◆No.71 目次

◆海原愛句十句(6月号の全同人作品より選出)
武田伸一 選
妻は初蝶百年と三日ひらひら 伊藤巌
鰊に小骨ちまちま言い訳っぽい 小林ろば
雉子鳴くやふるさとに母ひとりあり 竪阿彌放心
いにしえの壁画に戦士月おぼろ 月野ぽぽな
はたおりそりのめ
機織轌ノ目知らない町は雪の町 鳥山由貴子
知らないとこたえて柚子の黄色かな 平田薫
年用意日記家計簿鉄アレイ 藤好良
風花やしずかにわたし忘れられ 船越みよ
遺品です軍艦みたいなスキー靴 森由美子
薄氷を足で揺らしてから戻る 横地かをる
山中葛子 選
三千の雛壇華やかとも憐れとも 石橋いろり
妻は初蝶百年と三日ひらひら 伊藤巌
これ程の雪は初めて北女 尾野久子
蛇・土竜冬の眠りへ鄙の唄 鱸久子
俺の中で水が動いてゆく春愁 竹本仰
美味き水呪わしき水不知火忌 並木邑人
顔いっぱい優しさにして逝かないで 深山未遊
三月や栞のように母の言葉 村上友子
ははの来る夕山茶花の色めく庭 故・山田哲夫
われは青鮫そのきさらぎの暁闇 山本掌
◆海原秀句 同人各集より
安西篤●抄出
シュークリーム僕の春愁凸と凹 綾田節子
偶に逢うカントと名乗る庭の蟇 石橋いろり
草笛吹けば昭和溢れ出す 母よ 伊藤幸
石放る春光となるまで放る 伊藤道郎
後悔は解けないパズル辛夷散る 榎本愛子
母の日やコロッケ大好きの輪郭 大髙洋子
藤房の微分積分風の向き 奥山和子
ヒヤシンス理科室はすぐ昏くなる 河西志帆
AIの回答まちぬ昭和百年 片町節子
睡蓮の巻葉ふふふと着信無し 木下ようこ
養花天うしろに母がいるような 黒岡洋子
花水木ポニーテールの新ヘルパー 黒済泰子
風船をみんな見上げて軽くなる 小松敦
白壽未だ若し若しと舞う櫻 鱸久子
ふうせん乱舞叫喚とも狂歌とも違ふ すずき穂波
民さんの矢切の渡しさみだるる 高木一惠
花ミモザ波打際のやうに咲く 田中亜美
朧夜の隅に人体解剖図 田中信克
春の水映る言葉も旅らしい 董振華
物の怪とふと目が合うて青葉騒 中村道子
桜舞う樹に赤肌の傷背負い 仁田脇一石
春落日水平線からアンパンマン 野﨑憲子
亡きひとと農鳥の歌聞きにゆく 日高玲
初夏の遠浅のようハープの音 船越みよ
耳うちの子の息菜の花匂うよう 増田暁子
甲冑の暗き前傾青葉雨 松本勇二
野遊びやひと筆書きのよう自由 宮崎斗士
アカシアの雨にゲバ棒捨てた朝 武藤幹
ふっと晩年風がはじまるよさくら 茂里美絵
職を辞し私に戻る花ミモザ 森武晴美
松本勇二●抄出
卯の花腐し家出のように本読んで 綾田節子
兵士めく真白き軍手春の庭 石川まゆみ
八十を逆行している春の妻 大沢輝一
不知火を味方につけて逆走す 奥山和子
呟やかねば歩かなければ矢車草 柏原喜久恵
僕はボクの初蝶肩にとまらせて 桂凜火
ヒヤシンス理科室はすぐ昏くなる 河西志帆
蝶ふわり納骨終えし峡の昼 金並れい子
リラの冷え飯噴けば鳥のくぐもり 小池弘子
夜の新樹眠る瞬間まで話す 小松敦
弦月や森に行く理由が欲しい 佐孝石画
さっと影居間に落として鳥帰る 佐々木香代子
三塁をまわれば村中たんぽぽ野 十河宣洋
たこ焼きのくるりくるりと夏は来ぬ 高橋明江
指切りに時効のありて蛇苺 竹田昭江
限界集落はつなつという淋しさよ 田中信克
桜散る潔く捨て引越しす 谷川瞳
握手して周防に帰る猿回し 樽谷宗寬
紅枝垂桜コメントは簡潔に 遠山郁好
新緑や喧嘩はすまい喜寿が来る 永田和子
合歓咲けりいずれは過去と呼ばれる身 平田恒子
読むって結局黙ってるだけ日脚伸ぶ 北条貢司
