『海原』No.69(2025/6/1発行)

◆No.69 目次

◆海原愛句十句(4月号の全同人作品より選出)

武田伸一 選
そこは裏日本と呼ばれ雪あかり 市原正直
存分に死者をねむらせ山眠る 伊藤道郎
冬の蠅まことに小さき国に住む 奥山和子
つまるところ風呂吹食って不貞寝して 楠井収
焚火する繋がりたくない若者と 佐々木宏
祖霊のごと居座るピアノ注連飾る 並木邑人
湯のいらぬ湯たんぽ抱いて永らえて 船越みよ
大寒波自画像のまず鼻を描く 宮崎斗士
戦争を知らぬ子であれ七五三 武藤幹
レノン忌と呼び力道山刺された日 柳生正名

山中葛子 選
鵙高音SNSって鵺ですか 河原珠美
鷗出版社青空刷り上がる 三枝みずほ
沢庵噛む悲しいときは悲しき音 篠田悦子
暗号資産はてな釣瓶落しかな すずき穂波
親のために働いて冬月の静か たけなか華那
軍事郵便に俳句びつしり月今宵 野﨑憲子
木はうたう鵯はきのうの雨をおもう 平田薫
すみれ押花花の真理は朽ちるなり 藤盛和子
精子めく稚魚一匹や大河 マブソン青眼
レノン忌と呼び力道山刺された日 柳生正名

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

梅真白三分を美しと逝きし妻 伊藤巌
耳鳴りは気にしない蝶になる途中 伊藤幸
梅咲けり地球儀を買う母がいて 大池美木
水仙の黙よ野鍛冶は背を丸め 大西健司
春の雪追伸のよう遺文のよう 川崎千鶴子
寝押しの線がずれて建国記念の日 河西志帆
かさっと雪信玄袋に常備薬 北上正枝
フライパンで返したくなる冬満月 黒済泰子
レノンのような眼鏡をかける遅日かな こしのゆみこ
春寒し赤紙で来るボケ検査 後藤雅文
どつとゆふぐれ冬薔薇傾けば 小西瞬夏
鯨跳ぶようにゆっくりピアニスト 小松敦
晩節は手縫いの日々や日脚伸ぶ 齊藤しじみ
あとがきに鼓動のありて春兆す 三枝みずほ
冬落暉はらからという水溜り 佐孝石画
淡墨櫻唯玲瓏とお吟さま 鱸久子
生涯に改行いくつヒヤシンス 竹田昭江
三月は自由豆パンちくわパン たけなか華那
過疎の村遅日三百六十度 田中信克
いにしえの壁画に戦士月おぼろ 月野ぽぽな
ときどきは楡の木に凭り春隣 遠山郁好
峠にてうぐいす餅をちぎりけり 中井千鶴
柳絮飛ぶひとりがいっぱいの窓へ ナカムラ薫
焦げ臭き少年いまも花の闇 野﨑憲子
春という感じ煎餅割ったとき 平田薫
卒業すやがて点描となる明日 藤田敦子
風花は眠剤ですか過疎の村 宮崎斗士
遺品です軍艦みたいなスキー靴 森由美子
猫柳せせらぎ少女の私語に似て 梁瀬道子
昭和史のマンガ全巻春の雪 山本まさゆき

高木一惠●抄出

老木を擽ってやる春近し石川義倫
ぼたん雪天を昇れという誘惑広島石川まゆみ
三千の雛壇華やかとも憐れとも東京石橋いろり
妻は初蝶百年と三日ひらひら東京伊藤巌
梅咲いて鷺の狩場に泡生まる埼玉遠藤秀子
働いて働いて餅焦がしけり沖縄河西志帆
大根を入れる余地あり旅鞄東京こしのゆみこ
白蝶を放つ大地にいくさを許し岡山小西瞬夏
ひこばえし小枝に蕾む新世界 小松よしはる
にんげんはやはり液体春の水 佐孝石画
哀しいほど自由寒厨の灯を消せば 篠田悦子
旧駅舎線路の石に月の声 白石司子
春の日や誰もがたてとほこを持ち 鈴木孝信
寒に入る報道の無き戦争も 鈴木修一
白壽未だ若し若しと舞う櫻 鱸久子
夏うぐいすピカソ館にはガラス拭き 芹沢愛子
愚は愚からくりのように骨のばす 十河宣洋
紙風船息吹き入れて返しやる 高橋明江
暁の寒林ブッデンブローク家 田中亜美
雪は斑らに汚れて神の掌のごとく 田中信克
人間が物珍しいか初蝶よ 峠谷清広
機織轌ノ目はたおりそりのめ知らない町は雪の町 鳥山由貴子
柳絮飛ぶひとりがいっぱいの窓へ ナカムラ薫
白鳥引く誰からとなく拍手 平田恒子
束の間の面会はこべの花のよう 本田ひとみ
鶴帰るレントゲン技師の目が尖る 増田暁子
八重葎不発弾覆いガザ 人類滅亡後五句内一句 マブソン青眼
椿落つ音をうしろに水祀る 水野真由美
あ、これも死語か一瞬冴え返る 村上友子
立ち読みの背中水鳥浮かんでる 室田洋子

