『海原』No.70(2025/7/1発行)

◆No.70 目次

◆海原愛句十句(5月号の全同人作品より選出)

武田伸一 選
寝て覚めて正月料理とは無縁 石川青狼
百歳のいのちの一日お元日 伊藤巌
しずり雪けものの脚の硬い爪 桂凜火
しょ冬の火種今父にある記憶力 木下ようこ
女正月夫に割烹着を着せる 後藤雅文
動脈赤き静脈寒き人体図 小西瞬夏
喋るなと言はれてからの吹雪ふきだまり 丹生千賀
売土地に蜜柑のなる木帰省かな 福岡日向子
大根煮て君の好まぬ詩に遊ぶ 松本千花
いいね夕焼いいね待つという文化 村上友子

山中葛子 選
冬銀河仮想本屋の棚探す 奥山和子
サバンナに夢ライオンにすこし雪 桂凜火
冬鳥は風のかたまり火のかたまり 佐孝石画
てのひらはあなたへあげる開戦日 三枝みずほ
かいらしいなあ年の用意の花簪 樽谷宗寬
心臓が死の話する雪はらり 藤野武
日向ぼこヘミングのピアノ長く透明 藤盛和子
戦術に停戦はなくラグビー 藤好良
白蛇といふ一筆書きの呪文かな 三好つや子
詩篇みな紙片に変えて冬青空 望月士郎

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

背負うもの束ね葬り春の土手 伊藤幸
そしてみな樹下にねむりて桜騒 伊藤道郎
言い訳のごとひとひらの桜蕊 大西恵美子
啄木忌倒したままの砂時計 片岡秀樹
寒明けやびりりと剥がれ水平線 桂凜火
青鮫が水のように溶けにけり 葛城広光
老い深し右に左に翁草 川崎益太郎
猫柳ふと旧姓で呼ばれたよう 黒済泰子
花曇ときどき木漏れ日の震度 小松敦
さくらさくら黙読が声になる 三枝みずほ
きのうはごめんと夜明けの新芽かな 佐好石画
春夕焼遍路の父を置き去りに 菅原春み
春立つやはなだの海に母を描き 鈴木修一
昭和百年兜太『百年』梅ひらく 高木一惠
水温むふたりごころの停留所 高木水志
羊皮紙に血痕滲む日永かな 田中亜美
れものとしての人間桜散る 田中信克
春雪が初雪先生の机上 遠山郁好
ひらひらとさくら散るなりもの忘れ 日高玲
犬ふぐり空はいちにち空であり 平田薫
丸い地球歪な世界鳥帰る 船越みよ
稜線はやさしき父性月朧 松本勇二
雪ひとひら死ねばひとひら生まる マブソン青眼
つかのまの私百景しゃぼん玉 三好つや子
鳥帰る ガザへ帰れぬパレスチナ 武藤幹
ピッコロの音聞こえたよ梅咲いた 村松喜代
囀りや銀のリボンを解いてる 室田洋子
花降る日からだの中の無人の駅 望月士郎
ポケットに何か足りない春愁ひ 山本まさゆき
折鶴の飛び立ちそうな蝶の昼 横地かをる

松本勇二●抄出

蒼穹の頬ぷるるんとつばくらめ 有馬育代
浅蜊舌出す転ぶって年の所為 石川青狼
菜種梅雨ゴリラの腕組みぽにょぽにょり 井上俊子
連れは風花珈琲店に滑り込む 岡田奈々
春障子するりと開かず子は育つ 大野美代子
風呂敷を解けば母の雪解あり 加藤昭子
工事中なら竜神さまはお花見に 河原珠美
もう喋らなくなつてしじみ蝶かな 木下ようこ
暮の春空に憧れ空の歌 近藤亜沙美
指切りのもう古い指しゃぼん玉 三枝みずほ
わが影はムーミンのママ春満月 佐々木香代子
職を転々茶色いバフンウニになる 佐々木宏
もてあます春満月と母の黙 佐藤君子
うぐいすの初鳴き火葬の森ひかり 竹本仰
冴え返る老いの深夜は臆病で 峠谷清広
神経衰弱きさらぎそっと裏返す 鳥山由貴子
和解して鳥の握手のよう五月 ナカムラ薫
赤いエゴのつぶつぶ伸ばすイチゴジャム 仁田脇一石
酢蛸噛む一気に噛めば二月尽 野田信章
風信子けむりのように母がいる 長谷川順子
腱鞘炎の右手に似たる余寒かな 疋田恵美子
ひらひらとさくら散るなりもの忘れ 日高玲
辛夷散る道祖神仄かに笑まう 平田恒子
寒夜覚め己が命の音を聞く 平井利恵
石蓴の香椀にはるかな水平線 船越みよ
春の星背中にトクホン貼ってくれる 藤野武
クリオネの頭パカッと春を喰う 松本千花
星々のこぼれて枝垂れ桜かな 水野真由美
ふたり居てひとりときどき亀鳴けり 茂里美絵
黄昏の深き吐息は男雛より 森由美子

