『海原』No.15(2020/1/1発行)誌面より。
松林尚志句集『山法師』 二十句抄(山中葛子・抄出)
若き母白くいませり半夏生草
今朝の秋布衣の雀もきてゐたり
黄金田や女神の臥せしあと残る
リュックには餡パン一つ山法師
連なる蔵王茂吉メッカに秋惜しむ
手術果つ羊の顔して夏の雲
花かたばみ帰りはどこに佇んでゐるか
術後二年泰山木の花仰ぐ
母がりの遠の紅葉尋めゆかな
新涼や那智黒を先づそつと置く
亡羊を追ひきし荒野月赤し
綿虫の一つ浮かんではるかなり
広場にガーゼ踏まれしままに凍ててあり
鉄棒に五月の闇がぶら下がる
大根提げて類人猿のごときかな
妻に紅茶われに緑茶や冬あたたか
ポストに落す原稿の嵩年の果て
虎ふぐでジュゴンでありし兜太逝く
足寒し戦後を刻みしわが齢
遠い日向見つむるわれも遠い日向
しなやかな野生美 山中葛子
あとがきによれば、「私は詩を読むことから俳句に入っており、無季を容認した瀧春一先生のもとで学び、また金子兜太さんの「海程」にも加わって歩んできた」とされる松林尚志氏は、「海程」「暖流」での活躍。また、俳誌「木魂」「澪」の代表を全うされておられる。ことに評論『古典と正統』『芭蕉から蕪村へ』をはじめ、多くの評論集を世に著しておられ、その研究心のゆたかさは『和歌と王朝勅撰集のドラマを追う』(「海程」五二一号)など記憶に新しい。さて、『山法師』は『冬日の藁』(平成二十一年刊)以後の、平成十五年から三十年までの七〇五句を収録されている。
リュックには餡パン一つ山法師
山法師心が急に軽くなる
晩年は素のままがよし山法師
自宅の目前に山法師の並木があり、その清楚な白い花を咲かせる好きな樹にあやかり、迷わず決めたとされる句集名の山法師の三句である。
一句目の「餡パン一つ」に省略された旅立ちの心情は、臍もゴマもあるふわふわな笑みがこぼれてきそうな美学を思う比喩のあざやかさ。そして二句目の、自然界と溶け合った天人合一のみごとさは、三句目の「素のままがよし」の、白い花へのノスタルジーゆたかな晩年を称える自画像でもあろう。
追悼句の多い一巻は、また吟行句も多く、能動的な野生をひきよせて実にドラマチックである。
森は若葉縄文土器と詩人のペン
『実在の岸辺』パンジー濃紫
逆白波の歌碑黄落直中に
月涼し百鬼も化粧して遊ぶ
寝につくは地蔵を倒すごとき冬
しなやかな野生美にみちびかれる作品世界は、まるで自然界を解明する文学の明かりのようではないか。
近代を封じて駒場夏蒼し
たつのおとしご空に浮かんで春夕焼
遠い日向見つむるわれも遠い日向
ここには前句集『冬日の藁』の暖色のかがやきが、さらに憧憬という閃きを存在させていよう。四片の苞の中心にある球形の花。湾曲した数本の脈のあざやかな葉形。空に上向く『山法師』は、宇宙空間にみごとな明かりをともしている。