◆海原秀句鑑賞 安西篤

梅真白三分を美しと逝きし妻 伊藤巌
 最愛の妻を失った瞬間を、事実に即して言いとめたものだろう。その瞬間における様々な思いや、決定的次元でのあっという間の喪失感、空虚感は単なる孤独感とも違う。おそらく喪失の状況によってその矛先は周囲の人にも向けられ、行き場のない怒りやときに理不尽な不条理にぶっつけられることもあろう。また自分が今生きていることに罪悪感さえ感じてしまうこともあろう。ひたすら悲しむことでその罪悪感を洗いきよめるしかないが、それも時の癒しを待つしかあるまい。

春の雪追伸のよう遺文のよう 川崎千鶴子
 春の雪は、雪片が大きくふっくらしていて、牡丹雪という異称もあるほど。しかし溶けやすく淡雪が多い。やはり身近な人との別れを含んでいよう。春の雪の名残りをとどめた雪片を、「追伸のよう」にも「遺文のよう」にも見届けて、故人への追悼の思いを新たにしている。きっとあの人は、私に何かを伝えたかったに違いないのだが、それを直に聞き届けることはかなわなかった。今、その思いが伝わっているように思えたのだろう。

かさっと雪信玄袋に常備薬 北上正枝
 信玄袋を背負って冬の山路を歩いていると、背負った袋に降り積もった雪が、かさっと音を立てた。それによって作者がダメージを受けたわけでもないのに、なにか手負いのような印象を心に刻まれたのではないか。そういえば信玄袋の中には、常備薬が入れてあって、いざという時の備えに怠りはない。信玄袋の上から、その所在を確かめつつ、周りを見回している作者。山路で、ふと兆しだした不安感。

あとがきに鼓動のありて春兆す 三枝みずほ
 おそらく恵送を受けた著書に「あとがき」があって、そこに著者の躍如とした鼓動を感じたという。著者から直接送られてきた感銘もさることながら、その感銘の振動を上振れさせるように、「あとがき」にまざと作品の鼓動を感じさせられたという。それはこの句の作者が、著書から受けた感銘の余韻を、「あとがき」によってさらに上書きさせられたように感じたからではないだろうか。

冬落暉はらからという水溜り 佐孝石画
 見事な冬の落日を、身内の者同士で見つめている。おそらくその落日に言葉を失って、見守っている。その一群を「水溜り」と喩えた。水溜りは時とともに黒ずんでゆく。寒さも一入身に染むに違いない。そろそろ帰るかという言葉を誰かが言い出すのを待ちながら、見事な落暉の前に自ら言葉を発しようとはしない。そんな時の移ろいの中に、はらから同士の連帯感を感じてもいる。水溜りに作者独自の俳諧味を滲ませながら。

生涯に改行いくつヒヤシンス 竹田昭江
 ヒヤシンスはアスパラガス科の多年草で、春先に香りのよい花を咲かせる。しかもその花は、暖色から寒色まで色彩豊かに咲き揃う花々ともいわれる。そんなヒヤシンス同様に、作者もまた「生涯に改行いくつ」と、さまざまな人生の改行を経て、多彩な人生の花を咲かせようとして来たに違いない。高齢化時代の女性の意欲的な生きざまが見えてくるようで、「いいぞその意気」とエールを送りたくなる。

