『海原』No.31(2021/9/1発行)誌面より
鈴木康之句集『いのちの養い』
こころの郷愁 永田タヱ子
ひとつぶの朝露にわが修羅を見き 哲哉
鈴木寛之氏(俳号哲哉)
冒頭に実兄の遺句集『時をなだめて』(昭和六十三年刊)から、この一句が掲載されている。日野草城「青玄」の同人で現代俳句協会の幹事を務めた方で、金子先生との御縁が、後に鈴木さんと赤い糸で繋がって
いたのでしょう。
うなりつつ逆返りたり基地の凧 康之
昭和三十年、「青玄」へ哲哉さんの薦めで投句、「初入選という記念の作」である。
平成三年まで、鈴木さんは会社人間で仕事に邁進され俳休されていた様です。
あれから幾十年?、仕事を辞退され、平成十一年夏、宮崎へ帰郷され、みやざきエッセイスト・クラブに入会、エッセイストとして活躍、中央の俳壇を模索、十三年に「古きよきものに現代を生かす」に共感され今がある、と。
〈故郷恋恋 平成十二年以前〉
しぐるるや朝倉里に山詰まる 一乗谷
樹齢包む七十余棟権と聖 永平寺
溶岩に絡み突き出す冬樹海 青木ヶ原
山つつじ腹でたる人の遍路かな 屋島寺
山寺や緑したたる甍かな 立石寺
仕事が東京ゆえ、東北への旅、宮崎からだとなかなかです。名所旧跡をめぐり、自然あり、人間あり、心境の癒えを、うるおすほっとと、旅の醍醐味、深い味わいの句。俳諧へ引き込まれていく。
〈いのちの養い〉
平成十三年二月「海程集」投句
「金子兜太選」好句
しやぼん玉辛夷の花に滅びたり
短夜の名画に煙草多かりき
瓢の笛小観覧車空廻り
待合の窓の形で東風は来ぬ
乳バンドと言ひし項にも夏は来ぬ
海程集への投句、五感の鋭さ、俳諧の抒情が心に沁みます。滑稽も。
平成十七年「海程同人」
天空より鳥居を潜る初鴉
菜の花や花壇はカタカナ語ばかり
首のない浴衣マネキン妻の首
御崎馬祓ひ給ひの尻尾かな
ますます自然、鳥獣、家畜、気候、そして人を俳句に詠まれ、滑稽がふっと笑いを誘う。心潤うロマンがある。
ここ青島鯨吹く潮われに及ぶ 兜太
句碑建って鯨乗り来し兄と逢ふ 康之
(句碑建立記念句会 兜太特選)
若くして他界された実兄、哲哉様を詠まれた句、兜太先生との縁が強く伝わる。
〈マイウェイ〉
しがらみや餅に捕られし歯一本
魂送り済ませしあとの眠りかな
産土も北辰斜め春立ちぬ
夏霧の渓に一筋隠れ川
青葉木莵埴輪の農夫肩に鍬
直会や猪の生首薄目あけ
順調に老いております男郎花
日常をさりげなく詠まれ、こころがくすぐられる。気持ちが和みます。共に俳句で色々な処へ連れられる楽しみに、和む。共に宙中のリズムを感じる。
〈壮心止まず〉
日の丸のぽつんぽつんと初御空
投げ入れの梅がほころぶ朝かな
終ひ雛五人囃子は疲れ気味
氷雨降る千鳥ヶ淵の残花かな
産土の兜太は不死身荒凡夫
体育の日妻と観る刑事コロンボ
肥後大変日向は不安菜種梅雨
一本の樹があれば足る蟬時雨
後ろ手で秋の渋谷を歩きけり
日常を切り取り、風を、水を、土を、日を、妻を、自分を、匂いまで、追及されている熱意がひかっています。
次の句群は、句集中の追悼句。
墓冷し師の戒名を記憶せり
棺の中花野となりぬ義足は駄目
兵に逢ふ微笑み遺し雲の峰
百歳未達新米食つて逝きにけり
飛魚のとんでとんで俳の海
秋風とともに逝きしか印旛沼
バッテリー組みし明逝く竹馬で
行く春や冥府の記事を待ちかねて
一世紀自在に生きぬ秋日和
志なほ遥かなり額の花
はらからへ献体といふ生身魂
詩人死す無蓋の村は黄金色
生き様を教へし兜太秩父紅
農に生き卒寿の前の沙羅の花
上弦の寒月灯り昇天す
懐かしき下宿の伴へ大文字
恩師の訃紅燃ゆる寮歌誦す
鈴木さんの『いのちの養い』は、故郷への思いの強さがあり、暖かさ、温かさ、がひしひしと伝わり、内なる人間への拘りの作品が、読む者を俳縁の世界へ誘う魅力がある。
追悼句の兜太先生を始め、恩師、兄弟姉妹、親戚、友人、句友、先輩、後輩、知人。どの句も哀悼深く、人は生まれると、いつかは死ぬ運命、鈴木さんの追悼句は、皆様俳句の中で生き生きとして居られる。合掌。
鈴木さんの『いのちの養い』句集評を引き受けたが、誠にいのちの養いがひしひし伝わって来ました。
詠めば詠むほど養いの奥深さへ引き込まれます。『いのちの養い』上梓お目出とうございます。