『海原』No.63(2024/11/1発行)

◆No.63 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

落し文分らぬように巻き戻す 綾田節子
静寂な咆哮もあるこの濃霧 石川青狼
熟練ナースの綺麗なうなじ鷗外忌 伊藤幸
草いきれ謀叛のごとく波うてる 伊藤道郎
リラ冷えの小樽不機嫌なソムリエ 榎本愛子
寝落つとき部屋中あやめ咲かすなり 榎本祐子
魂迎え家族がぎゅっと連れだって 大髙洋子
梅雨蝶や古着屋の路地行き止まる 大西健司
孫の飼う金魚いつでも知らん顔 奥村久美子
片頬にかすり傷ある三尺寝 小野裕三
負けん気のひとりで着れぬ藍浴衣 かさいともこ
兜太なき秩父白十字の花まみれ 桂凜火
老鶯ややはらかき過去すこし食べ 木下ようこ
木下闇のようなアドレス手わたさる こしのゆみこ
白服の無声映画の町の音 小松敦
触れないほどに避けないほどに藤花 佐孝石画
嬰の歯は冬青そよごの蕾まだ三日 鱸久子
心経は妣の経なる夏断かな ダークシー美紀
芥子の花パッチワークのひと世なり 竹田昭江
触角ごと濡れた老婆の麦藁帽 竹本仰
九条がそっとそのまま路地の夏 田中信克
荒梅雨や前垂れ千切れし野の仏 樽谷宗寬
薔薇切って移ろいやすきもの素足 遠山郁好
草刈をしたいと能登へ帰りけり 日高玲
梔子の見知らぬ時間のような昼 平田薫
不在なる桐が咲いても不在なる 藤田敦子
沖縄忌切り岸に切り抜かれた人々 藤野武
散骨は海がいいねときゅうり揉む 増田暁子
土偶を見る妻を見ている月夜 マブソン青眼
朝顔やうしろ歩きのルーティーン 三好つや子

大西健司●抄出

本日はブラウニーなど焼いて夏至 大池桜子
人と会う約束斑猫見失う 奥山和子
今日もまた全裸で歩きニボシ噛む 葛城広光
空箱に流砂の熱よ黒あげは 川田由美子
厚切りの西瓜頬張る装蹄師 日下若名
木下闇のようなアドレス手わたさる こしのゆみこ
食卓の少女の伏し目桃すつぱし 小西瞬夏
あじさいや男の香料鼻につく 小林花代
浜昼顔ふるえる風に買う切符 鈴木修一
葬送の果ての麦秋レゲエかな すずき穂波
春光や無表情な猫抱きあげる 芹沢愛子
未生の世の私が居ます流星群 立川真理
音階を半音ずらし夏の葱 舘林史蝶
霧青し水の底なる獣骨も 田中亜美
鉄骨剥き出し黒南風がやってくる 田中信克
森の奥の風の十字路更衣 遠山郁好
天窓に守宮遊ばせ牛飼座 並木邑人
糠床につば競り合いの茄子・胡瓜 根本菜穂子
うたたねのあなたは鯰河童忌の 長谷川順子
草刈をしたいと能登へ帰りけり 日高玲
沖縄忌切り岸に切り抜かれた人々 藤野武
元気とは密になること蟬時雨 藤盛和子
少年の痩身泰山木の花 堀真知子
岩に座し億万の日の余熱 マブソン青眼
梅干しのこの酸っぱさという遺品 宮崎斗士
鳳仙花隣町まで母借りに 三好つや子
ヒロシマや輪になって差すうしろ指 望月士郎
インディオの老婆の騙る露台かな 山下一夫
焼きそばの匂ひ残れる夏越かな 山本まさゆき
八月の泌尿器科とは狭き門 渡辺厳太郎

◆海原秀句鑑賞 安西篤

リラ冷えの小樽不機嫌なソムリエ 榎本愛子
 「リラ冷え」とは北海道だけに通じる気象用語で、五月下旬頃なんとなく暖かくなってきた時、思いがけなく急に冷たくなる気候のこと。リラは、ライラックの花でフランス語。いかにもロマンティックな語感なので、俳句や小説でよく使われる。小樽は洒落た坂と運河の港町で、洋風の飲み屋は老舗が多く、経営者にソムリエが多いだけに、酒も精選されていてプライドが高く客を選ぶ傾向がある。勢い不機嫌なソムリエとなり勝ち。そこがかえって店の品格を保つ所以でもある。掲句は、リラ冷えの季節感を、小樽の特色とともに見事に描き切った一句といえる。