◆海原秀句鑑賞 安西篤

背負うもの束ね葬り春の土手 伊藤幸
 作者には、さまざまな社会的人生的な責務が負わされているのだろう。こういう立場は、特定の人に集中しがちである。当人にしてみれば、そんな一切合切をこの際束ねて葬り、身軽になって春の土手に立ち、風に吹かれていたいものよと願わずにいられない。だがそういう人ほど、簡単にその責任を投げ出すわけにはいくまい。この作者も一句の中で、その見果てぬ願いを詠んだのではないだろうか。

寒明けやびりりと剥がれ水平線 桂凜火
 小寒(一月五、六日頃)から大寒(一月二一日頃)を経て節分までの約三十日間を寒といい、その期間の終わるのが寒明け。その頃厳しい寒さから解放される。その安堵感から、それまで凍りついていた水平線が、びりりと音を立てるように剥がれて、さあこれから春も近いぞと気合が入る。心なしか水平線にも明るさが射し込んできたように見ている。

猫柳ふと旧姓で呼ばれたよう 黒済泰子
 猫柳は、早春の川辺で、身を乗り出すように伸ばしたしなやかな枝に、純白の綿毛におおわれた花をひらく。その温みのある花を見た時、現在の夫にはじめて出会った頃の、まだ結婚前の旧姓で呼ばれた時のような、胸ときめく懐かしさに誘われたのだろう。その初々しい旧姓の音の質感が、作者の若き日の猫柳の触感とともに、今に甦ってきたのではないだろうか。

花曇ときどき木漏れ日の震度 小松敦
 花曇の日々に、ときどき木漏れ日のようなかすかな地震が繰り返される。南海トラフ大地震の長期予報も繰り返される中、どのような大地震が起きて、どういう被害が予想されるのだろうか。花曇の不安げな空模様の中、大地震の予兆ともいうべき微震が、頻繁に繰り返されるのにおびえる日々が続く。掲句はその現実を直視しながら、どうすればよいのかという問題提起とも警鐘ともいうべき一句をなした。

昭和百年兜太『百年』梅ひらく 高木一惠
 二〇一九年に、金子兜太の遺句集『百年』が上梓され、二〇二五年に昭和換算百年を迎えた。兜太の忌日は二月二〇日だから、ちょうど梅ひらく時期に当たる。また遺句に「梅咲いて庭中に青鮫が来ている」があり、代表句の一つに数えられている。兜太の逝去によって、俳壇の歴史は一つの節目を迎えることになった。掲句は、そのような梅にちなむ経緯を踏まえたものであり、「梅ひらく」にその意味合いが込められていよう。

ひらひらとさくら散るなりもの忘れ 日高玲
 「ひらひらとさくら散るなり」で一度切り、「もの忘れ」と我に返った句だ。さくらの散りざまを茫然と見ているうちに、我が身の周辺に起こった出来事のあれこれが、ふと忘却の彼方へ沈み込んでいくように感じたのだろう。兆し始めた「もの忘れ」現象が、さくらの散りざまと強く結びついて、作者の老いの心理のみじめさにも伝わっているようだ。天然のさくらの散る状態が、作者の生理感覚にまで及んでいるとした即身感が見事。