杖で指すおぼろ月夜におぼろ妻 本田日出登
茅花野やホームシックの老人たち 本田ひとみ
父のギター背負って部活の夏来たる 増田暁子
ほらね新緑つくづく塩にぎりはうまい 三世川浩司
ノーマークの男が遊ぶ青野かな 村井隆行
柳暗花明それでも一語を探してる 室田洋子
夕焼け列車影踏み遊びの町に着く 望月士郎
空耳のたかさを過ぎる夏つばめ 横地かをる
◆海原秀句鑑賞 安西篤
偶に逢うカントと名乗る庭の蟇 石橋いろり
作者の自宅の庭に棲んでいる一匹の蟇がいて、時々顔を合わせる。その名を「カント」と名付けたのは作者自身だろうから、作者から見ればどこか重厚で気難しげな蟇なのだろう。時々喉を動かして、何やら哲学的瞑想を呪文のように唱えているように見える。その姿に思わず感情移入して、「カント」と名付けたのだが、今は自ら名乗ったように板についている。そのアニミスティックな交流から、作者の思索の輪がひろがっているようだ。
藤房の微分積分風の向き 奥山和子
藤の花房が風に揺れている。その有様は、花びらからは微分、花房からは積分感のような一体感が感じられるという。「微分積分」という数学的レトリックで、藤の花を表現した句は、これまで見たことがない。掲句によって、「ああこう来たか。やられたなあ」と思わず呟いている。「風の向き」で、その数字の連なりが変化していくようにも見えてくる。上手い発想だ。
AIの回答まちぬ昭和百年 片町節子
ここでいうAIとは、生成AIのことだろう。まるで人間に指示するかのように、言葉で命令を聞いてくれる生成AIは、あらゆる分野で変革をもたらし、その市場規模は年平均66%の急成長を続けるという(米ボストンコンサルティンググループ予測)。日本は今年昭和百年を迎える。生成AIブームが始まってまだ二年だが、日本企業は世界に出遅れ感があるらしい。まだ間に合ううちに、急ぎ始めなければなるまい。そんな警世の一句といえそうだ。昭和百年、待ったなし。
白壽未だ若し若しと舞う櫻 鱸久子
作者は今年白寿(九十九歳)を迎えるという。しかも今なおかくしゃくとして一人暮らしを保っている。話す言葉も整然としていて、句作もなかなかのもの。認知症とは無縁な健康脳を保っている。驚くべき生命力という外はない。その人が「白寿未だ若し若し」とうそぶいている。高齢化時代にあやかるべき人の句に鞭打たれる思いだ。ただこの句の櫻は、むしろ作者自身を鼓舞しているように思われ、もう少し頑張らなくちゃと、自分に言い聞かせているようだ。脱帽するしかない。
花ミモザ波打ち際のやうに咲く 田中亜美
ミモザの花は、春二・三月頃、伊豆房総あたりの暖地に、ふんわりした五弁の黄色の小花を咲かせる。「波打ち際のやうに」という形容が独特で、こういう直喩に初めて出会ったが、早春の花の訪れをさざ波のようとしたのは、花全体が穂をなして咲き、辺り一帯を明るくするからだろう。如何にも作者の知的感性による直感的把握とみた。花言葉は「優雅、友情」というから、花の群がり咲くさまが、人々の連帯感にもつながる。フランスでは春の訪れを喜んで、「ミモザ祭」が行われるという。
朧夜の隅に人体解剖図 田中信克
朧夜に、病院の診察室か。大学の理系の教室に、人体解剖図が掛けられている。その人体解剖図は、あたかもロボットのように動き出そうとしているのかもしれない。朧夜なるが故の、どこか不穏な存在感が、人体解剖図から発せられている気配。なにやら現代の危機感が目覚め始めているような不気味な図。
春落日水平線からアンパンマン 野﨑憲子