孫の飼う金魚いつでも知らん顔 奥村久美子
 おそらく掲句の対象となった金魚は、水槽に一匹だけ飼われている金魚で、いつもその家の孫に、長い時間惚れ惚れと見入られているのだろう。金魚は、そんな人間のまなざしに慣れ切ってしまったのか、いつも近々と寄ってくる顔に逆に見飽きたのか、いつでも知らん顔をして、ぷいと横を向いてしまう。そこが金魚のプライドになっているのかも知れず、いかにも大型出目金の豪華さが見えてくる句だ。

片頬にかすり傷ある三尺寝 小野裕三
 「三尺寝」は、昼寝のことだが、この場合は屋内というより、屋外の現場で働いている職人風の男の昼寝を想像させる。その昼寝男の片頬には、かすり傷があって、まだかすかに血の滲んでいるような生なましさが残っている。それが男の不敵さとともに、狭い場所で寝ている現場感を活写しているともいえよう。

兜太なき秩父白十字の花まみれ 桂凜火
 兜太師没後早や七回忌を迎えた。すでに俳壇の歴史に刻まれている兜太像ではあるが、今もなお何かにつけて兜太師の思い出が、昨日のことのように取り沙汰されている。それだけ兜太師は一つの時代を画しているのだ。旧金子家の原型を遺す皆野の壺春堂は、市の文化財として訪れる人々が引きも切らないという。ここでいう白十字の花とは、夏のドクダミ(別名十薬)の花だろう。生前の兜太師を夏の人という評価があった。今秩父に咲き乱れている白十字の花は、兜太師像の現前を彷彿とさせる。「兜太なき秩父」は、その映像を花に託しているのだ。

嬰の歯は冬青そよごの蕾まだ三日 鱸久子
 冬青は、春に筒形の四弁の小花を開き紅色球形の実を結んで、葉は褐色の染料となるという。そんな暮らしにつながる題材を、おそらく身近な孫か曾孫の生え初めた乳歯に喩えたのだろう。それは嬰の健やかな成長ぶりの発見につながるとともに、冬青の蕾のような新鮮な印象に重ね合わせてみたものに違いない。「まだ三日」には、待ち望んでいた思いのかなった喜びが、大きな余韻を残しているようだ。

薔薇切って移ろいやすきもの素足 遠山郁好
 作者独特の心理の屈折感が詠まれている。「薔薇切って」と「移ろいやすきもの」のつながりの読みがポイントだが、そのつながりを結ぶものが「素足」となると一義的な解釈を許さない。薔薇を切ったことによる花のいのちの移ろいやすさが、暮らしの中の移ろいやすきものと響き合う。しかもその結び目を素足とすることで、暮らしの地べた感を出している。つまり素足の肌感覚で受け止めているのだ。その時、地に落ちた薔薇の花に、無常感を探り当てたのだ。

草刈をしたいと能登へ帰りけり 日高玲
 能登大地震を経て早や一年が経とうとしているが、復興は道路の分断もあって遅々として進まない。それどころか南海大地震の予兆すら報じられる。そんな時、能登出身の友が、せめて故郷の草刈りなりとしたいと帰っていったという。平凡な叙述のようだが、迫り来る危機の再来を、故郷への思いに乗せて鋭敏に感受している。その時評感覚を見逃すわけにはいかない。

沖縄忌切り岸に切り抜かれた人々 藤野武
 六月二十三日は沖縄慰霊の日。昭和二十年のこの日、二十数万人の犠牲者を出して戦いは終わった。「切り岸に切り抜かれた人々」とは、摩文仁の丘に追いつめられた人々が、断崖から身を投じて自決した映像。まさに迫真の映像を詠んだもので、著名なものだけに今さらの感もなくはないが、沖縄忌の日が来るたびに思い返される歴史の悲しみは、決して古びることはない。「切り抜かれた人々」は、セピア色の迫力を今に伝える。

土偶を見る妻を見ている月夜 マブソン青眼
 今年度現代俳句協会賞受賞作者の句。「一茶」「原発」「縄文土器」等の連作で、異色のテーマ性を追求している。この土偶は「縄文土偶」に違いない。その土偶を見ている妻は、夫の句業を触発したものを、あらためて月夜の中で見直すとともに、その歴史的なオブジェの不思議な存在感を、愛おしむように眺めているに違いない。なにやらその土偶に情感のふくらみすら感じながら。

