『海原』No.42(2022/10/1発行)誌面より
前川弘明句集『蜂の歌』 一句鑑賞
◇美しい結晶 鳥山由貴子
飛込みのみんな十字架のかたち
二〇一九年現代俳句協会全国大会。佳作入選作の中に〈飛込みの少年みな十字架のかたち〉があった。一読、私は「好き!」と声に出していた。
真夏の岩頭に立つ少年たち。みな十字架のかたちに腕をひろげ、眩ゆい光をまといながら、つぎつぎに水に飛込んでゆく。幻想的で神々しく、このうえなく美しい映像。その軌跡は分解写真のような残像となり、私の心に焼きつく。それは前川さんの句だった。
今回原稿依頼のお話を頂いた時、すぐにその句を思った。しかしその句は句集『蜂の歌』の中に、少しかたちを変えて収められていた。私は立ち止まってしまった。
改めて『海原』に掲載された前川さんの句のいくつかを句集の中に探してみたのだが、その後推敲された句が少なくないことが分かった。そこで私は、これは自身の句と真摯に向き合い、詩としてのさらなる高みを目差すつよい思いなのだ、と結論づけた。
その精神。繊細で鋭い感性。長崎の風土、哀しみ…。
美しい結晶のような詩がつづく。
◇感性の充実 松本勇二
句を詠むは深山の霧を吸うごとし
一句成す行為は難産であればあるほど充実感があり、あとに快感が残る。前川さんはそれを「深山の霧を吸う」ようだと書いている。澄んだ空気のなかで発生した霧を肺いっぱいに吸い込む行為は快感を超え、心身の浄化に至っている。句を成す時の心構えの崇高さに感服する。そして、俳句というものへの信頼と愛情の濃さにも凄味を感じる。「せめてぼくの生きざまの羽音ぐらいは感じてもらえる句集でありたい」と今句集のあとがきに書く前川さんだが、掲出句で十分過ぎるほど「羽音」を感じさせていただいた。『蜂の歌』は外界描写と内面描写がハーフハーフといった構成だ。掲出句は内面描写の雄と思われる一句である。外界描写でのそれは「検温照射さくら吹雪のようにくる」であろう。コロナ禍における外界に素早く反応してさすがだ。検温用サーモガンを額に向けられたときに、とっさに「さくら吹雪」に思いが及ぶ感性の充実を称えたい。「青き踏む被爆児童として生きて」は、被爆した十歳からの来し方を振り返る前川さんの安堵感漂う一句で、今句集の根幹を成している。
私は、長崎市に住んでいて、新聞で前川さんの俳句を読んでいます。長崎新聞の選者を30年位されているようです。私は、10年位俳句をやめてましたし、新聞の活字は目が痛くなるので、現在も紙の新聞は読んでいませんが、原爆忌俳句を昨年お手伝いしてより、新聞も、海原の方々のは見るようにしています。つい最近の俳句も、ひどいものでした。今、この句集の記事を見て驚いています。こんなに素晴らしい俳句を作られてるのに、長崎新聞にはひどい俳句を載せられるのでしょうか?不思議です。
元 海程 同人 小川 佑華
現在、長崎新聞に載っている前川さんの俳句は、この句集の俳句とは全く違い驚いています。