稜線はやさしき父性月朧 松本勇二
 おそらく故郷の山々の稜線を詠んだものだろう。作者は故郷の地に生まれ、育ち、そこで学び、職を得、家庭を持ち、そして或いは生涯をその地で過ごそうとしている。その稜線を見るにつけ、そこで生涯を送った父のような自然のやさしさを感じている。そんな山の気配や息遣いを感じつつ、稜線に差し昇る朧月を眺めていると、やがては自分も父同様に、この地で生涯を送ることになりそうだなと、思い返しているのかも知れない。

つかのまの私百景しゃぼん玉 三好つや子
 しゃぼん玉が、私自身のさまざまな姿を映し出し、ほんのつかの間の私百景として飛び立って行った。あたかも私の境涯の始終を、日に照り映えるしゃぼん玉百景にして飛び立っていったかのように。しゃぼん玉に映る絵模様を、これまでの、そしてこれからの人生模様に見立てることで、来し方行く末の感慨につながる。自分の人生をどうとらえるのか、「こころの定点観測」でもあろう。

囀りや銀のリボンを解いてる 室田洋子
 囀りは、小鳥たちが求愛や縄張りを主張する鳴き声。早春の鶯や晩春の頬白の囀りが代表的。その鳴き声の素晴らしさを、銀のリボンを解くようと喩えた。音の響きをきらびやかに映像化したもので、「銀のリボンを解」くという視覚的表現が素晴らしい。リボンを解く所作に、交尾期を迎えた小鳥たちの愛の営みが想像される。

折鶴の飛び立ちそうな蝶の昼 横地かをる
 折鶴が窓辺に置かれている。窓の外は春たけなわの昼間で、多くの蝶が飛び交っている。折鶴たちまでが、そんな蝶に誘われるように、どうやら外へ飛び立ちそうにしていると想像した。春の昼の空間は、多くの蝶の群れの息遣いに満ちているようで、生き生きとした生気に満ちている。折鶴は、今にも飛び立つ構えではないのか。

◆海原秀句鑑賞 松本勇二

蒼穹の頬ぷるるんとつばくらめ 有馬育代
 燕の頬がぷるるんと見えたと取りました。真っ青な空から人の近くまで、凄いスピードで飛んできた燕の赤い頬が、まるでゼリーのような質感をもって迫ります。上五は「蒼穹や」の方が、切れ味がでるのかもしれません。

浅蜊舌出す転ぶって年の所為 石川青狼
 年を取ると転ばないように心掛けなければならない、などとよく耳にします。作者もよく転ぶようになったのでしょうか。暗いテーマですが、ユニークな季語と口語調が深刻さを払しょくしています。

連れは風花珈琲店に滑り込む 岡田奈々
 喫茶店に滑り込んだ主人公は風花を連れだっていたようです。青空からふっと舞ってくる風花は誰もが郷愁を誘います。そういう風花を友達のように扱って明るく仕上げています。「連れは風花」まで一気に読ませることもその明るさを増幅させています。

春障子するりと開かず子は育つ 大野美代子
 春の障子はするりと開いてほしかったのですが、少しがたがたしたようです。そこから想像もつかない「子は育つ」の展開力は秀抜です。春の障子は暖かでやさしい母性に通じることも気づかせてもらいました。

工事中なら竜神さまはお花見に 河原珠美
もう喋らなくなつてしじみ蝶かな 木下ようこ
 どちらも唐突な展開に驚かされる作品です。しかしながら二句とも、妙に納得させられます。それは導入部の「工事中なら」「もう喋らなくなって」が作用しているように思います。こういう導入部によって物語に実感が出てくることがよく分かります。

わが影はムーミンのママ春満月 佐々木香代子
 思わずにんまりとします。月に映し出された影はやわらかで暖かな映像を結びます。さらに、春の満月もその効果に拍車をかけています。柔軟な感性の持ち主なのでしょう。

うぐいすの初鳴き火葬の森ひかり 竹本仰
 火葬の時間は案外長いものです。その間、森を見ていて「ひかり」を感じたことと、鶯の初音が鮮度という観点で繋がってきます。二つの事がらを並列させただけのようですが、先の観点により見事な映像性を発揮させ、新鮮な火葬俳句が生まれました。