◆海原秀句鑑賞 大西健司

本日はブラウニーなど焼いて夏至 大池桜子
 私などには縁遠いこのおしゃれな日常がいい。あまり馴染の無いブラウニーだが、アメリカ生まれの濃厚なチョコレートケーキだという。そんなケーキを焼きながら鼻歌なんかをふんふんやってそう。実にリズミカルに切れよく”夏至”と収めたうまさだろう。

今日もまた全裸で歩きニボシ噛む 葛城広光
 広光さんとはリモート句会で一緒になるから、この生態がよけいに面白い。句会の間中、実に自由に振る舞う。
 自然体でいられるうらやましさ。腰が悪いとかで寝転んで見たりとか、煙草を吸ったり、ふっといなくなったりとか見ていて楽しい。そんな広光さんの日常にすっぽんぽんで歩く習性があるのが何とも良い。中年のおじさんが裸で歩いているのは想像したくないが、何よりニボシを噛み噛み歩くというリアルさがいい。よくぞニボシを持ってきたなと思う。他のものではダメ、無季でいい。
 そうはいってもこれが広光さんの素のままの日常なのだろう。比べてはダメなんだろうが私はついつい桜子さんとの暮らしぶりの違いを思い気に入っている。どちらも人の営みが窺えて味のある句になった。

焼きそばの匂ひ残れる夏越かな 山本まさゆき
 夏越の行事に屋台でも出ていたのだろう。後片付けをしていても、まだそこここに焼きそばの匂いが残っているという。何ともこの素朴さがいい。まさゆきさんの句はどれもごくありふれた日常を書いていてほっこりする。
 テーピングしている酒屋の主人がいたり、庭師がいたり、昔ながらの町の風景が見えてくる。その風景がどれもなつかしい。

サンダルの片方脱いで紅茶飲む 〃
 同じ作者のこの句だが、縁側にでも腰掛けているのか、縁台だろうかと楽しくなる。しかし紅茶は渋いなあ。

あじさいや男の香料鼻につく 小林花代
 整髪料か香水かたしかに気に掛かる。ましてや梅雨時の蒸し蒸しする電車の中などではなおだろう。露骨に顔に出していたりして。ところでこの句は紫陽花とあるだけに屋外、その辺に紫陽花が咲いているのだろう。
 ただ”あじさいや”では素っ気ない気がするのだが、たとえば”七変化”ではどうだろう。どこか男の胡散臭さが増すのでは。やりすぎかな。

厚切りの西瓜頬張る装蹄師 日下若名
 この句の良さは装蹄師という馴染のない職業を持ってきたことにつきる。馬の脚や蹄を管理する専門の技術者のことだという。そんな装蹄師の何気ない暮らしの一コマがいい。ただ”厚切り”はいかがなものか。この上五を工夫すればもっと装蹄師に寄り添うことが出来る。        
 例えば”桶に凭れ””馬塞ませに凭れ”凭れてばかりだがいろいろと書きようはある。

休馬日の水飲み桶に瑠璃揚羽 〃
 馬と装蹄師の交わりなどをもっと踏み込んで書ければ面白い世界が広がるだろう。

草刈をしたいと能登へ帰りけり 日高玲
 心がじんわりと温かくなる能登への思い。作者自身のことだろうか、それとも身近な人のこと。きっぱりと能登へ帰るという意志の強さよ。そこは故郷だろうかそれとも大切な場所。そんな能登へ草刈に行く。”したい”という物言いに思いの熱さが溢れている。あの大地震に負けずに蘇る能登の海や山や空。棚田に漁港、小さな町の佇まいが愛おしい。

浜昼顔ふるえる風に買う切符 鈴木修一
 なんとも切ない気分にさせられる。あきらかに深読みだろうがどこか故郷との決別を思ってしまう。季語の浜昼顔は六月頃あちらこちらの海岸に咲く、淡紅色のアサガオに似た花。そんな海辺の町から汽車に乗るのだ。
 ”ふるえる風に買う切符”この叙情性の素晴らしさ。
 余計なことだが、寺山修司作詞のあの古賀メロディーがいつしか胸底に響いてくる。

元気とは密になること蟬時雨 藤盛和子
 高齢の作者の力強い一句が嬉しい。やはり人間孤独では生きていけない。コロナ禍で密になるのを禁じられた日々の味気なさを思い出しながら読ませていただいた。
 特に俳句は座の文学、大勢だろうと少人数だろうと句座を囲む楽しさを思う。どんどん人前へ出てゆく作者の前向きさを見習いたい。

