追悼 農の人 鈴木八駛郎 石川青狼

『海原』No.65(2025/1/1発行)誌面より

追悼 農の人 鈴木八駛郎 石川青狼

 「海程」および「海原」元同人の鈴木八駛郎(北海道帯広市)氏が、二〇二四年(令和六)九月十七日に九十九歳で亡くなった。
 俳歴は長い。北海道十勝管内清水町で農家の三男として生まれ、十四歳のころに俳句を始める。服部畊石創刊の「高潮」に投句し同人。「寒雷」の加藤楸邨、「海程」創刊の後に金子兜太に師事する。
 台湾第二高雄海軍航空隊で終戦。翌年四月、広島の大竹港に帰還し、ヒロシマの原爆の悲惨さを眼にする。平成十六年より「原爆俳句展」を開催してきた。
 復員後農業に従事しながら青年運動、農民運動に参加。一貫して農村の改革を目指しつつ文化活動の指導者としても活躍。帯広市市議会議員、東北海道現代俳句協会会長、名誉会長等歴任。北海道の俳壇を牽引してきた。平成二十五年、叙勲旭日双光章受賞。平成二十九年十一月、現代俳句協会創立七十周年記念大会の帝国ホテルの壇上にて、地区功労者賞を受賞した折りの笑顔が忘れられない。
 句集刊行は六冊。年代順に句を抄出。

◇『轆轤』(昭和四十三年)
 兜太は跋文に「生活のうた」と題し「十勝の野面を渡る風の音、そこに降る雪、人々の生活と精神のもろもろの習俗と軌跡が色濃くしみついている。しかし、それは作品の肉体として定着し、そのなかに、生活者の意思の筋目が、普遍的なひろがりを帯びて刻まれているのである」と、風土・肉体・精神の一体化した八駛郎俳句の根幹を記す。
  野は吹雪酒掌に組ませ父の旅
  農人にうすき埃りの霞来し


◇『方円』(昭和四十七年)

  一族忌胡桃焼く火に父母の見え
  仔馬はねる公園で昼の星見ゆる


◇『地景』(昭和六十一年)
  薄化粧の少女野菊をとりにゆく
  馬臭き家壊さるる野は晩夏


◇『馬』(平成四年)
  起きる笹胎みの馬も微光せり


◇『地音』(平成七年)

 第三十一回海程賞。
  雲雀東風ほとけの飯の焚きあがる
  キツネ目の男野を焼き寝入りけり


◇『在地』(平成二十四年)
 第三十六回海隆賞、第二十七回北海道新聞俳句賞受賞。
  からまつに雪しがみつき人は地に
  隠岐怒濤秩父狼馬十勝


 師楸邨の隠岐怒濤、兜太の秩父狼、八駛郎の十勝馬三体の象徴であり矜恃の句。
 令和五年七月、帯広市「とかちプラザ」にて第二十九回東北海道現代俳句大会では「鈴木八駛郎と俳句」と題し、私の司会でトークセッションを行い、八駛郎節の衰え知らぬ語り口と、お宝と称し河東碧梧桐が「三千里」で北海道を行脚した折りの直筆の軸装短冊「狐吊りて駅亭寒し山十勝」を披露し、ご満悦であった。その一年後の他界であり惜しまれる。あらためてご冥福を祈りたい。
  微光して老いた馬立つ薯の花 青狼

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