御存知「あんぱん」は、漫画家やなせたかし夫妻を主役とする朝ドラで、戦中から戦後にかけての主に昭和の時代相とともに展開する庶民の生涯が描かれている。掲句は、春の落日とともに、水平線から漫画のアンパンマンが、登場してくる景。朝日のような輝きでなく、落日の有終美のような景の中で、自分の顔を食べさせたアンパンマンの生き方を讃えているのだ。
アカシアの雨にゲバ棒捨てた朝 武藤幹
ゲバ棒は、学生運動のデモに警官隊が実力で抑制に向かった時、学生達が、ゲバ棒と称する棍棒を振りかざして抵抗した時の武器。主に一九六〇年及び七〇年の安保闘争で使用された。「アカシアの雨」は、一九六〇年に歌手西田佐知子の大ヒット曲「アカシアの雨が止むとき」のことで、ややハスキーなくぐもり声の歌は、デモに参加した経験とともに思い出される。学生運動は長続きせず終息したが、その挫折感は、熱いが花火のような青春とともに甦る。そこには哀愁とともに一抹の誇りもあったのではないか。
ふっと晩年風がはじまるよさくら 茂里美絵
ある日、ふっと自分の中に兆した晩年感を見つめている。風に散り始めた桜を眺めていて、ああ私にも晩年が訪れているのだなと、ふと思う。この頃、ひそかに訪れた老いの実感を確かめるように、どうやら風が吹き始めるようだよと、桜の花に呼びかけて、あらためて散り時のちかいことを、自分にも言い聞かせているのだろう。下五を「さくら」と平仮名表記したことで、桜の花の実体感とともに、さくらに託した自分自身のあり様をも見つめ、受け入れようとしているのではないだろうか。
◆海原秀句鑑賞 松本勇二
卯の花腐し家出のように本読んで 綾田節子
家出をした人は街をさまようのか、公園でたたずみ沈思黙考するのか、いろいろ考えられます。この句の家出のようには、沈思黙考スタイルと読みました。それは春の長雨、卯の花腐しが作用するからなのでしょう。
兵士めく真白き軍手春の庭 石川まゆみ
下五で草引きなどの庭仕事のための軍手であることが分かります。兵士めく、という物騒な導入から下五への大展開が光ります。勇んで作業に取組む作者です。
不知火を味方につけて逆走す 奥山和子
勇敢な作者は沖に見える不知火を味方につけて勢いを得たようです。逆走は今まで走ってきた生き方を少し巻き戻してみようかな、というところでしょうか。決して高速道路で勇敢さを発揮してはなりません。
呟やかねば歩かなければ矢車草 柏原喜久恵
呟くことと歩行を自身に言い聞かせています。健康のために歩くのはよく分かります。呟きはストレスの解消のためでしょうか。生きているなあ、と思わせる一句です。ぶつぶつ呟きながら散歩している様子が浮かびます。
ヒヤシンス理科室はすぐ昏くなる 河西志帆
現在はどうか分かりませんが、ヒヤシンスは教室の必須アイテムであったように思います。この花と理科室の登場で遠い昔へいざなってもらえます。すぐ昏くなる、の発見と断定に力感がありました。
蝶ふわり納骨終えし峡の昼 金並れい子
納骨を終えると、寂しさもさることながら若干の安堵が漂います。その安堵感をふわりと現れた蝶々が支えています。山の迫る地形とその時間帯の提示も風景を十分に広げています。ゆったりとした気分にさせられました。
リラの冷え飯噴けば鳥のくぐもり 小池弘子
飯が噴きあがるとき鳥のくぐもりを聞くという、大いに感覚的な一句です。くぐもりは山鳩の鳴き声のようなあまりはっきりしない鳴き声と解しました。リラ冷えではなく、リラの冷えとして北海道から遠ざかりました。季語への配慮もさすがです。
弦月や森に行く理由が欲しい 佐孝石画
