『海原』No.40(2022/7/1発行)

◆No.40 目次

◆海原秀句 同人各集より

安西篤●抄出

斑雪老婆焦土に国旗挿し 綾田節子
キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
出来ぬこと幾つも増えてクロッカス 伊藤巌
リハビリの綾取り縺れ日脚伸ぶ 榎本愛子
麦秋と青空の旗 土がたわれは 岡崎万寿
西東忌前後左右の他人かな 小野裕三
変えていいルール早春の白線引く 桂凜火
雪割草ひさかたという一隅を 川田由美子
葉桜や暗号交はす弟たち 木下ようこ
根開きやあっけらかんと艶話 佐藤君子
春あらしみな素顔にてウクライナ 鈴木栄司
土を縫う種漬花たねつけばなよ返し針 鱸久子
不燃性家族そのうち一人たんぽぽ化 すずき穂波
子を逃がし護国に戻るミモザの日 高木一惠
風の私語水の私語ある春彼岸 竹田昭江
夜桜やロシアにロシアンルーレット 竹本仰
春装や癒えて久しき針もつ手 立川弘子
爆音の街の蘖として生きる 田中信克
蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
反戦歌初蝶のまだ匂わない 遠山郁好
幾千のアトリの輪舞いくさ果てよ 新野祐子
キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
全面的にひまわり咲かそうウクライナ 服部修一
白木蓮ここから私の海がはじまる 平田薫
椿落つ猫とじゃれ合う鍼灸師 松田英子
切株や戦死者靴を天へ向け マブソン青眼
春の木や戦場に名をなくしつつ 水野真由美
母を看るさくら貝この散らばりよう 宮崎斗士
茎立や貴方にはあなたの動詞 森武晴美
欣求穢土ぼうたんのひらききる 山本掌

大西健司●抄出

キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
もう抱かれぬ躰水仙咲きにけり 榎本祐子
笹鳴や屋根を開いてごらんなさい 大髙洋子
火球とぶ夜勤の道の盆やぐら 荻谷修
弟に駆け落ちの過去目張り剥ぐ 加藤昭子
ふらここを横に引っぱってはだめ 河西志帆
息せぬ子まるごとくるむ毛布かな 鈴木修一
万愚節食べられさうな草ばかり ダークシー美紀
溜息は泡立つ時計蕗の薹 高木水志
まぎれなく戦ありしよ黄砂降る 田口満代子
自分で髪切ってちゃんと寂しく四月 たけなか華那
泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ 竹本仰
夜桜のどこかおどけた喉仏 舘林史蝶
シェルターに産声響く春三日月 田中信克
丸描けばいずれも目玉春の闇 田中裕子
悼むときムスカリは色濃くゆれる 月野ぽぽな
蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
花冷えのような地名ね「リビウ」 遠山郁好
春雷や母さん今日なぜ優しいの 遠山恵子
春の夜のわたしの身体にわたずみ 鳥山由貴子
服従を拒みて紋黄蝶となる 中條啓子
余寒この瓦礫の中に瓦礫の墓碑 中村晋
幾千のアトリの輪舞いくさ果てよ 新野祐子
キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
冬ぎしぎしの点在殉教史のはじめ 野田信章
春鰊とても上手に食べました 前田恵
すべて嘘だったと言ってくれドニエプル川 マブソン青眼
朧夜を歩く魚を踏まぬよう 望月士郞
茎立や貴方にはあなたの動詞 森武晴美
蝶々来てゾルゲの墓の露西亜文字 柳生正名

◆海原秀句鑑賞 安西篤

子を逃がし護国に戻るミモザの日 高木一惠
 ロシアのウクライナ侵攻によって国を追われた人々が、 国境で家族と別れ、祖国を守る戦いに戻ってゆく姿が放映されていた。三月八日は、国連が定めた「国際女性デー」。イタリアでは「ミモザの日」と呼ばれる。ちょうどミモザの花咲く頃、小さな黄金色の花々が、懸命に父や夫に呼びかけるようで、別れの哀感に胸を衝かれるものがあった。こんな悲劇を戦後八十年近い歳月を経て、繰り返されなければならないとは。兜太先生が幾たびも十五年戦争前夜といい、「戦あるな」と呼び掛けられたこと、今にして身に染みる思い。

