『春は曙』寺町志津子句集〈知の明るさ 日高玲〉

『海原』No.38(2022/5/1発行)誌面より

『春は曙』寺町志津子句集

知の明るさ 日高玲

  八十歳なんて噓でしょ木瓜の花
  八十の夏には白いドレス着る

 寺町志津子さんの第一句集『春は曙』三百句。あとがきに、八十歳を期に「折々の句に、折々の自分の生き様があるのではないか。自分の生きた証として、夫への感謝を込めた句集を子や孫達に残したい」とある。
 掲句一句目「噓でしょ」と若者風の口調を借り、老いの本音を軽やかに句に込めている。茶目っ気たっぷりな作者の地肌が感じられると同時に、木瓜の花の可憐な姿から作者の内に生きている少女の気分も滲みでる。二句目にも作者の自尊心や気概、少女っぽさ、そして、あくまでも肯定的な明るい眼差しがある。
 この「明るさ」は全編の底に太く流れ、句集の大きな魅力となっている。

  春はあけぼのツートントーンとお腹の子
  胎生のよう涅槃のよう暁の闇

 春季六十句から始まる句集の一句目は、生命の誕生を胎児の心音により描いた作品。「ツートントーン」がのんびりとしていて豊かな気分の広がりを感じさせる。春の季と程よく響き合い、作者の感動がじんわりと伝わる。次の句は、夜明け前、目は覚めたがまだ十分に覚醒していない時の感覚。「仏は常にいませども現ならぬぞあわれなる人の音せぬ暁にほのかに夢に見えたもう」(『梁塵秘抄』)も思われる。ここは生まれる前の母の胎内か、さては、もう仏のように解脱して入滅しているのかと軽いユーモアを含みながら、生と死を肉体感覚で捉える。寺町さんの長い体験から、生死への想念が自ずから醸されるが、悲観的でも虚無的でもない。

  春は曙みちのく漁りの力かな

 句集名となった作品。東日本大震災後の漁を主題にしていると思われるが、東北の漁に携わる人々の深い苦悩を、いよいよ漁の再開を見て、「力かな」と強く跳ねのけた作者の冷静な度胸に驚く。漁船は暁のまだ暗いころに出航し、漁が終わる頃に曙となることだろう。その春の曙の光を身に受けた時、必ず希望が兆すと信じているような明るさ。「春は曙」が「力かな」と響きあい、作者の肯定的なメッセージが伝わる。

  人にみな叙事詩抒情詩梅開く

 寺町さんの経歴に、旧満州大連に生まれ、終戦翌年の七歳の年に、祖母、父母、妹、弟と広島へ引揚げる、とある。掲句が実を持って、より重く響いてくるが、しかし、そこに、「梅開く」の季の斡旋。すると、やはり寺町さんらしい柔らかく陽が射すような肯定的な気分が醸される。この明るさは闇雲に拵えたものではない。「知の礎」とでも言おうか、寺町さんの幼少から少女期を経て、長い時間に積んだ様々な経験の賜物。
 敬愛する父親と幸福な家庭もその一つ。

  鷹柱父のせなより力受く
  父の骨母の歯賜り冬麗

 「鷹柱」は、季語の品格が父への誇りを伝えて、神話の一シーンのようだ。父母から戦う知力、丈夫な骨や歯も受け継いだ。父母の逝く様を哀切に詠った作品群は句集の個性のひとつとなっている。

  管まとい尊厳問う父在りし夏
  父という絶対音感夏の破調
  書斎から父を消せないきらら虫
  母逝けり大白鳥の一直線

 寺町さんは「広島家庭裁判所家事調停委員」の仕事に従事され、離婚裁判に参与員として法壇に臨席されていたとのこ
と。

  極月の法衣くるりと壁に入る
  手袋が落ちてる家庭裁判所
  調停ならず家裁の裏の秋日陰

 「極月の」の作。「法衣くるりと壁に入る」の巧みな措辞により、深刻な調停を終え、裁判官が妖怪のように忽ち消えた後の空気感や、残された当事者のやり場のない気持ちまでもがせり上がってくる。極月の季感が景に移り、これでもかと響く。「手袋が」は、客観的な景に徹したことで、ドラマチックな効果が生まれ、俳句形式の力を感じさせる作品である。
 「この作者の叙述はいつもうまい」とは、金子兜太先生の言葉である。

  早暁の嗚咽老いたり原爆忌
  ヒロシマに生きて八月六日かな
  八・六やケロイドの友ひそと逝く
  兜太師の声蘇る原爆忌

 四季の章とは別立ての「原爆忌ヒロシマの祈り」の章六十句の中から、老いた被爆者の絶望を生々しく描いた一句目。「早暁」という静寂の時間の設定により景が際立つ。戦後に引揚げてかろうじて被爆は免れたが、原爆の影響を受けた
人々も間近に見た。長い年月を生活の場とした故郷広島への思い、また兜太師へ熱い共感の籠った作者の真情が伝わる。

  年甲斐もなくという癖草矢射る
  月夜茸女黙して火を抱く
  月天心思考の影の透き通る
  九月尽まだ見つからぬ接続詞

 折に触れて作句された軽いユーモアと若々しい覇気に富んだ作品は、作者の個性そのものである。そして、作品の底辺には知の光が柔らかく流れている。

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