森に行きたいのでしょう。しかし、森に出かけていくために周囲を納得させる理由が思いつかないようです。弓張り月を森の中で眺めたい、くらいではだめでしょう。理由なしで行動できなくなってしまった人間社会の窮屈さを訴えたかったのでしょうか。
さっと影居間に落として鳥帰る 佐々木香代子
北国へ帰る途中の鳥が影を居間に落としていったと書く閃きに惹かれます。鳥は渡り鳥でなくても作者がそう思えばそれでいいのです。さっと、という導入も閃き力を感じます。
三塁をまわれば村中たんぽぽ野 十河宣洋
タンポポの生命力は殊の外強靭で、筆者の耕作しなくなった畑は春にはタンポポに占領されます。北の地でもそれは同様のようです。単なる報告句でなくなったのは、三塁を回ったことによります。村のさみしい生活が突然明るくなりました。
限界集落はつなつという淋しさよ 田中信克
限界集落は日本中に増え続けています。地方再生という言葉に吸引力があったのは何時のことでしょうか。すべての生命がもっとも活発な初夏であっても、そういうところは淋しいのです。取り残されたような淋しさに襲われるのです。都会人がこのことによく気付かれました。
紅枝垂桜コメントは簡潔に 遠山郁好
ベニシダレザクラと読みました。決して簡潔でない季語を読ませたあとにもってきた、中七下五のきっぱりとした口調の取合せが見事です。コメントが簡潔過ぎてよく突っ込まれる筆者にはもってこいの一句でした。
読むって結局黙ってるだけ日脚伸ぶ 北条貢司
ほらね新緑つくづく塩にぎりはうまい 三世川浩司
読むという行為は他者から見れば、結局はそうなんだと頷きました。二句目は新樹に語り掛ける仕掛けがたくみでした。どちらの句も、口語調が破調をうまくカバーしています。
ノーマークの男が遊ぶ青野かな 村井隆行
他者を書いたのであれば少し失礼なので、このノーマークの男は作者として読みました。自嘲気味に書きながら明るく仕上がったのは青野のおかげでしょう。
夕焼け列車影踏み遊びの町に着く 望月士郎
大いにメルヘンチックな一句です。見えないものを見ようとしている作者のようです。
◆武蔵野抄71 安西篤
夏草や草莽というこころざし
水に図面引く蛍火の行方かな
六月の定点観測菱の花
理由ありの一本の紐虎が雨
蛍舞う前座の微吟座微吟かな
◆雑雑抄71 武田伸一
霙るる夜釈迦もキリストも一人寝た
鰯汲む意外に近き埴輪の世
旅人としての故郷啄木忌
悪友の皆逝き春の夕べの月
花満開青年トルソーを離れざる
◆一翳抄3 堀之内長一
手負いの熊映りし水没林の夏
鬼ぼうふらすべて虚しいという病
本は斧カフカの木にもひこばゆる
鑑真和上坐像にまつげ夏の霜
原発新設みな前傾の羽抜鳥
◆たづくり抄3 宮崎斗士
野遊びやひと筆書きのよう自由
和解へとひと言ずつがふきのとう
君がくれたわたしの素顔花かたくり
ペンを執る逃げ水逃がさないように
土筆たちの点呼はじまる頃故郷
◆金子兜太 私の一句
冬森を管楽器ゆく蕩児のごと 兜太
寒々とした心の森に迷いこみ、進むことも戻ることもできないときは、口笛を吹き、お道化ながら歩けばいい。きっと出口に辿りつけるはずだ。己を元気にさせる、己のためだけの楽器。口笛というものを深々と詠んだ句に、兜太先生ならではのアニミズムの詩情を垣間見る。くよくよせず、もがくことを愉しめ!そんな励ましが聞こえそうな一句。『金子兜太句集』(昭和36年)より。三好つや子
谷に鯉もみ合う夜の歓喜かな 兜太