反戦歌初蝶のまだ匂わない 遠山郁好
 反戦歌が湧き上がっている野に、「初蝶のまだ匂わない」とは、どう解釈すればよいのだろう。二月に始まった戦争に、まだ息をひそめるようにして成り行きを見守っているということか。舞い出た初蝶は、まだ体臭を伴うほどの実感には達していないとみたのか。いずれにせよ、なんらかの危機感を覚えながら、反戦歌を聞きつつ平和を守る願いを、どう実現できるかとのためらいやせめぎ合いがあって、身につかない思いへのいら立ちなのかも。

春の木や戦場に名をなくしつつ 水野真由美
 ウクライナ侵攻の戦場の跡は、建物はおろか街路樹や公園までも、破壊し尽くし焼き尽くさずにはおかなかった。そこにあった春の木々は名もわからない。その惨状を、「戦場に名をなくしつつ」と詠んだ。あたかも先の大戦で、多くの無名戦士の墓標が立てられたことに連脈する景だろう。作者は、心情に触れると全身で慟哭することをためらわない人だ。ウクライナの映像に揺さぶられるものを感じたに違いない。

切株や戦死者靴を天へ向け マブソン青眼
 やはり戦争の現実を詠んだもの。あるいは戦争の現実を想望したものともいえよう。根こそぎ切り倒された切株の上に、戦死者の遺品となった靴が置かれている。靴は天へ向かうかのように、靴先を天空へ向けている。それは声なき声として、発せられているものだろう。同時に、不条理な戦争への告発を叫んでいるかのようでもある。「俳句弾圧不忘の碑」の建立に尽力した作者ならではの一句ともいえる。

春あらしみな素顔にてウクライナ 鈴木栄司
 ロシアの侵攻に苦しむウクライナの人々の素顔が、刻々とSNSで報じられている。その映像はまさに、春のあらしそのものと見たのだ。「春の嵐」といえば、気象条件が浮かび上がる。作者は「春のあらし」と平仮名表記することによって、歴史的事件へと転じた。みな素顔で泣きじゃくり、苦悶の表情を隠さない。その裏に多くの悲劇の現実が隠されていることを暗示している。

幾千のアトリの輪舞いくさ果てよ 新野祐子
 アトリは、晩秋北方から飛来する渡り鳥で、幾千もの鳥の群れが鳴きたてながらやってくる。その壮観から、今ウクライナで始まっている戦争に思いをいたし、アトリの鳴き声に異様な訴えのようなものを感じつつ、戦争よどうぞ収まってくれとの願いを込めて祈る句。アトリの群れに、ウクライナの人々の叫びを感じているようだ。アトリの輪舞は続いている。

出来ぬこと幾つも増えてクロッカス 伊藤巌
 クロッカスは、早春に花をつけ暖かくなると休眠してしまう。老いれば誰しも覚えがあろうが、昨日まで出来ていたことが、次々と出来なくなることも増えてくる。そんな時、クロッカスの地を這うように咲く花々の終わる姿を見て、身につまされる淋しさを味わっている。

茎立や貴方にはあなたの動詞 森武晴美
 暖かくなると、野菜の花茎の中に抜きんでて伸びてくるものがある。そうなってしまうともう調理のしようもなくなる。子供のおませな口ぶりをみていて、あなたにはあなたの動詞があるのね、もうついていけないわとばかり、言語感覚の世代間ギャップを感じているのだろう。それが特に現れるのが動詞の表現だ。具体的な例示は、家族の身辺に覗えよう。

キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
 今どきの若者言葉を使って、初恋の衝撃を咲き始めたつるバラの花に喩えた句。「キュンです」が面白い。いわゆる「胸キュン」の意だが、小ぶりのつるバラのように可憐で、「キュンキュン」と続くようなショックとも受け取れ、若い世代の言語感覚のふるまいが、端的に体に突き刺さるように感じられる。

春装や癒えて久しき針もつ手 立川弘子
 しばらく病んでいて、久しぶりに病衣から春装へとよそおいも新たに、縫物を始めたのだろう。縫っているのは春装そのもの、すこし華やいだ感じの衣装に、心も晴れやかに針を運んでいる。「久しき針もつ手」も軽やかに、喜びが溢れている。家事裁縫を女のたしなみとして育った世代ならではの生活感覚なのかもしれない。

◆海原秀句鑑賞 大西健司

キュンです。咲き初めしつるバラ 石橋いろり
 まさにキュンとする一句。メジャーリーグの実況放送で大谷翔平のホームランに「翔平キュンです」と実況席のアナウンサーが絶叫。その時のキュンが忘れられない。この句は咲きはじめたつるバラの愛らしさに思わず呟いたのだ。旬の言葉を使って好句となった。早い者勝ちだ。