ときどきは楡の木に凭り春隣 遠山郁好
 楡は、ハルニレを指すことが多く、広葉樹で北海道や本州の山岳地帯に分布し、堅い材質と強靭な樹皮を持つ楡の木に、頼りがいのある人々との交流を思わせるものがある。春隣は春がすぐ近くにまで来ていることを指す。「ときどきは」とあるので、いつもではなくたまには楡の木に凭れて、春隣の便りを、おのが体で確かめようとしいているのかもしれない。それは、ときどきは訪れる春隣の季節感のように、まさに隣り合う感じで接してくれるのだろう。

焦げ臭き少年いまも花の闇 野﨑憲子
 焦げ臭い少年には、一本気で、熱くひたむきに行動する少年像が浮き彫りになる。そんな少年が、今も花の闇の中にあって、誰も見ていない自然の舞台で、一人芝居の稽古か、あるいは物思いにふけっているのか、長い時間を一人過ごしている。いわば、少年はそこに居場所を見つけたように、己の時間に没入しているのだろう。今やその時間は山場を迎えて、花の闇の中で白熱しているのかも知れない。

昭和史のマンガ全巻春の雪 山本まさゆき
 昭和史のマンガ全巻を最後の三十年間に限ってみても、不滅の名作とみなされるものが数多くあり、その代表作を挙げただけで、多くの人々に通じるはずだ。しかもその間、如何に進化し、愛読されて来ているかがよくわかる。「春の雪」は、その賛歌を象徴する季語として置いたものだろう。例えば、『ゲゲゲの鬼太郎』『巨人の星』『ドラえもん』『ブラック・ジャック』『ちびまる子ちゃん』等々。よって件のごとし。

◆海原秀句鑑賞 高木一惠

大根を入れる余地あり旅鞄 こしのゆみこ
 葉付きの大根でも入りそうな旅鞄を抱えて、作者は何処何処までも旅をする。猫の陶作品に句を配した表紙で馴染みの『豆の木』が昨年三十周年を迎えて、その特集号掲載の「旅ノート」は津和野から小倉へ、活字と写真がぎっしり八頁。シベリアシリーズの香月泰男美術館の紹介もあって、きっと旅鞄に入れていたのでしょう。

にんげんはやはり液体春の水 佐孝石画
 体の六割は水分という人間。〈ほどかれてほうけほうけて春の水〉に並ぶ掲句は、凍解の水がこぼれ始めた時の澄みきった緊迫感もいつか失われて呆けた姿に変わってしまう、そんな春水が人間の一生にも似ていると感じた詠か。「心身共に」と、人の心もやはり液体と思えば、その最初の清新な一滴に戻れそうな気もする。

春の日や誰もがたてとほこを持ち 鈴木孝信
 中国の思想書『韓非子』に出る「矛盾」の故事を教科書で習ったが、盾と矛を商う人が「あなたの矛で、あなたの盾を突いたらどうなるか」と客に問われ、答えに窮する話である。法治国家の理を説いた韓非子も、彼を崇敬した始皇帝も共に紀元前の人だった。そして「たて」と「ほこ」を手放せぬ人類の歴史は延々と続いている。春日遅々、平和の脆さをつい忘れてしまう……。

寒に入る報道の無き戦争も 鈴木修一
 停戦合意、砲撃再開等々、日々に報道される戦争の他に、様々な戦争が世界中に存在することは周知であろう。それを「人のごう」と諦めて、心寒い戦の影につい眼を背けてしまい、それでもなんとか真っ当な生き方を志す。舘岡誠二氏より先般恵贈の新聞「秋田さきがけ」の紙面で「一読五感に訴えるような鮮度の良い俳句を作ることを目指している」という作者の弁を拝見した。

夏うぐいすピカソ館にはガラス拭き 芹沢愛子
 前書に「箱根彫刻の森美術館五句」とある内の一句。日本初の私立ピカソ美術館で、三百点を超す多彩なコレクションを誇る。うぐいすの老練な囀りのもと、人気のあるピカソ館のガラスは汚れやすいのだろう。こちらも余念なく拭き上げている。館の近くに寄木細工の店が並んで、古代西アジアからシルクロードを経て伝来したという日本工芸の粋の幾何学模様は、ピカソのキュビズムの絵をちらと彷彿させる。