兜太先生の下、海程での学びが始まった矢先、私に悪性腫瘍が再発、入院生活を送るはめに。「こういう次第で暫くお休みを頂きます。」とお伝えした。すると「あんたの顔は明るい。必ずよくなる。」と先生がその場で団扇にマジックで書いて下さったのが掲句。私に安心とエネルギーを下さった。以来、この団扇は私のお守りになった。『暗緑地誌』(昭和47年)より。村本なずな
◆共鳴20句〈6月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句
石橋いろり選
風花や葬り支度の竹炙る 大西健司
シートベルトの留め金外し梅の里 河田清峰
雪や来む来里のやまびこ低くひくく 黒岡洋子
冴え返るル・コルビジェ展の残響 黒済泰子
白蝶を放つ大地にいくさを許し 小西瞬夏
芽明りや女人高野の径すがら 小松よしはる
○兜太忌や経木はみ出す握り飯 齊藤しじみ
千の語を残響として兜太の忌 佐藤詠子
○生涯に改行いくつヒヤシンス 竹田昭江
菜の花に沈んでしばし菜の花に 月野ぽぽな
梅が香や色よい返事待ってます 董振華
「屈しない」ナワリヌイの声冬銀河 新野祐子
ほうき草信心に永くはぐれて 日高玲
ホワイトアウト正論は空回り 平田恒子
卒寿の我桃咲くまではと種植ゆる 宏洲弘
三月の約分できない終わり方 福岡日向子
○顔いっぱい優しさにして逝かないで 深山未遊
響めきや春塵に今返し馬 村本なずな
○如月をすこし焦がしてパン焼き器 室田洋子
すぐそこに戦争来るかもマクドナルド 夜基津吐虫
後藤雅文選
つらららのまひるま銀のしずくして 石川青狼
誰ぞ来る片目つぶりし雪ダルマ 泉尚子
括られて大器晩成だぞ白菜 岡田奈々
マダナニカカクシテイルノカ桜餅 奥山和子
帰る場所在るなら旅です軒氷柱 加藤昭子
赤ちゃんポスト手作りの手袋共に 楠井収
もの思へば爪たてて剥く蜜柑かな 小西瞬夏
鯨跳ぶようにゆっくりピアニスト 小松敦
○兜太忌や経木はみ出す握り飯 齊藤しじみ
立春や鍵挿すやうに配架せり 三枝みずほ
哀しいほど自由寒厨の灯を消せば 篠田悦子
一滴がたちまち驟雨高梁川 田井淑江
春眠の鎖が私離さない 月野ぽぽな
全身に鰯のうろこ上陸す 鳥井國臣
美味き水呪わしき水不知火忌 並木邑人
○長生きという仕事あり野蒜摘む 根本菜穂子
○いぼむしり美食を嘆きつつ枯れる 日高玲
パリ廃墟歩くモモイロペリカン マブソン青眼
雨あがりひかる大粒な春がある 三世川浩司
核を傘で受け止める父の認知症 夜基津吐虫
齊藤しじみ選
来た時も帰りも一人冬の村 有村王志
ここきっと画家がいる北窓開く 井上俊子
○孤食という自由も重荷冬灯し 榎本愛子
○ずっと軽くてずっと友達猫柳 奥山和子
魂を抜く作業にてぶらんこ揺らす 小野裕三
木洩れ日を集め水面の日向ぼこ 川崎益太郎
あとがきに鼓動のありて春兆す 三枝みずほ
離職して数字の呪縛ほどけ春 佐々木香代子
オムレツに添えるクレソン春の唄 重松敬子
白鳥は白鳥歩き老人も 篠田悦子
水槽に蛸しがみつく春隣 菅原春み
音出しや春へサラダをかき混ぜる 鈴木修一
○生涯に改行いくつヒヤシンス 竹田昭江
過疎の村遅日三百六十度 田中信克
寒い日は変哲の句に温まる 野口佐稔
会いたきは故人ばかりか田を返す 長谷川阿以
説教のよう窓打つ霰宵っ張り 船越みよ
父の忌の橋やや昏れて沈丁花 水野真由美
○如月をすこし焦がしてパン焼き器 室田洋子
梅一輪紐解くようにふるえおり 故・山田哲夫
森由美子選
春隣牛の爪切りする牧場 石川義倫
芽柳や私ひとりの時間割 石橋いろり
○孤食という自由も重荷冬灯し 榎本愛子
○ずっと軽くてずっと友達猫柳 奥山和子