もう抱かれぬ躰水仙咲きにけり 榎本祐子
 初老の美しい女性が佇む日本海の海辺に凜と咲く水仙の健気さを想う。ドラマの一場面か重厚な小説の一章が切なく想われる。着物の衿をあわせる女性は水仙の化身だろうか。男はただ虚しくこのような妄想を抱くのである。何とも悩ましい一句。

息せぬ子まるごとくるむ毛布かな 鈴木修一
シェルターに産声響く春三日月 田中信克
 生と死の対比があまりに哀しい。鈴木氏の句からは理不尽に生をたたれた子への絶望があまりに重い。その哀しみを、その現実を押し隠すようにまるごと毛布でくるむのである。まるごとという措辞が上手い。
 一方、田中氏の句からは生の喜びが伝わってくる。ただそこはシェルターの中。今にも砲声とともに禍々しいものがやって来るかも知れない。理不尽な侵攻、破壊が続くなかも懸命に生きる人々にとって新しい命の誕生は希望の象徴だろう。何とか生き抜いてほしいと願うことしか出来ない現実が辛い。

自分で髪切ってちゃんと寂しく四月 たけなか華那
 たまらないほどの孤独感。最初このように読んでいたのだが、しばらくたって思うことは意外とあっけらかんとしているのではないかとのこと。「ちゃんと寂しく」ここからうかがえるのは想定内の寂しさだろう。長い一人暮らしだろうか、ちゃっちゃと自分で髪を切って、四月は想定内の寂しさだとたくましくいう。そんな都会の一人暮らしの女性のたくましさにリアリティーを感じる。

泣くほどのことかよ冷やし中華だぜ 竹本仰
 俳句というより一行詩に近いのかもと思いつつ、この一句から離れられないでいる。なんともいえない哀愁漂う情景に引かれる。ある食堂でのこと、冷やし中華始めましたの頃だろうか。テーブルの冷やし中華をはさんで座る二人の男、一人が泣きながら何かを訴えているのだろう。
 それに対しもう一人の男が何気なく話を逸らす。今年最初とはいえたかが冷やし中華だぜと明るく言うのだ。
 そんな男二人の関係性、手厚い友情を思うときどっぷりとこの世界観にはまっている。剛速球ではないがこの何ともいえないくせ球が気にかかる。

蛇穴を出たらミサイル飛んできた 峠谷清広
 こちらは何ともストレートな句だ。どこか風刺画のような味わいを感じる。日本人も首をすくめていると、いつかこのような状況に出くわすかも知れない。そんな警告とも取れる。あまりにも理不尽な行いへのストレートな怒りが伝わってくる味わいある一句。

花冷えのような地名ね「リビウ」 遠山郁好
 この溜息のような「リビウ」という地名が心に響く。私は溜息のようなと感じた。作者は花冷えのような地名と捉えた。ウクライナ西部の歴史の古い美しい街リビウ。
 その美しい街を哀しいと感じるいまの状況が切ない。避難民の溢れる街に打ち込まれたロケット弾。こうなるとただ地名から感じる想いを口にするだけではすまない。作者の言う花冷えのようなという想いがあまりにも切なく響く。花冷えという季語は桜の頃の突然の寒さをいうが、リビウの街も突然に凍りつくような出来事に見舞われた。
 リビウの街を、人々を案じつつ美しく一句に仕上げた手腕を讃えたい。

春の夜のわたしの身体にわたずみ 鳥山由貴子
朧夜を歩く魚を踏まぬよう 望月士郎
 何と幻想的な光景だろう。繊細な感性が捉えたものは似ている。鳥山氏は春夜に溶け込む身体を水だという。
 そしてそれはあたかも潦だという。美しい断定。
 一方望月氏は朧夜に揺蕩う水を幻視しながら、そこに魚の存在を捉えている。朧月夜の薄絹に包まれたような道を歩けば、そこはあたかも青く揺蕩う水の中。作者は魚を踏まぬようとやさしさを表出する。
 兜太先生の〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている〉を彷彿とさせる、生きもの感覚の美しさを想う。

キエフ春泥おかあさんこわいです 野﨑憲子
 映像で見るキエフの街の惨状にこう書くしかないのだ。
 なにを書いても傍観者であることの虚しさ。
 誰かが言っていたが、先の戦争のときに子供だった親がテレビを見ては怯えるのだと。この戦渦の街をみんながさまざまに書いているがこんな句はもう書きたくない。
 一日も早く平和をと願うばかり。