暁の寒林ブッデンブローク家 田中亜美
 「悼・櫻井泰先生」と、海原前号から追悼句が並ぶ。ドイツ文学者で、トーマス・マンの研究者であった同教授の退職時に「永遠のトニオ・櫻井泰先生の思い出」と題した作者の一文が二〇一八年明治大学文学部紀要に掲載されている。『ブッデンブローク家の人々』をはじめ深い社会洞察と哲学的なテーマを作品に取り入れたマンのノーベル文学賞受賞理由は「ヨーロッパ文化の伝統と近代社会の矛盾を探求するもの」というが、古今東西の文学作品に親しむ姿勢を生涯貫かれた兜太先生を、私は想起した。作者と共に、あらためて師を想う。

雪は斑らに汚れて神の掌のごとく 田中信克
 一面に積もった白雪が少しずつ解けて斑らになった様子は、いかにも「汚れて」の風情である。掲句の「神の掌」は、神様仏様と並べ称する些か土俗的な心情よりも、「昼も夜も御手は私(罪を犯した者)の上に重く」(旧約聖書詩篇)などとある一神教の神を想定しているように思う。「手」ではなく「掌」と表記して「つかさどる・うけもつ」という意のある掌を意識したか。斑らな雪面との対比により、人間の様々な欲望を押しつけられて汚れた神の掌を、逆に浮き彫りにした感じだ。

柳絮飛ぶひとりがいっぱいの窓へ ナカムラ薫
 独り住まいの多い集合住宅だろうか。心も「ひとり」かもしれない住人の面差しが浮かぶ。そんな窓辺へ柳絮が舞ってきて、時には都会の砂漠とも称され、季節の移ろいに取り残された景も見える。昔敦煌を尋ねた折に、観光バスの窓辺を覆うほど柳絮が舞ってきて、莫高窟の前では積もった柳絮に足をとられそうになった。

あ、これも死語か一瞬冴え返る 村上友子
 二月の東京例会で、堀之内長一特選、安西篤選だった。言葉に敏感なご両所は見逃せなかったのでしょう。死語で昨今有名なのは「ナウい」とか、Webに出ていた。いつまでも使っていると時代遅れと見なされるそうだ―そんなことはどうでもよいが、「……です」を「……になります」と表現されるとガックリくる。

立ち読みの背中水鳥浮かんでる 室田洋子
 実景として、背面に水鳥の遊ぶ池があったのか。池があっても無くても、作者の心象風景に水鳥が浮かんでいると私は解したい。立ち読みの書に水鳥が登場するとは限らず、唯そんな感じにひたされた背中を思い、句の読み手も穏やかな明るい日差しに包まれる、としてもよい。最近は椅子が置いてある書店もあるらしいですね。

◆武蔵野抄 69 東京 安西篤
 吹き溜まる言の花屑夕堤
 朧の夜ちょっと立ち寄りたき屋台
 兜太忌の叱咤を受けし春時雨
 春一番トランププーチン現象学
 卒寿路の生きざまにあり土佐水木

◆雑雑抄 69 千葉 武田伸一
 生かされて花充つ総の国にあり
 瘤のごとく孫あり長閑なる夕日
 病室に北指す磁石鳥帰る
 春時雨はるかな祖を思い寝る
 若葉風妹が人気のマルシェかな

◆一翳抄 1 埼玉 堀之内長一
 ゆりの木の花空だけ眺め暮らそうか
 合歓の花目を合わせない盲導犬
 肉親の影呼び寄せて白山吹
 赤裸裸ないのちであった袋角
 背中しか見えぬ五月の青毛追う

◆たづくり抄 1 東京 宮崎斗士
 パイプ椅子でいいと言う母木の葉髪
 遺句集やきっと解けない雪うさぎ
 風花は眠剤ですか過疎の村
 舌の上に昭和百年の煮凝
 あの日見た父の涙へぶらんこ漕ぐ

◆金子兜太 私の一句

独楽廻る青葉の地上妻は産みに 兜太

 出産のために当時住んでいた浦和から先生の実家皆野町に帰っていく皆子さん。見送る先生の目に、独楽を回す子らが見える。その時、青葉の地上を感じているところが、いかにも兜太ワールドである。先生の解説には、妻に憐れさとたくましさ、青葉の地上も感じているとある。出産と地上の青葉……この星に生命と植物が発生して以来の、自然の営みを掴んだ一句と思う。わずか十七文字に先生壮大な生きもの感覚が込められている。句集『少年』(昭和30年)より。大髙宏允