 今回も好き勝手書かせていただいた。文句なく上手い句や味のある句、そしてどこか気に掛かる句とさまざま。取り切れなかった句に未練を残しつつおしまいとします。

◆金子兜太 私の一句

昭和通りの梅雨を戦中派が歩く 兜太

 十二月八日の大本営発表も、八月十五日の玉音放送も、共に耳に残っている。そして戦後の日本を青年・壮年として夢中で生きてきた。私も戦中派のはしくれだと思う。そしてこの句を読むたびに、歩いている戦中派と私は重なる。私を形作った昭和。生き抜いた昭和…。それは特別だ。梅雨のように重い。気が付けばいつも昭和の中を歩いている。句集『百年』(二〇一九年)より。伊藤巌

昭和通りの梅雨を戦中派が歩く 兜太

 戦中派とは、終戦時二十歳前後の極めて人口の少ない世代である。純粋に時代を担い、喪失感から戦前でも戦後でもないと言う。「昭和通り」には、永遠に続く昭和の幻影がある。日常の映像に、心の景を重ね、歴史の中の人生を思い返す。日常の言葉の意味が共鳴し、重層化し、平和と自由の体感を造型する。偉大な先生の戦争と平和である。句集『百年』(二〇一九年)より。長谷川阿以

◆共鳴20句〈9月合併号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

江良修 選
◎父の忌の辛夷あなたの強い筆圧 石川青狼
休憩は草餅二つ小旅行 大西宣子
○木炭もダイヤも炭素労働祭 片岡秀樹
憲法記念日夢二の電車軋み行く 河田清峰
誰もみな生きたまま死ぬ蜃楼 河西志帆
母の日や磁石のような父がいる 佐々木宏
花すすき手ぶらの散歩という怖さ 芹沢愛子
○花は葉に家系図に入る赤ん坊 髙井元一
最終の同窓会通知聖五月 髙尾久子
母の日は父が好きだった花も盛る 滝澤泰斗
鍵盤に放つ指先夏近し 月野ぽぽな
春の風鈴やわらかく肉を煮る 鳥井國臣
母親の胎内恋しい四月来ぬ 中川邦雄
囀りや逝く人にまだ窓を閉じず 中村晋
寂びれたる古刹境内二輪車 疋田恵美子
かんたんにうなづくまいぞ花は葉に 藤田敦子
○やわらかな思想あつまる田植かな 松本勇二
児を乗せるママの素っぴん若葉風 嶺岸さとし
春の遅刻ドアにスカート挟まった 村上友子
紫雲英田に車座という民主々義 村本なずな

片岡秀樹 選
◎ミルフィーユ春愁挟んでおきました 綾田節子
戦争が犇めいている蝉の穴 有村王志
◎父の忌の辛夷あなたの強い筆圧 石川青狼
さつき晴れ信じることの専門家 泉陽太郎
ダヴィデ像昏き匂いの沈丁花 榎本愛子
春の風邪乳液の瓶さか立ちに 黒済泰子
○袖口に蝶一頭の着地感 小松敦
廃校の後の廃村蝌蚪生まる 菅原春み
○花は葉に家系図に入る赤ん坊 髙井元一
水紋は二人で一つ桜桃忌 立川弘子
レース編む人にかすかな滝の音 田中亜美
夕暮れる蝶に汚れた指のまま 月野ぽぽな
拝復と書く風強き日の田植 遠山郁好
烏野豌豆ひとの形をすぐ忘れ 鳥山由貴子
ふらここや古里は今基地の中 仲村トヨ子
余呉の湖あらそわぬひとおぼろなり 日高玲
夕立という身体の中の鈴 北條貢司
その罪にレモン一滴許されよ 松岡良子
○やわらかな思想あつまる田植かな 松本勇二
ぼうたんの時の生まるる前の白 柳生正名

佐藤詠子 選
◎ミルフィーユ春愁挟んでおきました 綾田節子
歯の抜けた経年団地黄水仙 石川青狼
自分は自分青葉若葉の世界観 井上俊一
真向に猪緑真空に 奥山和子
港はいま霞の中のプラモデル 黒岡洋子
○袖口に蝶一頭の着地感 小松敦
風は木を越え思春期の君よ 三枝みずほ
草の実やひとの故郷に来ています 芹沢愛子
春泥のはみだしたくてたまらない 高木水志
さえずりそっと口述筆記しています 田中信克
げんげ田の跡に総合病院よ 疋田恵美子
しつけ縫いほどにモクレン見る軽走 北條貢司
眠り草触れば閉じます心療内科 増田暁子
激辛カレー花冷えの夜勤です 三浦静佳
目撃者の顔になってる梅の青 三好つや子
花菜包む朝刊に空爆の記事 室田洋子
はずかしいから多弁紫陽花さらに濃く 茂里美絵
血縁を軽く置き去り芋嵐 山下一夫
つまづいて押されて池の花筏 山田哲夫
万緑や寝そべる吾は道祖神 山谷草庵