◆金子兜太 私の一句

漓江どこまでも春の細路ほそみちを連れて 兜太

 昭和60年。金子先生が朝日俳壇の選者になられた年の3月。先生を団長に中国漓江下りの旅が催された。桂林に前泊。漓江は小雨に煙って峨々たる山容は南画そのもの。その間を船は進んでいった。両岸に点在する小さな村落。河に沿って細い道が続いていた。先生は後の自句自解に「漓江が夫、細路は妻のやさしさ」と書かれた。ご一緒だった皆子先生の面影と共にありありと思い出される。句集『皆之』(昭和61年)より。伊藤淳子

日の夕べ天空を去る一狐かな 兜太

 昭和42年に熊谷に転居して、しばしば読んでいた『詩経国風』(吉川幸次郎注)の「王風」の中の夫の留守をまもる妻の歌〈君子于役〉(せのきみはたびに)を俳句にしたものである。自句自解には「夕暮れどき狐が一匹、空をさあーと翔けてどこかへ消えていきます」「この狐は自分の夫かもしれない。あるいは夫のところへ飛んでいく自分かもしれない」とあるが、皆子夫人への労りの気分をさりげなく書いた愛妻句であって、狐は兜太師自身だと思う。『金子兜太全句集』収録の『狡童』(昭和50年)より。小松よしはる

◆共鳴20句〈5月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句

狩野康子 選
数の子を噛み無性に響く頭蓋 石川青狼
鵙の贄釦ひとつひとつ外す 榎本祐子
古本屋電気に群れていし冬が 大沢輝一
ものの芽や季節背負って快快 太田順子
句会後の水割り焼酎死者生者 岡崎万寿
水仙をまんなかとする都市計画 小野裕三
街に風花脚注を付すように 片岡秀樹
野火迫る冷たい耳を揃えている 桂凜火
手にとれば位牌は狐火ほど軽い 佐々木宏
過ぎ去った愛を並べてホットレモン 佐藤千枝子
やまとことのはとりとめもなき夜の雪田 口満代子
十指空に冬芽のように愛してみよ 竹本仰
転倒の一瞬長し冬光る 田中裕子
ミルキーな牡蠣大きくてフリル付き 蔦とく子
身籠るや人肌ほどに春の山 中内亮玄
レノン忌のあまたの石が脈を打つ ナカムラ薫
○山も河も被曝の仲間初日の出 中村晋
しきみとう踏み固めし雪詩を食べて 並木邑人
野を冷まし猟師が帰る言霊も 松本勇二
曼陀羅のどこかが欠けて綿虫とぶ 吉田朝子

川崎益太郎 選
高齢を何故祝うのか黄水仙 阿木よう子
賑わいの虚空のかたち案山子展 有村王志
開戦日漬物石が見当たらぬ 伊藤雅彦
オミクロン株を尻目に蛇穴へ 江井芳朗
寒月光穴を掘る人埋める人 片岡秀樹
春の窓ことばさがしの二歳かな 河田光江
人訪わぬを疲れというよ龍の玉 川田由美子
冬ざれて百鬼夜行を見たようだ 清水恵子
半分は母半分はしゃぼん玉 清水茉紀
冬の月墓標のごときビルの群れ 白石司子
○棄てられたマスクのやうにちぎれ雲 高木一惠
仁義なき闘い春のオミクロン 立川弘子
冬の水無季の俳句は許せない 遠山恵子
乏しきをエコと言ひ換へ年あらた 長尾向季
花は好き名が嫌いなの木瓜の花 仲村トヨ子
雪激し「うちかて夜叉になりますえ」 中村道子
どんどの火桜冬芽のまま焼かれ 藤田敦子
寝正月夢の言葉に付箋する 松田英子
花八手思春期という殴り書き 三浦二三子
訃報というキリトリ線や冬鴎 望月士郎

村本なずな 選
○胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
鼻歌の気付けば軍歌十二月 伊藤巌
悴む手が月とはぐれて帰れない 榎本愛子
一角はすずなすずしろ古墳浴 大高俊一
木枯しの奥へ奥へと通院す 大野美代子
毛細血管図崖一面の蔦枯るる 鎌田喜代子
雪が降る會津八一の仮名文字の 北村美都子
終電車解体さるる聖樹あり 小松敦
○えくぼなら母にも窓にも雪野にも 佐々木宏
飼犬の鎖冷たし震災忌 重松敬子
一葉忌えみから涙になる途中 清水茉紀
加齢による反抗期です八ツ頭 芹沢愛子
○冬あたたか鮭のはみ出る握り飯 ダークシー美紀
冬蒲公英青空固くなるばかり 瀧春樹
雪知らぬ雪予報士の騒がしき 東海林光代
ノートにはぎゅうぎゅう詰めの春の風 中内亮玄
出直せる余生いつでもちゃんちゃんこ 嶺岸さとし
紙の音して小説の駅に雪ふりそむ 望月士郎
冬ざれの耳のうしろの小さな凪 茂里美絵
冬銀河に行ったよ尻尾のあった頃 森由美子