梅咲いて庭中に青鮫が来ている 兜太

 さまざまに取沙汰されている兜太先生の句であるが、二〇一二年五月、東京新宿・京王プラザホテルで「海程」創刊五十周年記念大会での祝宴の席で、私は思い切って日常考えにくい青鮫のことをお尋ねした。先生は私の胸の名札を見つつ小鼻を撫でながら「小池君、青鮫は亡くなった戦友なんだよ、うんうん」と、遠くを見つめるようなそのまなざしはとても優しかった。句集『遊牧集』(昭和56年)より。小池弘子

◆共鳴20句〈4月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

石橋いろり選
一月一日生まれが三人も居た開戦日 有村王志
蓮根のどの穴通れば平和へと 安藤久美子
夢のあと修復します七五三 泉陽太郎
国境なき地球夢見る望の月 伊藤巌
駱駝眠る透明な月を流沙に埋めて 榎本愛子
刹那とは翡翠の翔ぶ青い刻 遠藤秀子
標識がみえる冬日のダムの底 尾形ゆきお
○冬の蠅まことに小さき国に住む 奥山和子
鵙高音SNSって鵺ですか 河原珠美
ダイヤモンドダスト追伸につづく追伸 北上正枝
良頃に孵化する眠り冬の霧 小松敦
人形の片手の捥げる開戦日 菅原春み
山毛欅ぶな小楢こならさらさらと逝く山小春 鱸久子
ふるさとは日に曝されて鵙の贄 田中信克
風邪心地汽水に赤い眼の魚 鳥山由貴子
紙を切る触音が好き寒に入る 並木邑人
師の遺墨秋の夕陽に輝きぬ 疋田恵美子
麻酔覚めしゃらしゃら銀杏落葉かな 増田暁子
精子めく稚魚一匹や大河 マブソン青眼
やまいだれの散らかるわが家大掃除 宮崎斗士

後藤雅文選
冬耕は砕けた心縫い合わす 泉尚子
○大根を気合で抜いて穴覗く 植竹利江
銃声は熊かぬいぐるみ抱く孫を抱く 大久保正義
煙草火は寒しペヤング湯切りする 大西健司
いさかいのわけは正露丸冬座敷 桂凜火
数え日や端数の余生四捨五入 川崎益太郎
即興の安来節とか秋祭り 河田光江
すぐ腹の空いて山茶花すぐ咲いて こしのゆみこ
冬銀河あらすじのように旅をする 小松敦
○鷗出版社青空刷り上がる 三枝みずほ
焚火する繋がりたくない若者と 佐々木宏
雪催チワワの鼓動手にトトト 菅原春み
吹雪だね犬の骨壺抱き上げて たけなか華那
黄葉発光革命は広場から 遠山郁好
月の輪熊退屈と孤独吹き溜まる 鳥山由貴子
だんだんと程よき疎遠賀状書く 宮崎斗士
○遠く海鳴りきっと鯨の幻肢痛 望月士郎
秋の暮 犬猫窓辺や鄙のカフェ 吉村伊紅美
甲斐晩秋響めく兜太の太い文字 森由美子
半額のシール貼らるる日短 若林卓宣

齊藤しじみ選
車無き車庫の初霜やさしかな 石川和子
食乞われ牛蒡と言うて笑わるる 江井芳朗
○大根を気合で抜いて穴覗く 植竹利江
銭湯や冬がいくつも丸こまる 大沢輝一
○冬の蠅まことに小さき国に住む 奥山和子
○師走の訃音たてて読む新聞紙 北上正枝
冬日差しとろりとろりと鯵開き 後藤雅文
雪けむり画鋲を外す淋しさよ 佐藤詠子
石蕗咲けり和やかに弟生き切りて 篠田悦子
老人に水辺の時間小春かな 菅原春み
納骨の済みたる窓の暮早し 鈴木修一
墓誌名に姉妹睦みし小春空 永田和子
戻らぬ人は私の背すじ冬桜 中村道子
さくと斬る白菜戦近づく気配 藤野武
吾子の正論プラスチックの鏡餅 船越みよ
どんぐりを蹴ってさざなみ三歳児 本田ひとみ
ハンガーに外套吊し今日を処刑 望月士郎
○老老や湯豆腐一丁酒一合 森武晴美
礼状を書き終えてより時雨かな 矢野二十四
手の平はしずかな器ミカン受く 横地かをる