赤いエゴのつぶつぶ伸ばすイチゴジャム 仁田脇一石
 苺ジャムの赤いつぶつぶを伸ばすという、平凡な行為に「エゴ」という形容を加えただけで、句が一気に躍動を開始します。エゴは哲学的な意味かもしれませんが、あっさり利己主義と捉えました。そういうつぶつぶをすっと書くことのできる、冴えた感覚が光ります。

ひらひらとさくら散るなりもの忘れ 日高玲
 桜の散る様子を何の思い入れもなくすっと書いておいて、下五でひっくり返す手腕に感服します。一句書いてすぐに死んでしまわない句を書きたいなんて言っていますが、まさに我が意を得たりでありました。

辛夷散る道祖神仄かに笑まう 平田恒子
石蓴の香椀にはるかな水平線 船越みよ

 見えないものを見ようとしている二句です。道祖神は村境にたっているのでしょうか。辛夷がはらりと散るのを見た道祖神が仄かに笑って見えたようです。石蓴の入ったお椀に、その香りの所為ではるかな水平線が見えたようです。当たり前のことを当たり前に書いても仕方がない、ということを教えられます。

春の星背中にトクホン貼ってくれる 藤野武
 春の星で切って読みました。トクホンを貼ってくださるのは家族でしょうか。何でもない一場面ですが、季語が柔らかくそれを包んでくれています。生活の中から詩を掬い上げるとはこういうことと知らされます。

クリオネの頭パカッと春を喰う 松本千花
 クリオネの細かな形状や生態は知りませんが、このように書かれるとパカッと割れる頭が見えてきます。そして、春を食べてしまうのです。虚構ながら淀みなく書かれているため、揺るぎない実感がありました。

星々のこぼれて枝垂れ桜かな 水野真由美
 スケールの大きさと美しさを備えた一句で、読むものを遥かな気分にさせます。こういう正攻法で勝負する作者も「海原」には必要と思います。

ふたり居てひとりときどき亀鳴けり 茂里美絵
 「ふたり居てひとり」に首肯するばかりです。夜の団欒のひと時であっても、ふとこういう時があるのを上手くピックアップしてさすがです。「ときどき」とすることで、本当に亀が鳴くようにも思えてきます。

◆武蔵野抄 70 東京 安西篤
その命買ったさくらが吹雪くから
ドローン舞い春夕焼けへ特攻す
かたつぶり両目ひらきて見る浮世
遺跡より旗振る少女夏を呼ぶ
裏声で歌う君が代昭和の日

◆雑雑抄 70 千葉 武田伸一
猫の恋木にも草にも日の当たる
春の雷ひたすら歎異抄読まず
巣立鳥癌あるままに生かされて
百花にて棺を狭くし給いぬ
花の千葉どこへ行くにも乗り継いで

◆一翳抄 2 埼玉 堀之内長一
腰痛の蠅取蜘蛛とふざけ合う
つかのまの階調冬青の花咲いた
花樗絶え間なく血はめぐり来る
郷愁やめまといとも甘噛みとも
芥子繁茂ぞろぞろぞろり死の商人

◆たづくり抄 2 東京 宮崎斗士
転機ってほら目の前のヒヤシンス
野遊びや雲形定規という時間
いくたびも空へ投函ふらここは
兜太祭ひとつの石だって春だ
しじみ汁妻には妻という哲学

◆金子兜太 私の一句

夏野なり夕方は月が出るだけ 兜太

 広島での全国大会、平成二十三年五月二十一日、ごった返す会場入り口で兜太師と初めてお会いした。というより、師に声をかけられた。いや、お願いされた。「サンドイッチを部屋まで持ってきてくれるよう、頼んでください」初参加の私は、どぎまぎ、どぎまぎ。その夜の懇親会場で、師と握手をさせて頂き、名だけは名乗れた。顔認識して頂けたか。師との思い出はこの二つだけ。月が出るだけ。句集『両神』(平成七年)より。すずき穂波