春寒し赤紙で来るボケ検査 後藤雅文
どつとゆふぐれ冬薔薇傾けば 小西瞬夏
啓蟄や発条仕舞われている身体 小松敦
冬落暉はらからという水溜り 佐孝石画
旧駅舎線路の石に月の声 白石司子
春の日や誰もがたてとほこを持ち 鈴木孝信
白壽未だ若し若しと舞う櫻 鱸久子
俺はまだ遊びの途中魚は氷に 十河宣洋
うごくたびどこかさざなみ春の風邪 月野ぽぽな
如月は愛しと水の青掬う 遠山郁好
機織轌ノ目知らない町は雪の町 鳥山由貴子
○長生きという仕事あり野蒜摘む 根本菜穂子
○いぼむしり美食を嘆きつつ枯れる 日高玲
風花やしずかにわたし忘れられ 船越みよ
男雛の視線少年期の兄の恋 増田暁子
○顔いっぱい優しさにして逝かないで 深山未遊
◆三句鑑賞
兜太忌や経木はみ出す握り飯 齊藤しじみ
杉・檜などの木を薄くした経木のルーツは仏教伝来の頃。貴重な紙の代用で経文を写したと言われている。兜太師のかぶりつく握り飯ならこんな風かと。あるいはこんな握り飯を前にして師を想ったのだろうか。豪放磊落な兜太師の握り飯らしい。ちなみに経木は秩父で製造されている。
顔いっぱい優しさにして逝かないで 深山未遊
作者はご夫君の逝去直後の心の叫びを直球で詠んだのだろう。「顔いっぱい優しさにして」という独特な言い回し。下五がいい。私の叔母は夫を亡くした時、失明しており叔父の死顔を触ることしかできなかった。作者は、ご夫君の優しいお顔を胸に封じこめたのではないか。
すぐそこに戦争来るかもマクドナルド 夜基津吐虫
マクドナルドとは、世界に通じるファスト・フード店。ザ・アメリカだ。安直に戦争は起こると作者は表現したいのだろう。横山白虹の「眼下は雪嶺の席にジョン・スミス」に通じるものがある。固有名詞の力強さだ。余談だが、鎖国時代、利尻島に密入国したアメリカ人ラナルド・マクドナルドは長崎で幽閉されつつ日本初の英語教師となり、日本人通詞達に生の英語を教え、その中にはペリーの通訳となった者も。
(鑑賞・石橋いろり)
鯨跳ぶようにゆっくりピアニスト 小松敦
「鯨跳ぶようにゆっくり」はピアニストの強く鍵盤をタッチした後のけ反るような瞬間の描写。巧みな比喩に感心させられた。ショパンのピアノ協奏曲第1番、反田恭平の弾く第三楽章の右手を大きくあげて胸をそらすシーンは「鯨跳ぶようにゆっくり」で、演奏者も聴衆もググーっと引き込まれてゆく名演奏。
兜太忌や経木はみ出す握り飯 齊藤しじみ
「経木」とは杉や檜を薄く削った包装材。経木で包まれた弁当は目でも楽しめそう。経木からはみ出すふんわりの握り飯。開ければちょっとした香の物と格別お米の匂い。兜太忌との取り合わせで先生の米への深い思い「三日月がめそめそしている米の飯」と「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」に繋がる産土感覚が。
核を傘で受け止める父の認知症 夜基津吐虫
無季の句であるが、今年の沖縄慰霊の日のおばあちゃんの歌「戦禍を生き延びた人を艦砲射撃の食べ残し」と併せてよんだ。父は戦禍をくぐり抜けて来た人であろうか。「核を傘で受け止める」は、反核・反戦のプラカードとも。認知症になっても平和を希求して闘う父の日常が詠まれている。
(鑑賞・後藤雅文)
来た時も帰りも一人冬の村 有村王志
番組「鶴瓶の家族に乾杯」を観るたび地方の街は歩いている人があまりに少ないことに驚く。新刊『沈む祖国を救うには』(内田樹著)によれば、江戸時代より人口が4倍以上増えた日本で、本来憂うべきは「人口減少」ではなく、東京集中とのこと。日本の今の断片を切り取った掲句を味わうほど沈みゆく祖国の冬の未来を感じざるをえない。