森由美子選
モアイ像より 星月夜なら歩けます 綾田節子
枯葉たちすでに音符となっている 石川青狼
鱈捌く軍手に光る鱗かな かさいともこ
○師走の訃音たてて読む新聞紙 北上正枝
つまるところ風呂吹食って不貞寝して 楠井収
われ病みてバッタ捕る蜘蛛見ていたり 黒岡洋子
何ワクチン何何ワクチン十二月 小林ろば
○鷗出版社青空刷り上がる 三枝みずほ
沢庵噛む悲しいときは悲しき音 篠田悦子
失恋の演歌みたいに冬の雨 峠谷清広
大正はきらきら光る冬の蝶 藤田敦子
まったりと月を見ましたなんて噓 松本千花
楽観しようベンチでハトと日向ぼこ 三世川浩司
じゃあ僕は檸檬売り場に本を置く 宮崎斗士
冬の蝶民主主義とう壊れもの 村本なずな
○遠く海鳴りきっと鯨の幻肢痛 望月士郎
○老老や湯豆腐一丁酒一合 森武晴美
昼月が指にのりさう開戦日 柳生正名
海の名の連なる路線冬うらら 山本まさゆき
冬銀河流れて峡の灯となりぬ 吉澤祥匡

◆三句鑑賞

一月一日生まれが三人も居た開戦日 有村王志
 開戦日に偶々居合わせたのだろう。あるいは開戦日に同日生まれが三人いたのか。物事の始まりに一日は縁起がよく目出度い。当時は役所への届け出は融通がきき、一日にあえてずらした可能性も。世論の戦勝モードまでがこの句から透けて見える。因みに兜太師の父君伊昔紅氏と岡崎万寿氏(昨年誕生日前に逝去)も一月一日生まれ。菅原春みの〈人形の片手の捥げる開戦日〉は戦争を始めてしまった後悔が象徴的に表現されている。

鵙高音SNSって鵺ですか 河原珠美
 鵙の高音は有無を言わさず響いてくる。昨今のSNSの高速伝藩されていく情報は、鵙の高音に似て騒々しく土足であがりこんでくる感がある。鵺は伝説上の気味の悪い生物だ。正体不明の恐ろしさがよりSNSの怖さを増幅している。

蓮根のどの穴通れば平和へと 安藤久美子
 世界中で戦争がなくならない今、平和への道筋が定まらないでいる。多数あいた蓮根の穴のどの穴を通れば答えは見つかるのだろうか。他に、伊藤巌の〈国境なき地球夢見る望の月〉、奥山和子の〈冬の蠅まことに小さき国に住む〉。マブソン青眼の人類滅亡後の五句も反戦句だ。
(鑑賞・石橋いろり)

数え日や端数の余生四捨五入 川崎益太郎
 俳味の効いた句。年末の世間のせわしさと距離を取るには大雑把が良い。余生とはしがらみから解放されて、おおらかに過ごせるとういことか。年を聞かれれば90歳、100歳もう正確な年は不要。生きている間生きるという開き直った姿勢が長寿の秘訣。

月の輪熊退屈と孤独吹き溜まる 鳥山由貴子
 「退屈と孤独吹き溜まる」は身につまされる。森に十分な食料が得られない熊の生活は大変。その熊の生活を追い詰めている人の余生も大変。日々日曜日の退屈と孤独の吹き溜まりの中で引きこもりになりそう。五七五と指をおり精神の健康を保とうとしている。

だんだんと程よき疎遠賀状書く 宮崎斗士
 「程よき疎遠」に惹かれた。この言葉で昨年の賀状書きを振り返った。近しい人にはLINEで済ますことにし削減した。出したのはたぶん「程よき疎遠の人」であった。賀状は印刷に一筆加筆して出しているが、程よき疎遠を保つのに丁度良いと気づいた。
(鑑賞・後藤雅文)

墓誌名に姉妹睦みし小春空 永田和子
 墓誌に刻まれた没年や年齢などからは戦死、夭折、長命など家族史や家系図が図らずも浮き彫りになる。かつて悲しみに包まれた姉妹の死も時が過ぎれば逝きし世の面影の一つになる哀しい現実が伝わってくる。歌人の窪田空穂の歌「哀しみは身より離れず人の世の愛あるところ添ひて潜める」を想い出してしまう。

