松本勇二句集『風の民』〈いくつもの楕円を重ねて 水野真由美〉


『海原』No.59(2024/6/1発行)誌面より

松本勇二句集『風の民』
いくつもの楕円を重ねて 水野真由美

  亡父来て竜頭確かむ霜夜かな
  瓜坊は闇を食むことから始む
  坂道の好きな狐と薬売り
  薄暗き膝の林立開戦日
  帰る燕あつめて簡易郵便局

 「竜頭」が「亡父」に身体性をもたらす。寄り添う視線の「始む」は「闇」をあたためて生命を育む空間を作る。「坂道」という境界にもう一つの世界が生まれる。「林立」が「膝」に不気味な質感をもたらす。「あつめて」が日々の暮らしに非日常の空間を呼び込む。
 句集『風の民』は人を含めた生き物、風土、民俗、社会が織りなす世界といえるだろう。制作期間の長い句集だ。第一句集『直瀬』(北溟社二〇〇二年)に続く二〇〇二年〜二〇二三年の作品を編年体で五章に収める。

  ◇

 前句集からの年月は大切な人を失う時間でもあった。

  よく酔えば虫の闇より父帰る
  母は黙って時雨について行きました

 『直瀬』で「男子三人藁打つように育ててくれし」と謝した父母を亡くしている。「鮨喰わせ山見せて父淋しかろ」の父は自らの不在を息子に確かめさせるように「夜」「闇」から姿を現す。
 「豪快に母が蒲団と俺を干す」と腕っ節と気っぷの良さがカッコよかった「母」は「時雨について」行ってしまう。「行きました」の改まった口調は、すでに見送るしかない事態を自分に納得させるための時間を作り出す。
 だが見送るだけの年月ではなかった。

  鉄棒にシャツを残したままの兄

 異界でひそやかに「今朝の兄野鯉の影に潜みおり」と存在していた亡兄は日常において不在を明らかにする。「鉄棒」「シャツ」の具体は「残したまま」の少年の姿を浮かび上がらせる。
 それを受け止め得る年月を松本が生きたというべきだろう。
 長兄を失った次兄は「弟よ東京は走るように歩け」と長兄の分まで兄たらんとしていたのかもしれない。その呼びかけ方も変化した。

  青北風の頃か弟帰りたいか
  帰るかい日光黄菅の斜面まで

 「歩け」から「帰りたいか」となり、それゆえ「帰るかい」もまた弟への言葉のように思えてくる。だが初秋の晴れた日の強風も「日光黄菅の斜面」も安穏な日常とは異質な気がする。兄弟が帰れる場所として第一句集の書名となった「直瀬」が思い浮かぶ。
 その「あとがき」に松本は〈「直瀬」は私が生まれ育った愛媛県の山間の集落名〉〈俳句を書くとき自己の想念はこの産土の地の自然や過去の時間へ飛んで行き、そして何か言葉を拾って帰ってくる〉と記している。松本にとって原郷といえる〈空間〉だろう。
 そこには、かつての家族だけではなく河童も狐もいる。

  子河童に魚籠を覗かれ秋黴雨
  梅雨の闇河童であれば手を挙げよ
  河童の子ひよひよと鳴く梅雨入りかな

 『直瀬』では「河童絶えし村よりキャベツ蹴り上げる」と姿を消し、その後「捨苗をまたいで通る河童かな」「草笛に集まる淵の河童かな」「泣き虫の河童がおりぬ出水川」のように現れてきた。弟分のような「河童」だが、その頃よりも幼くなったように見える。
 一方、「狐」は頼もしくなり、松本との距離感も近くなった。

  運転を狐に替わる花野駅
  枯野まで楽器を運ぶ狐かな
  ギター弾きになりたかったと言う狐
  坂道の好きな狐と薬売り

 「狐」の強さは「半島を捨てた狐の泳ぐかな」に、その片鱗が表れていたが運転をするようになり、音楽にも関わっているらしい。「坂道の好きな」という渋さもある。河童のような弟分ではなく五分と五分の連れといえる。松本は、この「狐」とじかに触れ合ってきたのだろう。

  遠泳の色無きところまで行けり

 そこには孤独感もあった気がする。一人を生きる時間の深さが他者との関わりの深さになる。

  身籠れば指よく撓うゆすらうめ
  ペンペン草振って校歌を二番から
  アッパーの打ち際に見た鰯雲

 「よく撓う」が「ゆすらうめ」の明るい朱色、質量へと転化し「身籠れば」の生命力への円環を成す。「振って」は「ペンペン草」の種を剥く時間を含んで「二番から」の気ままさに清潔な孤独感をもたらす。「アッパーの打ち際」を書いた俳句は少ないはずだがリングではない。「鰯雲」に土と草が匂う。

  ◇

 かつて「戦争があっても行かぬ髪洗う」(『直瀬』)と書いた松本には戦争を身近に感じさせた二人の師がいる。原爆と戦地の体験を手放さなかった相原左義長と金子兜太だ。

  薄暗き膝の林立開戦日
  軍隊は膝に悪かろ遠霞
  霜の夜を兜太の残党として潜む

 この国は兜太が危ぶんだように軍事費をさらに膨らませ、兵器の輸出まで認めてしまった。俳句ではルールで詩を歪めることを厭わない流れが強くなった。

  若き日のダッフルコート日和るなよ

 そうだな。制服や軍服ではなく少し厚手のカジュアルなコートで行こう。

  夕暮れは風の民来る真葛原

 〈原郷〉と〈いまここ〉、日常と非日常、現実と非現実、いくつもの楕円の端が重なり合う松本の世界に「風の民」が新たに現れた。自在に移動する不穏さと清潔な孤独感をもつ彼らと共に松本はどこへ行くのか。―第三句集へと走れ!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です