さくら咲くしんしんと咲く人間じんかんに 兜太

 花の姿に、あるがままで尊い、かけがえのない命を感得されたでしょうか。「人工的に増やした染井吉野は人が最後まで面倒を見よ」と佐野藤右衛門(初代は仁和寺の植木職人、十六代目が全国の桜保存に活躍中の桜守の名跡)の言もあり、人と関わりの深い桜です。俳句を始めて毎年お花見をするようになり、今年は嵯峨野の佐野邸を訪ねました。句集『百年』(2019年)より。高木水志

◆共鳴20句〈5月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

石橋いろり選
民族と民族の違い日曜日 阿木よう子
薄氷や母幸せな思い込み 綾田節子
口遊む繋囚の遺句もがり笛 石川義倫
鷂は初日に射られ落下せず 石田せ江子
ときおりは音符噴き出す鯨かな 小野裕三
○かの世にはドアノブひとつ寒日和 片町節子
「落穂拾い」稲雀減り甲斐の国 芹沢愛子
小鳥なら死ぬとき寒いねっていうよ 竹本仰
魂魄をこめたる一句初句会 竪阿彌放心
山彦の空いろの耳山眠る 遠山郁好
運転免許返納するかみかん山 鳥井國臣
せりなずな笑って暮らせとの遺言 中村道子
彼の地では戦車の音か除雪車来る 新野祐子
万難を生きて岡崎万寿さん師と逢う初御空 野口佐稔
「ガザ日記」「デコピン日記」初日記 藤好良
約束は守るものです富士に雪 松本千花
遠山に牛馬のたましい辛夷咲く 松本勇二
○指紋ふと迷路に見えて冬銀河 望月士郎
○切手では届かぬ手紙十三夜 森由美子
街金の錆びた看板花アロエ 山本まさゆき

後藤雅文選
雪女求人倍率高いらしい 綾田節子
表札はかまぼこの板年明ける 石川義倫
自画像を塗つては削り冬深む 石川まゆみ
金木犀むかしの恋のごと零れ 榎本祐子
こごめ雪野良着にこびりついた土 大沢輝一
冬の怒涛のよう失言の記憶 黒済泰子
○聞き役でいてくれた人冬桜 佐藤詠子
獅子舞を終え少年の眼となりぬ 白石司子
アイゼンの軋み私は生きている 新宅美佐子
ラーメンと灯す崖あり冬怒濤 鈴木修一
成人の写真瓦礫と海を背に 田中信克
煮凝りや三代前の流離譚 根本菜穂子
ぬぬ嘘じやないよね初日から真蛇 野﨑憲子
山茶花のあしたは明日の前にいる 平田薫
透き通る焚火に踊る物語 堀真知子
葉蘭はらんばらん砥石の窪みは昭和 三木冬子
小春日はあなたを偲ぶための椅子 宮崎斗士
酢海鼠や末席のやわらかい空気 茂里美絵
○切手では届かぬ手紙十三夜 森由美子
全身で泣く子なまはげを喜ばせ 若林卓宣

齊藤しじみ選
おでん酒何とあんたの色懺悔 石川義倫
着ぶくれて肩甲骨を忘れけり 石川まゆみ
師走くる軍手という名で草を抜く 泉尚子
水鳥に正義を覆う皮膚のいろ 泉陽太郎
雪隠で考える人去年今年 片岡秀樹
○かの世にはドアノブひとつ寒日和 片町節子
冬眠の軸傾きて澄む眼 川田由美子
クレーンの第二関節から時雨 河西志帆
東口出て冬薔薇を抱きなほす 小西瞬夏
四つ足で起き上がりをり寒の入 小松敦
○聞き役でいてくれた人冬桜 佐藤詠子
こめかみを両手で解す一葉忌 清水茉紀
能面が語りはじめる冬の月 白石司子
雀來て砂と小春を浴びる昼 鱸久子
饅頭熱しわれら一同こげ茶色 中井千鶴
寒菊や夕に隣家の訃報聞く 藤田敦子
人日やスローなジャズを歯科の椅子 松岡良子
除雪車のひびき居座る枕元 三浦静佳
去年今年去年今年とぞ仕舞風呂 村本なずな
○指紋ふと迷路に見えて冬銀河 望月士郎

