マブソン青眼句集『マルキーズ諸島百景』『遥かなるマルキーズ諸島』〈無季の楽園にて 柳生正名〉

『海原』No.28(2021/5/1発行)誌面より

マブソン青眼句集『マルキーズ諸島百景』『遥かなるマルキーズ諸島』

無季の楽園にて 柳生正名

 ここに2冊の句集がある。ともにマブソン青眼が2019年7月から1年間、南太平洋ポリネシアの仏領マルキーズ諸島ヒバオア島に滞在した成果を収めてある。
 うち『マルキーズ諸島百景』の序文は19年9月13日付。記された151句はわずか2か月ほどのうちに生み出されたということになるだろうか。かつて画家ゴーギャンが棲み、死に至るまで作品をものした地である。そこには表現に手を染める者のモチベーションを刺激してやまない何かが存在するに違いない。

  一句詠めば嘘のように雨上がりけり
  コケコッコーが赤・黄に響くゴーギャン旧居

 例えば、南洋特有の雨上がり、陽光に浮かび上がる色彩の氾濫が120年もの時間を挟んで、画家と俳人の心を同じように揺さぶる。そういうことが当たり前のように起こる土地なのだ。
 全作は日本語に加えマルキーズ語、フランス語の3か国語トリリンガルで記される。

  仏軍基地軍歌の伴奏に草刈機
  Papua kape/ No te hakako i te himenetoua/ Te himene o te maihini vaveeteita
  Base militaire/ Pour basse aux chants de guerre/Le chant des tondeuses

 ローマ字読みで音の連なりをたどるしかない島言葉だが、その母音の多さに日本語に通じる響きを感じる。一方、気候風土は日本と全く異なるようだ。

  雨・晴れ・雨・晴れ・雨・晴れや貴婦人島マルキーズ
  日の出五時日没も五時永遠とわの島
  「冬の旅」聴く冬も夏もなき孤島

 もし有季以外は俳句と認めない偏狭な俳句観の持ち主にとって、この四季はおろか雨季乾季の別もない、詩人ジャック・ブレル曰く「時が止まる」島で1年を過ごすことは論外のはずだ。

  ポリネシアに赤トンボあり原爆忌

 ここに形式的な季語は存在するが、「季節」感はないのだ。では、俳句として無意味なのだろうか。実はマルキーズ諸島から太平洋を真南に下ったムルロア環礁は20世紀後半、宗主国フランスの核実験場とされてきた。それを思い起こすと

  巨大な雲が巨大な山に巨大な影を落とす
  ビッグバン前の無音ぞティキの

 という句にまで思ってもみなかった奥行きが生まれてくる。ティキと言うのは

  古代先祖像ティキ金子兜太の悲しき笑み

で分かるように、諸島に数多くみられる「先祖」の姿を刻んだ石像という。これにトラック島で戦争の悲惨を心に刻んだ兜太の面影を重ねるのが青眼ならでは。

  大砲とやまい以前のティキの笑み

の句に註として付記されたように「西洋人が持ち込んだ病気が主因で19世紀から1926年まで、免疫がなかった島民は10万人から2000人まで減った」という歴史の重みを背負った存在でもある。
 ここまで読み進めると、青眼が「亡き師・金子兜太が戦時中のトラック諸島で作ったような“純粋な無季句”が詠めるのではと願って、ずっと暮らそうかと思った」と語る思いの深さが腑に落ちる。季節のない島で「原爆忌」を俳句に詠むというたくらみが、どれだけ文学の本質に深く根差しているか思い知らされる。
 旅人の目には楽園そのものとしか映らないこの島。その実、今も外部から持ち込まれた「大砲とやまい」が暗い影を落とし続けている。その事実を「原爆忌」に託して表現した青眼は、さらに劇的な形で自身の生身の現実として体験することになる。20年3月、万全な医療体制のないこの孤島で、新型コロナウイルスによる肺炎を発症したのである。
 同じ頃、諸島への交通は空路海路ともすべて途絶する。病床の青眼は枕もとに手持ちの現金をすべて置き、「ゴーギャンとブレルと同じ墓場で葬って下さい」という書き置きを添えることまでしたとか。その後、幸いにも回復し、3か月後に奇跡的に日本への帰還がかなった。とは言うものの、生死をさまよった病床体験は新たな句の数々を生んだようだ。

  神を信じるしかない島よ崖しかない
  大ヤモリがゴキブリ呑むやまだ動く

 これらに前集の収録句も交える形で成立したのが2番目の句集『遥かなるマルキーズ諸島』ということになる。シャンソン歌手でもあるブレルの名曲にちなんだタイトルの下、500句ほど+短歌50首がこちらは日本語、仏語の2か国語バイリンガルで収められている。

  丘のに見下され人類末期
  警官のタトゥーに蛇あり島に蛇無し

など昨年の海原金子兜太賞の応募作として出合った句も見受けられるが、「人類末期」という重い言葉の指し示すものが、この句集を通じてますますはっきり見えてくる。植民地後ポストコロニアルコロナ後ポストコロナという二つの“ポスコロ”のただなかにあって、人類が生きものとしての終末へと着々と歩みつつある―そうした現状を指す言葉に違いない。それを青眼は俳句という最短詩型の内に的確かつ真正直に、何よりも自由かつ天真爛漫に言い止めている。

  スマホのうえ歩きづらそうゴキブリは
  鶏にバナナをやっていずれは鶏を食う

  狩人が子猪こじしを捌きししも笑顔
  流れ星やいばのごとく眼球切る

 これらは有季の句として読み、歳時記に収めることすら可能だ。それで生きもの感覚にあふれた佳句としての魅力を十分に味わうことはできるだろう。ただ青眼自ら言うように、これらを含む500句ほどはすべて純粋な無季句として読むべきだと思う。それでこそ、兜太は「俳諧自由」を南洋で獲得したと確信し、そのひそみに倣った青眼の思いを真正面から受け止めることができるに違いない。(敬称略)

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