鳥山由貴子 選
◎ミルフィーユ春愁挟んでおきました 綾田節子
睡蓮の朝はおでかけワンメーター 安藤久美子
◎父の忌の辛夷あなたの強い筆圧 石川青狼
深閑と蜂が水飲む孤高かな 石田せ江子
時の記念日倍速で見るニュース 江良修
眇して春の傷口舐めている 大沢輝一
春塵や古地図に残る処刑場 大西健司
○木炭もダイヤも炭素労働祭 片岡秀樹
無人機の飛び交う夜の蛍かな 河田清峰
百合の香の部屋で転びし父の傷 木下ようこ
発破技士の肩に初蝶遊びけり 楠井収
素っ気なく酒酌む鯨のような奴 十河宣洋
嘴で翼繕う春の夢 月野ぽぽな
足早の兄を切る風白い睡蓮 遠山郁好
あなたとは別の空気を読み梅雨入 根本菜穂子
春の蔵少年海を恋うとあり 日高玲
国境線軋ませ夏の蝶の影 水野真由美
言い訳は紙の手触りシクラメン 室田洋子
ぶら下がるだけで鉄棒鳥雲に 梁瀬道子
AIの掃除機ぐずる春の闇 渡辺厳太郎

◆三句鑑賞

憲法記念日夢二の電車軋み行く 河田清峰
 竹久夢二の生誕百四十年を記念した路面電車が岡山市で運行されたようだ。折しも憲法記念日。大正ロマンを代表する夢二の電車が軋む。ロマンは夢であり理想でもある。軋む音から、作者は、理想の象徴である憲法が改憲の議論で揺らいでいることを感じたのだろう。取り合せが絶妙と思った。

母親の胎内恋しい四月来ぬ 中川邦雄
 他の句から作者は長い間難病と闘っていることがわかる。不自由に慣れ気力を保ち未来に向かって頑張っている姿にただただ敬服するばかりである。そんな予備知識がなくても、掲句は、様々な人生の苦難に直面している多くの人間の心を代弁しているようだ。心身ともに純真無垢であった胎内への郷愁。きっと作者は四月生まれに違いない。

囀りや逝く人にまだ窓を閉じず 中村晋
 この窓は柩の蓋の窓。出棺の前、お別れの儀式を終えて窓を閉じようとすると、外から小鳥の囀りが聞こえてきた。「少し待って。逝く人にこの清らかな囀りをしばし聞かせてあげよう」見送る人たちの優しい笑顔が見える。囀りが聞こえている間、逝く人と送る人と共有の時間が緩やかに流れてゆく。抒情詩。
(鑑賞・江良修)

戦争が犇めいている蝉の穴 有村王志
 セミの一生は俗に「七年七日」と言われる。昏い穴の中で、臥薪嘗胆を期して、ルサンチマンは溜め込まれ、次なる暴発は醸成される。「蝉の穴」は、たとえば塹壕であり、墓穴であり、身体に刻まれた弾痕であり、魂に穿たれた空洞である。戦争はそこから這い出し、全霊を以って世界を強振させる。

レース編む人にかすかな滝の音 田中亜美
 実景とすると、避暑地の旅館か別荘か。編み物をする女に、開け放たれた窓から滝壺に落ちる川音が聞こえてくる。だが、心象だとすると、瀑布の音は女が発していることになる。編んでいるのはレースだから、男のためのものではない。落差は女自身の中にある。美しく、同時に不穏な句である。

夕暮れる蝶に汚れた指のまま 月野ぽぽな
 一読ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』が想起される。「蝶に汚れた指のまま」に、取り返しのつかない罪を犯した自責と呆然は端的に示され、赫々とした「夕暮れ」に、イノセンスの喪失は深々と照らし出される。だが、我々の書くという営みは、多かれ少なかれ無垢の喪失と表裏一体のものだ。
(鑑賞・片岡秀樹)