森由美子選
寒に入る人にスマホという孤島 尾形ゆきお
何も無いことが切り札暦果つ 片岡秀樹
サバンナに夢ライオンにすこし雪 桂凜火
古日記曲がり損ねた角がある 加藤昭子
三権の真中に俺葱と立つ 神田一美
相撲部屋の横にビストロ冬茜 楠井収
とろろ汁やっぱり君は傍観者 黒済泰子
助っ人はぬるめの燗や聞き上手 齊藤しじみ
賀正とかくせ字で強く書けば遺書 佐々木宏
白鳥がときどき亡父の声に似る 清水茉紀
ごんぎつねはじめに母が泣く夜長 芹沢愛子
あやかしの冴えて道後の町光る 高木水志
戯れて疲れて枯れてねこじゃらし 田中信克
鬼となって踊り明かそう節分会 西美惠子
初富士や余生と云わず今を生く 野口佐稔
来た来た来た足の指つる夜寒 藤好良
力抜くちから賜る老いの春 嶺岸さとし
いいね夕焼いいね待つという文化 村上友子
湯ざめしていつも何かを忘れていく 室田洋子
「百年の孤独」眉間に羊朶そよぐ 茂里美絵

◆三句鑑賞

「落穂拾い」稲雀減り甲斐の国 芹沢愛子
 昨秋『金子兜太展』が山梨で開催された時、隣地の美術館でミレーの「落穂拾い」を見たのだろう。「種蒔く人」「鶏に餌をやる女」等も。高精細画像にして視たが、鳥は描かれてなかった。発想を飛ばしたのだ。稲雀減りで、昨今の米不足のこともさらっと想起させ、甲斐の国で情景が嵌った。三段切れとは言えないだろう。

「ガザ日記」「デコピン日記」初日記 藤好良
 「ガザ日記」とはイスラエル軍とハマスの戦闘をガザ出身の作家が、戦火の真下で綴ったもの。日を追うごとに親しい人たちが死んでいくという八十日間の日記。その対極にあるのが「デコピン日記」。これは、大谷翔平の愛犬デコピンの日常を綴った平和そのものの日記だ。物を並記しただけで両極の戦争と平和を象徴させている。

遠山に牛馬のたましい辛夷咲く 松本勇二
 フクシマ浪江の立ち入り禁止域の中で、やせ衰え餓死した牛馬のことか。フクシマで被曝し現在も生きている牛馬を詠んでいるとも。震災から十四年。被曝した牛馬は売れず。今も飼われているという。被曝したから、食用にならず、寿命を全うするという皮肉な話に。牛馬の魂が灯るかのように辛夷の白い花が咲くのだと。
(鑑賞・石橋いろり)

表札はかまぼこの板年明ける 石川義倫
 この頃は個人情報保護から表札を架けている家はほとんど見かけない。我が家は石の表札はちょっと大げさなのではずした。かまぼこ板の表札を架けて新年を迎えるとはかなりのユーモアの持ち主か、表札をかけることに拘る堅物か。新年の挨拶を交わしてみたい。

アイゼンの軋み私は生きている 新宅美佐子
 凍り付いた稜線歩きの光景が浮かぶ。一歩踏み間違えたら滑落の危険な尾根。アイゼンを軋らせながら生と死の狭間を歩いているのか、あるいは稜線から見渡す冬山の息を呑む光景に感動しての生の喜びなのか。アイゼンを軋ませて登攀した穂高を思い出す。

酢海鼠や末席のやわらかい空気 茂里美絵
 会席料理の宴会の景が絵画のように浮かぶ句である。上座は来客、主賓の方々のちょっと畏まった固い表情。中程はやや緩め。末席はすでに談笑のさらに緩い雰囲気。これを柔らかい空気と表現。この空気感に酢海鼠が良い味となっている。
(鑑賞・後藤雅文)

水鳥に正義を覆う皮膚のいろ 泉陽太郎
 飛躍した解釈だが、「水鳥」は炎上を煽るネット発信に耽る人と感じた。「遠くのできごとに人はうつくしく怒る」とは詩人の石川逸子の詩の一節。SNSの普及で「自分は正義」という人種が増えてしまった。私にとっては社会風刺が漂う意味深長な句である。