山田哲夫 選
断捨離の断で躓く年の暮 石川青狼
○胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
いっそかろやか元日という空白は 狩野康子
「冬眠です」と言ひて母逝く星月夜 北原恵子
着膨れて富士に憑かれて箱根まで 小泉敬紀
めくられて十二月八日千切らるる 小西瞬夏
○えくぼなら母にも窓にも雪野にも 佐々木宏
欠けるとこありても睦み寒卵 佐藤詠子
雪雲が寝そべっていて過呼吸 清水恵子
○冬あたたか鮭のはみ出る握り飯 ダークシー美紀
○棄てられたマスクのやうにちぎれ雲 高木一惠
無口といえば海鼠といえば父の酒 竹田昭江
○山も河も被曝の仲間初日の出 中村晋
穏やかな断絶もあり注連飾る 藤田敦子
死ぬ気などなくて死にゆく薄氷 船越みよ
嘘すこし閉じこめ洗面器の薄氷 松岡良子
石蕗の花老いてゆく日を軽やかに 松田英子
理科室のよう一人暮らしの元朝は 宮崎斗士
やわらかなおじぎをひとつ冬木の芽 室田洋子
感情は冬の翡翠ホバリング 横地かをる

◆三句鑑賞

古本屋電気に群れていし冬が 大沢輝一
 古本屋と冬の取り合わせ。ふうっと作者の世界に迷い込んでしまう。覆いかぶさるばかりに積まれた古本。ときおり背表紙の金色が鈍い光を放つ。上から釣り下げられた電気に冬が群れる。決して蛍光色ではない赤みを帯びた電球。古本屋を愛する作者の思いがかすかな危うさを伴い漂う。

水仙をまんなかとする都市計画 小野裕三
 すべては水仙のイメージから始まる。冬に開花し花の姿から清楚な感じ。球根に毒を持つ。今号伊藤雅彦氏の句は水仙から母の項を連想しておりこの句も心に沁みた。揚句は水仙のイメージを真ん中に都市計画という発想の飛躍が素晴らしく、俳句の持つ多様性と伝達力に気付かされた。

やまとことのはとりとめもなき夜の雪 田口満代子
 やまとことのは、辞書に「大和言の葉」源氏物語(桐壺)「伊勢、貫之に詠ませ給へる」とあり、王朝の和歌と思える。この語は序詞のように「とりとめもなき夜」を導き、相聞歌を想像させる。ただ降り続く雪ではなく、雅びに人のうつつも夢ものせてとりとめもなく降る夜の雪である。
(鑑賞・狩野康子)

開戦日漬物石が見当たらぬ 伊藤雅彦
 十二月八日は、太平洋戦争の開戦日である。日本の敗戦により戦争は終わり、戦争は歴史の一頁として塩漬けにされた。以後、日本では戦争は封印されて来た。しかし、世界では以後も戦争が各地で起こっている。特にこの度のロシアのウクライナ侵攻は、戦争を知らない世代にまで、リアル戦争を提示している。まるで漬物石が外れ、どこかを捜しても見当たらない状態である。

冬ざれて百鬼夜行を見たようだ 清水恵子
 ロシアのウクライナ侵攻は、日々激しさを増し、全く終息の気配が見えない。その様子は、百鬼夜行のごとくである。この句の投句された頃は、まだ、その正体が見えないので、「見たようだ」と、やや、緊張感なく詠まれているが、その後、その正体が暴かれる序章のような句である。

冬の水無季の俳句は許せない 遠山恵子
 俳諧自由を標榜している「海原」誌に、このようにはっきり詠う勇気に驚いた。季語を超える言葉がないと無季の俳句は成立しないと言われている。季語の「冬の水」が、断定の力強さを表わしているように思う。「嫌い」でなく、「許せない」という言い方に、どのような意見等が出されるか。
(鑑賞・川崎益太郎)

