『海原』No.34(2021/12/1発行)誌面より
山田哲夫句集『茲今帖』
風土・海への親しみ 横地かをる
本句集の帯表紙には、闘病中の山田氏を初めて訪れた金子兜太先生の第一印象が記されている。
「どちらかと言えば寡黙。意志の強い人だな、と直ぐ思った。病気など食ってしまって、噛みしめて、俳句という表現行為にベストを尽くそうとしていた……あれから幾年経つか。相変わらずじっくりと作っている。」〈「海程」年間賞感想より〉
名古屋句会などでお会いする山田氏は渥美半島の風土に培われ恵まれた体形をもち、温和ななかにも内に秘めた俳句へのつよい信念をお持ちである。
第一句集『風紋』から二十年後に編んだのが、今回の第二句集『茲今帖』である。六九三句が収められていて、作品は年代順ではなくテーマ毎に八つの章からなり、名称には山田氏の独創性が発揮されている。
凪を読むずうっと沖を見てきた眼で
生まれ育った渥美半島を離れることなく過ごして来た生活者としての海への眼差しと親しみ。強いて言えば意識の奥にある風土への志向。表現者として今回の句集の要となっていると言えよう。
生国にどっぷりと老い草虱
一耕人他には里の山三つ
花菜摘む杜国に出会いそうな昼
生まれ育った地は魂の故郷、故郷にどっぷり身を置いている作者、季語に草虱を配したことにより、満ち足りた日常生活がにわかにユーモアを帯びて立ち上ってくる。渥美は一年を通して農業が盛んな地であり広々とした畑に一人の耕作者を置き、近くの里山を際立たせる。普遍化された人の営みと誠実さがひかる。花菜摘むという穏やかな行為の中、時代を超え芭蕉の若い愛弟子杜国(三十代で保美に没)を登場させ淡い期待をえがく。目の前にひろがる花菜の黄と近くに見えているであろう青い海とのコントラストの美しさが想像されてくる。
軽い言葉に溺れるおそれ月見草
青嶺仰ぐ少しこころの乾くとき
秋深く言葉黄ばんでゆくばかり
籐椅子のきしみに骨の音一つ
白い皿ひとつ置かれて無月
人は誰も心に弱い部分がある。軽い言葉に溺れる弱さ、こころが乾くときなどときに自省もしながら人の心の奥底を見つめる作者。そして言葉が黄ばんでゆくばかりとため息をつく。この作品たちからは、飾らない誠実さがみえてくる。聴覚を通して骨の音を聴く生の肉体の確かさを感覚的に捉え、自身の存在を確かめている。テーブルに置かれた白い皿、真実こそが美であるかのように絵画的で感性がゆたか。
父のような冬日が射しているここは
嫁姑老いてどちらも茄子が好き
妻白きもの干す頭上秋の雲
母がいてくれたよこんなに枯れるまで
冬日に父の温もりを実感する。年老い穏やかになられた父の存在感。母をみ
つめる山田氏の限りない愛と慈しみ。読者に共感をもって受け入れられよう。嫁姑の好物も同じという居心地の良さに心が和む。白きものを干す妻の柔らかな動きにかけがえのない日常のすがたと誠実さが伝わる。
凍雲や関東平野の一つの訃
急な別離思えば白し幣辛夷
野を渡る麦秋の風となり逝くや
凍雲の作品は金子兜太先生の、急な離別は森下草城子先生の、野を渡るは山口伸氏への追悼句として収められている。いずれの作品にも深い悲しみが内蔵されている。
見えぬとは恐ろし梅にはある微香
水撒いている戦争を消すために
十二月八日の空をゆく鴉
八月やどこの寺にも兵の墓
一句目は福島原発事故の見えぬことへの恐ろしさ、以下三句は、幼い頃の戦争の記憶を通して深い実感と余情が息衝いている。戦争を消すために水を撒く行為、戦争を暗示するかのような鴉の飛ぶすがた、どこの寺にも兵士の墓が並ぶ現実。戦争への批判的精神が脈々と続く。
身の内の狐を放つ芒原
君らしくわたくしらしく梨と柿
狐はずるいものの象徴とされているが誰もが内蔵する心の動き、芒原を背景に解放するその心、君らしくわたくしらしくそれぞれの個性を肯定する現代の生き方など魅力に溢れる。
和紙にある幽かな湿り菜種梅雨
山田氏は平成十一年春、高等学校の校長を定年退職した。平成二十年から古文書翻刻に従事し、今も週二日仕事を続けている。この句は和紙を触れたときの皮膚感覚を通しての抒情詩。
野に遊び思いを異にして戻る
逃げ水やみんな途中の巡り会い
鵯が来ている朝の透明感
えのころや光ることばに会いにゆく
一月のやさしさ天龍の川下は
この誌面だけでは収まりきれないほどの秀句の数々。山田氏の感覚、感性が存分に溢れ出た句集と言えよう。