『海原』No.64(2024/12/1発行)誌面より
マブソン青眼句集『縄文大河』
無垢句爆誕 野﨑憲子
マブソン青眼句集『縄文大河』が届いた。尾骶骨にズンと響くこの野太いタイトルに、始原から滔滔と流れ来る幻の大河を諸手に抱く思いがした。ページを開くと、文字面の圧倒的なゴツゴツ感に一瞬たじろいだが、捲るほどに、いのちの鼓動が響き渡る。
この句集は、『遥かなるマルキーズ諸島』『妖精女王マブの洞窟』に続くマブソン青眼さんの三部作の完結の書として前作から丸一年経った本年の夏至の日に上梓された。その速さと猛烈な気合が、巻頭巻末の右巻左巻螺旋の図にも漲る。
句集は〈天〉〈地〉〈人〉の三部構成からなり、あとがきに拠れば、青眼さんは、昨年の寒晴れの正午頃、北信濃の千曲川と犀川の合流地点近くの、広く涸れている洲に、仰向けに寝転んで一つしかない白雲を見上げていると、その雲から大鷺が降りて来て
白雲より大鷺舞い降りて無音
の句を得たという。”凄まじい歓びだった”とある。そして「無垢句」という言葉が自然に口から出て来たという。無垢句とは、下句を三音に凝縮した句である。青眼さんは、この句も含めた前作『妖精女王マブの洞窟』で、本年度の栄えある現代俳句協会賞を受賞した。
では、無垢句犇めく『縄文大河』の世界へ。先ず、冒頭の一句
目瞑ればお天道様の髑髏
お天道様と言えば日輪。目を瞑れば、日輪の髑髏が見えるという。日輪を肉体として捉える仰天の発想。のっけから、目が釘付けになった。
豆名月仮面の女神に陰部
耳飾のらせん 先史の銀河
ナウマン象が空を流るる野分
十三夜に舞うエロチックな仮面の女神。〈耳飾のらせん〉と〈先史の銀河〉の間の一字余白の深淵なる静けさ。お次は、台風が連れてくる野分雲のナウマン象。透明感のあるエロス、時空を超えたダイナミックな展開の心地よさは、どうだ。
水煙が火焔と解けて千曲川
前書に、千曲川は南北”フォッサマグナ縄文文化圏”を渡り、水煙土器発祥の八ヶ岳周辺から火焔土器発祥の日本海周辺まで走る「縄文大河」なり、とある。縄文時代を代表する二大土器発祥の地を股に掛けて流れる千曲川は、まさに縄文大河。水と火の交わりが美しい。
そして「ちうまの讃」と題した一連の作品の中から。
どの石も石偶であり千曲川
秋分の日 千曲川と結婚しました
霧を着た千曲川囁く「Je t’aime」
縄文を生みたる一河霧中
雪霏々と師の秩父より千曲川
千曲川は、青眼さんの住む信州の方言で「ちうま」とも呼び、アイヌ語族の語源では「千曲」は、鮭のいる処とする。
一句目は、千曲川岸の石という石が石偶であるという、石たちは斉唱しているように感じた。二句目、三句目は、愛の讃歌。師の伯母上が漆にかぶれないように幼い師を漆の樹と結婚させた話を思った。無垢句の並ぶ中〝結婚しました〞の破調は無垢句を一層映発させる。句の形に多様性を持たせるのも、これからの課題かと思った。「Je t’aime」と囁く霧中の川の女神、次句へと続く幻想的な霧の世界に魅了された。五句目の前書きに、「雪晴れに一切が沈黙す金子兜太」とある。この句集の最後にも師へのお礼の言葉と共に、登場する句である。〈雪霏々と〉に哀悼と敬愛の万感の思いが籠っている。
列石のどれも大蛇の笑顔
蛇は穴に 文字無き民の平和
居並ぶ縄文時代の列石が全て大蛇の笑 顔とは!蛇は縄文のカミである。底抜けに愉快な把握だ。二句目は、文字が生れてから戦が起こったという、霊長類学者山極寿一さんの言葉を思った。安らかに冬眠できる蛇の幸せ。
万の春瞬きもせず土偶
前書に、『常陸国風土記』出典とある。〈昔、山の佐伯、野の佐伯といふ国巣がゐた……〉と続く文章は、国巣や土蜘蛛を原日本人と思い、佐伯眞魚(空海)を縄文人と信じている私に、何よりの熱いメッセージだった。”瞬きもせず”万年を見つめ続ける土偶。ここに絶対肯定の世界観あり。この句集中の白眉の一句だ。
土偶を見る妻を見ている月夜
妻の枕 月のかけらのかおり
美しい妻恋の二句である。マルキーズ諸島へ旅立った青眼さんを信じて待っていた奥様は、まさに千曲川そのものなのだ。定住漂泊には、根っこがいる。それが、千曲川であり奥様であるのだ。
柿落ちて縄文ひそと消えた
一万年ヒト居し岩や松鞠
石組炉 地球ひとつのかたち
〈柿落ちて〉がいい。歴史はひそと消えるもの。でも、柿は毎年生っては落ちるから、縄文の火も、どこかで燃え続けていると信じたい。二句目は人類が居なくなった後の景ともとれる。松鞠の濃き存在感。三句目は巻尾の句。縄文の住居跡の石組炉が、かたちとして今に残る。青い地球のものがたりである。
「門弟の中に底をぬくものなし。」とは芭蕉の言であるが、無垢句の出現は、現在の俳句界への強烈な風穴となったと私は思う。大切なものを削るからこそ、新しい風が吹いて来る。他界の兜太師もそうお思いなのではないだろうか。
世界最短定型詩である俳句でしか表現できない平和への鍵となる愛語があると強く感じている。
青眼さんの無垢句出現により、「俳諧自由」の「海原」から、俳句新時代の扉が今ひらき始めた感しきりである。
マブソン青眼さん、ありがとう。
ご紹介ありがとうございます。素晴らしい句集へ、句集評を書かせていただき嬉しかったです。多くのことを学ばせていただきました。兜太先生も、他界で、マブソン青眼さんを誇らしく思っていらっしゃると存じます。 野﨑憲子拝