一角はすずなすずしろ古墳浴 大高俊一
 近年、古代史に様々な発見があり、各地の古墳も注目を集めるようになったが、ここはそれ程有名な古墳ではないのだろう。なにしろ一角は畑になっており、蕪や大根が植えられているのだから。しかし、なだらかな丸みを帯びた古墳は見ているだけで穏やかな心地になる。天気も良し。これを「古墳浴」と言わずして何と言おう。

一葉忌えみから涙になる途中 清水茉紀
 赤貧洗うがごとき生活の中、数々の名作を残し、わずか二十四歳で夭折した樋口一葉。貧しくとも、誇り高く微笑んでいたに違いない。しかしふとした拍子に一気にそれが崩れることもある。作者も何かに耐え、微笑んでいたが、今、こらえていた涙が溢れそうになっている。そうさせたものが温かい優しい言葉であってほしい。

加齢による反抗期です八ツ頭 芹沢愛子
 反抗期と言えば自我が芽生える四歳児あるいは独立を求める思春期だが、作者はその原因を加齢によるものだと強弁する。我々が医師の診察を受けた際、最もがっくりくるのは、「加齢ですね」のひとこと。もうなすすべもない。加齢ならどうしようもないのだ。そこへもってきてごろんと八ツ頭。これは手強い反抗期ですよ。
(鑑賞・村本なずな)

胎動を撫でて小声の福は内 石橋いろり
 「小声の福は内」が何とも素晴らしい。日常生活の中の出産という一大行事。やがて生まれ出てくる新しい命を、密かに期待する親や家族の気持ちが、じんわり滲み出てくる気がして、思わず祝福の言葉をかけたくなる。少子化傾向が一向に止まらないどこかの国の若い親たちの心にこの幸せをお裾分けしたい一句である。

山も河も被曝の仲間初日の出 中村晋
 山や河で代表された「も」は、他にも自然に存在する多くを物が合む「も」だ。被曝は自分たち人間のみでなく、全てだという認識からの詠出が、ずしりと心に響く。やはり、大震災の被曝地福島の作者だからこその認識だと思う。新しい年を迎えて、被曝を乗り越え、更に力強く生きたいとする希望の『初日の出』が美しい。

感情は冬の翡翠ホバリング 横地かをる
 冬の翡翠を見たことは無いが、作者は、感情は冬の翡翠だという。この喩の見事さにまず脱帽。ホバリングは、鳥がはばたきながら空中にとどまっている状態だから、これもまた冬に堪えている作者の感情の停滞状況の喩でもある。日常の自らの心を篤と見つめる醒めたまなざしの持ち主だからこそこうした喩も生まれてくるのだろう。
(鑑賞・山田哲夫)

◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出

春の川投網の円周率ひかる 有馬育代
俳号に蝶の思いもなくもなし 淡路放生
励ましはスローモーション蘖ゆる 飯塚真弓
桜散る娼婦と呼ばれたひとの居て 井手ひとみ
クールぶってやってきたのに亀鳴くよ 大池桜子
鞦韆を揺らして五臓六腑かな 大渕久幸
疫禍余波辺地に及び冴え返る 押勇次
トゲクリ蟹わたしは負けた訳じゃない かさいともこ
ややこしく出来た人間鳥交る 葛城広光
蛇穴をいでて地雷のなき方へ 木村寛伸
難民のザックの犬よ春遠し 後藤雅文
樹幹いま春の小川の音がする 小林ろば
運命とは花鳥風月そして僕 近藤真由美
ふるさとの高さ競はぬ山笑ふ 鈴木弘子
貝寄風や想ひ出といふ持病 立川真理
マニュアルを歩む旅人かげろうや 立川瑠璃
カド※来たるいざ出番なり谷空木 土谷敏雄 ※秋田の方言 
りんりんと春動かしてゆく奥羽 福井明子
葉桜になる前はまだ他意はない 福岡日向子
多喜二忌やロボットの背に乾電池 福田博之
蝶を殺す食ふだけ殺す野原かな 藤好良
花ミモザ老身を寄せ風分かつ 保子進
つばくらめ廃墟の街に子どもたち 増田天志
なんでそんな人がいるの菫には解らない 松﨑あきら
三階の市長室あけ花惜しむ 村上紀子
春宵や文庫に付きしチョコレート 山本まさゆき
牡丹の芽初湯のように雨を浴ぶ 吉田和恵
桑の實やむかし少年驢馬の旅 吉田貢(吉は土に口)
木の葉髪濡れ手を離れがたきかな 路志田美子
菜の花やふかい地下から反戦歌 渡辺のり子

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