東口出て冬薔薇を抱きなほす 小西瞬夏
 戦後、焦土と化した東京を舞台に市民の哀歓を詠んだ安住敦の代表句の一つ「しぐるるや駅に西口東口」を連想した。改札を出た時の誰もが抱く“ささやかな高揚感”がいずれも伝わってくる。冬薔薇は洒落た題材だが、「抱き直す」のさりげない所作から日常感がにじみ出る巧みな句である。

去年今年去年今年とぞ仕舞風呂 村本なずな
 「去年今年」が念仏のようだ。「仕舞風呂」が加わり、老いの一日の一コマの感慨を描きだす。作家の沢木耕太郎は「晩年の美学」に言及して「“いま、これでいい”と思っている瞬間を連ねていけば、あるとき“終わりです”と言われた時に“はい”と言うだけだ」と語っていたが、季語の連なりが同様の境涯感を生み出した独創的な句である。
(鑑賞・齊藤しじみ)

古日記曲がり損ねた角がある 加藤昭子
 長い人生には度々選択を迫られる機会がある。その時を一番良い選択をしてきたつもりだが、古日記を読み返しているとふと、あの時あっちの方へ行ってたらなあ、などの思いに駆られる。もしかして今よりずっと楽しい人生だったかもしれない。いえいえそんなことはありません。今の選択が一番だったんですよ。

三権の真中に俺葱と立つ 神田一美
 司法、立法、行政と正三角形で保たれている国家、その真中に立っているという作者、しかも葱とである。ふかふかのよく手入れされた土の中に真直ぐ立つ、真っ白な葱に己を投影することで、日本の食を支える農業に従事する誇りと、一国民として国家を支えていると言い切る作者の潔さに頭が下がります。

「百年の孤独」眉間に羊朶そよぐ 茂里美絵
 これは焼酎か、ガルシア=マルケスの長編小説か。眉間に羊朶をそよがせたのはどっちだろう。と思いつつ、いや、作者はこの言葉自体に魅了されたに違いないと思った。心深くにこびりついている孤独感、切なく、寂しくしかし少し親しくもある拭いようもない、百年という孤独感がきっと羊朶をそよがせているに違いない。
(鑑賞・森由美子)

◆海原集〈好作三十句〉堀之内長一・抄出

もう影の濃く曳かれあり蝶の道 和緒玲子
軽やかに女は山伏大護摩供 有栖川蘭子
墓洗ふて彼岸の鰻の美味きこと 石鎚優
凡夫でもいいではないか春の雨 井手ひとみ
三月のひかりをテスト盲導犬 伊藤治美
抽出の蛸石ことこと春雪です 上田輝子
花吹雪午後の会議に立ち向かう 上野恵理
牡丹餅のような父さん山笑う 植松まめ
うろうろと君のいた街つちふるよ 遠藤路子
八十八夜アルパカ飼育員募集 大渕久幸
スナックのボトルの秘密月おぼろ 小野地香
母の着た秩父銘仙花ふぶき 神谷邦男
よこがほは餅裏返しつづけをり 北川コト
春の闇いつも踊れぬままにゐる 木村寛伸
野遊びの子らに翼や夕日し 工藤篁子
八月やにんげんがつくりしひかり 小林育子
日永切々と戦中語る母 小林文子
指相撲春愁いつか失せにけり 佐竹佐介
地に伏してなほ茫々と葱坊主 島村典子
桜満つ地球よろよろ自転せり 鈴木弘子
包帯解くからだの奥の蜃気楼 宙のふう
うかれ猫あなたの舌にすべり止め 谷川かつゑ
朧夜やフルートは売ってしまった 藤玲人
エンディングノート花の旅から書き始む 原美智子
囚人が囚人を監る白魚かな 福田博之
惜春や餡に届かぬ一口目 藤川宏樹
遠方より友蝦夷やまざくら臈長けて 松﨑あきら
アルバイト笑顔で運ぶフキノトウ 峰尾大介
竹籠にりんごの無くて林檎の香 向田久美子
永き日や稽古帰りの立ち話 横田和子

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