ハンガーに外套吊し今日を処刑 望月士郎
 「外套」が意味するところは、「外向けの自分」と解釈。社会生活で自分の意思に反することで納得せざるえないことは数えきれないが、それは組織の「和」を保つ宿命でもある。作者も一日を思い返して、不甲斐ない「自分」を処刑したい気分に見舞われたのだろう。でも私はこんな諧謔的な句が大好きだ。

手の平はしずかな器ミカン受く 横地かをる
 「手の平」は“器”の機能がある一方で、嘆きや願いや許しを乞う所作にもなり、紛争地域のニュースでも見かける光景の一つだ。この句には淡々した言葉の流れの中に作者の深い思いを感じる。やや脱線するが、芝不器男は、論語の「君子は器ならず」が命名の由来と知るにつけ、“器”の持つ意味の多様さに気づく。
(鑑賞・齊藤しじみ)

師走の訃音たてて読む新聞紙 北上正枝
 バタバタと忙しなく動き回る師走、ふと目にとまった訃報に慌てて新聞を開く。新聞ではなく新聞紙としたことに注目。パリパリと新しい新聞を読むのではなく、読み終えて斜めに放り出された新聞の中に見つけた訃報。がさがさと慌てて開いているのです。忙中の一瞬の驚きに亡き人を思い感慨に耽る。しみじみと共感しました。

失恋の演歌みたいに冬の雨 峠谷清広
 ネガティブの標本みたいと読みながらもどこかニヤッとさせられた。失恋を涙や酒や汽笛やあぶった烏賊などの道具立てでこれでもかと情感込めて歌いあげる演歌。もう充分暗くて寂しくて重い冬に冷たい雨の追い打ちかよ。どうにもならない冬の気分を軽くおちょくって見せる。厳しい状況に置かれている石川県の気骨でしょうか。

昼月が指にのりさう開戦日 柳生正名
 昼月をおはじきみたいに指にのせてみる?いや「開戦日」という大きさに読み直す。あの昼月のぼんやりとした白さにその大きさや距離を測ることなく戦端を切ってしまったあの日。たまたまの幸運に酔って誤算と錯覚にひきずられ、洗脳されていったその後の苦難。あり得ない現実に呑み込まれてしまう人間の危うさは今も続いているような気がします。
(鑑賞・森由美子)

◆海原集〈好作三十句〉堀之内長一・抄出

生の字のバランス難ししゃぼん玉 和緒玲子
恨むほどの心持ち得ず山葵漬 有栖川蘭子
飛込台は三歩ほどらし春の雲 石鎚優
春愁やホットフラッシュスイッチオン 上野恵理
如月やわたしの少女逃げてった 遠藤路子
そのことは水に流して芹薺 岡村伃志子
大寒波家具の如きに家にゐる 小野地香
ドクターイエロー富士の裾野の忘れ雪 神谷邦男
桜に洞死に逝くときはここへ 亀田りんりん
れんげの花冠世界が大きかったころ 花舎薫
次女という愁いと気楽ライラック 北川コト
なごり雪生真面目そうな轍です 木村寛伸
地の塩とならむ被弾の臥竜梅 工藤篁子
花冷えの夜は優しき手を探す 香月諾子
湯豆腐や辺野古の海の底力 小坂修
海苔あぶる母の手ひらり晴天です 小林育子
行火抱く祖母の火種の小さく赤く 小林文子
熊本の味噌組合の遅日かな 佐竹佐介
音もなく爪のびてをりひこばゆる 鈴木弘子
春泥をヒップホップで行くをとこ 宙のふう
こめかみを忘れて亀に鳴かれおり 谷川かつゑ
啓蟄や武甲の山の化石掘る 塚原久紅
春の富士ときどき空中浮遊かな 藤玲人
大寒は黒いコートと決めて行く 服部則行
子羊の初おひろめや風花舞う 原美智子
パーカーに脱帽のなき寒さかな 福田博之
ほろほろと降る雪それぞれの一秒一秒 松﨑あきら
梅はまだ最上階は空家らしい 峰尾大介
草萌や速度を緩めてもいいか 向井麻代
しだれ梅会話の語尾もはんなりと 横田和子

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