分を独創する。
鵲やエキセントリックな父の寝室
発熱のぱんと弾ける冬の鳥
榎本祐子の個性は自身の言葉と感性で、独特な俳句世界を現出させる。それはまた俳句の可能性を広げる「新」なる営為でもあった。私たちをざわざわさせる極めてスリリングで魅力的な句集である。