ずっと軽くてずっと友達猫柳 奥山和子
友情の長続きのコツは「ずっと軽いこと」。猫柳のほわほわした花穂が思い出として結実しながら17文字が滑らかに流れていく。先日、進行性のまひの難病にかかった学生時代の親友に数年ぶりに会い、自力歩行できない姿に現実感がなかった。「ずっと軽いこと」さえ、実は長くは続かないものだ。心に響いた句である。
あとがきに鼓動のありて春兆す 三枝みずほ
詩人の荒川洋治さんは、瀬戸内寂聴の小説『場所』の後書きを書いたところ、感謝感激の電話が本人から突然かかってきて大変驚いたという。荒川さんの後書きは作者の本音をいやらしく抉る内容だった。そこが寂聴の心を揺さぶったのだろう。後書きはある意味で作者が書けない最終章である。
(鑑賞・齊藤しじみ)
啓蟄や発条仕舞われている身体 小松敦
地下で眠っていた虫たちがもぞもぞ。人間も負けずにうずうず。一気に飛び出そうと身体の中でバネが待ち構えていると作者。バネを発条としたことでちょっと複雑で大袈裟な仕掛けが思われ、仕舞われるの字とも相俟って今まさに飛び出ようとする生命の瞬発力が感じられる。春野の土の匂いまでしてくるのは漢字の持つ力か。
機織轌ノ目知らない町は雪の町 鳥山由貴子
機織轌ノ目?なにこれ?調べました。秋田県にある町の名前でした。「機織轌ノ目」という字だけで、雪深い知らない町に微かに機を織る音まで響いてきます。地名の持つ強さに感動です。この地名を発見しさっと一句にしてしまうのも作者の力量あってこそでしょう。漢字の持つ奥深さをこの句にも教えられました。
顔いっぱい優しさにして逝かないで 深山未遊
長年連れ添った方との別れでしょうか。元気なうちは我儘を言ったり喧嘩をしたり、さまざまな軋轢もあったことでしょう。それなのにこんな時にこんなに飛びっきりの優しい顔をするなんて、ずるいよ。一人にしないで。でも避けられないこの残酷な現実。顔いっぱいの優しさが必ず貴女のこれからの支えになると思います。
(鑑賞・森由美子)
◆海原集〈好作三十句〉堀之内長一・抄出
薫風や今日は鳥語を復習ふ日に 和緒玲子
花みずきお嬢様にはお母様 有栖川蘭子
爪を切る音聴く日々や子供の日 井手ひとみ
子兎の齧りし三島初版本 上田輝子
葉桜や懸垂の腕むくむくと 上野恵理
おばさんがおじさんになる夕焼かな 大渕久幸
ぬるくして供す新茶や母の顔 小野こうふう
軒燕われより母の老い重き 小野地香
柿若葉ひたすら歩く奈良街道 神谷邦男
摩天楼の海溝に夏下りてくる 花舎薫
リラ冷えや小言のやうなハイヒール 北川コト
麦の秋ごつんごつんと廃炉かな 木村寛伸
夫に触れ心ときめく緑の夜 工藤篁子
みんな敵五月の風がそう言うの 香月諾子
憲法記念日家中の窓あける 小林育子
野苺や赤子生まれた声がして 小林文子
畑返す蛙は白き腹を出し 齊藤邦彦
骰子の一の目出でて立夏なり 佐竹佐介
神代桜来し方語るしゃがれ声 島村典子
黄泉といふ地球圏外白夜なる 宙のふう
春の海古墳の長い深呼吸 谷川かつゑ
八十八夜あのマスターが断酒など 中村きみどり
春は種買う秋には本を買うように 坂内まんさく
銀やんま通ひの道を空け露店 藤川宏樹
旧友来る蝦夷山桜の体温 松﨑あきら
風薫る踏み絵の街に群れる鳥 三嶋裕女
ペラペラのケーキのフィルム夏浅し 向井麻代
代搔きのにわかに空の広がり来 向田久美子
傷付かぬ距離に置かれたとろろ汁 村上舞香
手榴弾あしたその手にバナナあれ 路志田美子