袖口に蝶一頭の着地感 小松敦
 散歩道のベンチで一休み。無防備な作者の上着の袖口に偶然蝶が止まった。それほど大きくはない蝶が迷いなく着地。小さな命と対峙することになった作者だが、意外と冷静に受け止めている。「着地感」という落ち着いた表現でそれがわかる。また、蝶一匹ではなく、蝶一頭の表現に惹かれた。静かさの中に頭一つの「動」が見える。

春泥のはみだしたくてたまらない 高木水志
 春先のわくわく感は隠せないものだ。長い冬を終えた作者自身の想いを春泥と喩えたのだろう。それまで固まっていた心が溶け出す感覚が見える。これほど言い切れるのは、きっと大きな訳がある。春になったら変わろうという決意があるのかもしれない。春泥の艶めき加減と、日常の機微を重ねた表現がいい。大胆かつ繊細だ。

万緑や寝そべる吾は道祖神 山谷草庵
 何と幸せな景だろうか。道祖伸は村境、峠などの路傍にあり、外来の疫病や悪霊が入らないよう守る神である。万緑の下、大の字になり目を瞑ると、様々な音が聴こえてきたのであろう。産土の今昔も肌で感じたのかもしれない。道祖神という素朴ながらも住む人々の要になる存在を、下五置いたことに作者の郷土愛もある。
(鑑賞・佐藤詠子)

百合の香の部屋で転びし父の傷 木下ようこ
 プルースト効果と呼ばれる現象がある。百合の香に満ちた部屋に入った途端に、その現象が起きたのかも知れない。忘れていた古い記憶や感情が突然甦り、バランスを崩してしまったのだろうか。その傷はまるで、今まで触れることのなかった父の過去や心情が目に見える形となって表れたようにも思える。父の傷とのあらたな時間。

国境線軋ませ夏の蝶の影 水野真由美
 褄紅蝶を思った。台湾で見たその蝶に鹿児島で遭遇したことがある。私の身体をゆっくり掠めていった何か。それが褄紅蝶だと気付いた時にはもう、鳥のようにぐんぐんと上昇し、夏空にくっきりとその美しい影を浮かびあがらせた。さらに西へ向かい、どんどん小さくなってゆく。きっと国境線も越えられる、とそのとき思った。

AIの掃除機ぐずる春の闇 渡辺厳太郎
 春の闇の中でぐずる掃除機。そのうち機嫌を直すだろうと苦笑しているのか。AI掃除機はすでに感情を持ち、人間を困らせることを覚えたのかも知れない。そもそもAIとは何なのか研究者たちの考えはバラバラで、まだ明確に定義出来ていないようだ。中には「知能を持つメカ」「心を持つメカ」とする者も。やはり不安になる。
(鑑賞・鳥山由貴子)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

青田風考の書斎のがらんだう 和緒玲子
皆さんのいいようにしてとさくらんぼ 有栖川蘭子
万葉仮名といふ海原や泳がむか 石鎚優
うつくしき鉢に玩具の金魚かな 井手ひとみ
空好きの隔世遺伝茄子の花 伊藤治美
弟の自衛隊の友括る夏 伊藤優子
レノン似と言ってくれよとサングラス 植松まめ
素足にて新居の床の毛を拾う 遠藤路子
ストロングチューハイ薬にして斧鉞ふえつ 大渕久幸
蝉生まれ来て海峡を睨みけり 小野地香
雨降れば豆飯山煙って美し 梶原敏子
短夜の手術の朝となりにけり 神谷邦男
なめくじのくじのあたりがぬめります 木村寛伸
荒梅雨や兜太亡き世のなほ戦 北川コト
自由とは稟議書越しの雲の峰 香月諾子
増殖の迷惑メール黴の花 小坂修
噴水のリズム怒りの長電話 小林育子
仮の世を生き長らへて泳ぐかな 佐竹佐介
冷酒で夏の気持を語るなり 重松俊一
逝きし師のアドレス消せず夏旺ん 鈴木弘子
お引っ越木下闇は置いてゆけ 宙のふう
産土は他人の住所せみしぐれ 谷川かつゑ
父の日の激情の酒呑み下す 津野丘陽
背を向けし母の訃報の避暑地より 藤玲人
鋤く友と出合う故郷や春の空 灘谷美佐子
トマト生り亀虫つぶすほかはなし福井明子
配膳も兵器もロボット入梅かな 藤井久代
セルフレジセルフマネージ夏バテす 松﨑あきら
かなかなや下駄つっかけて行きしまま 向田久美子
終戦日薄きテレビの背に隙間 路志田美子

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