◆No.39 目次
◆海原秀句 同人各集より
安西篤●抄出
冬帽子ムーミンパパのお古だな 綾田節子
曽祖母の夜咄締めは「生き過ぎた」 石川まゆみ
ムンクの叫び凍滝と言えないか 伊藤道郎
生き切ったいや生き切れず金魚玉 宇田蓋男
サイバー空間千頭の蝶放たるる 榎本祐子
国境の楤の芽童の瞳の一心 大上恒子
つくし煮る生きてるかぎり母の味 大野美代子
花りんごマトリョーシカは無口です 岡崎万寿
冬菜みな手傷を負っていたりけり 小野裕三
君の部屋やさしい獣の巣のように 河原珠美
独り居に闇尖りくる久女の忌 黒済泰子
海市までプロパンガスを配達す こしのゆみこ
ストリートピアノ一小節を燕かな 三枝みずほ
ダイヤモンドダスト弦楽四重奏響く 佐藤博己
遠き世の土偶の無言三月尽 白井重之
ざらめ雪断捨離はせず生きんかな 鈴木康之
鳥獣戯画そろりと参ろう春の闇 髙井元一
感情のもつれほぐれし風花や 田口満代子
春の日の屈折率を恋という 竹田昭江
国跨ぐ黒煙それが春なのか 田中信克
透明な樹木の残る春の鹿 豊原清明
ハスキーボイス少女の中を砕氷船 鳥山由貴子
雛飾り雛仕舞いウクライナ遠し 中村晋
遠雷を空爆ときく国もあり 野口思づゑ
ふきのとう薹立ち東北震災忌 服部修一
拒否の眼の少女ふり向くヒヤシンス 増田暁子
言えなかったやさしい言葉花ミモザ 松井麻容子
素心蠟梅ためらいは凜々しくもあり 村上友子
麦踏みし足が戦車の前に立つ 柳生正名
木五倍子垂る開拓村またひとり去り 吉澤祥匡
野﨑憲子●抄出
戦況からCMへ桜前線へ 石橋いろり
兜太の忌しゃぶりたらず叱られる 稲葉千尋
侵攻止められず緋木瓜白木瓜更紗木瓜 植田郁一
渾身の膝立ち上る初燕 上野昭子
獏も食わぬ独裁者の春の夢 江良修
抽斗に隠されていく百合鴎 小野裕三
啓蟄や耳かき一本の愉悦 川崎千鶴子
戦争嫌やたゞ寒沢川は不器用や 久保智恵
切通し春雲一気に湧きあがる 佐藤稚鬼
花咲爺風花売りとすれちがふ 鈴木孝信
シマフクロウの神の座高し雪解風 鈴木修一
それぞれの消えてゆきかた雪催 芹沢愛子
立春や空っぽの僕らの青さ 高木水志
山独活を晒せば透けてくる民話 瀧春樹
波打つ薄氷あつかましい平和 谷口道子
雪月夜われのみが知るパスワード 董振華
遠く白魚火リュウグウの砂こぼる 鳥山由貴子
大らかな出雲の坂に春の虹 中内亮玄
朧夜に触れたら流砂なのでした ナカムラ薫
こぶし咲く戦火を燃やし継ぐ星に 中村晋
猫の恋地球に誰もいないのか 丹生千賀
反戦句碑は同志のたましい風光る 疋田恵美子
猪神や爆音で目覚めた少女 日高玲
美き星に生きもの在りき戦争す 藤野武
白鳥帰る白い絶望をかかえ 本田ひとみ
ちりめん雑魚人体淡く海になる 松井麻容子
追伸は風の椿の樹下にあり 水野真由美
三月のひかり水切りりりりりり 望月士郎
桜貝なみだは遠い昔のこと 茂里美絵
シャワー越し青葉のひとみあふれをり 輿儀つとむ
◆海原秀句鑑賞 安西篤
曽祖母の夜咄締めは「生き過ぎた」 石川まゆみ
曽祖母というからには曽孫もいて、核家族化のすすんだ大都市とは異なり、地方ではまだかなりの大家族の暮らしがあるのだろう。それでも昔の夜咄を聞いてくれる曽孫がいる限り、まだしも自分の居場所はある。触れ合いを保ちうる者がいるからだが、いつまで続くものやらと思えば、やがて来る〈そのとき〉への不安は喩えようもない。作者はまだ余力を保っているはずだが、「生き過ぎた」という感慨を、他人事ならず受け止めているに違いない。
生き切ったいや生き切れず金魚玉 宇田蓋男
前句に続く境涯感の句。ほぼ同世代の作者ならではのものだろう。老いてからの人生の送り方は難しい。高齢化社会の今日、己の人生を振り返って「生き切った」と言い切れる人はどれだけいるだろうか。自らに問い直して、「いや生き切れず」と省みる。「金魚玉」は、ある日ふと何気なく目にとめたとき、ちいさな空間にうごめく生きものの姿に、胸を衝かれるように〈いのち〉を感じ、それがそのまま己の境涯感へ突き刺さっていったのだ。
サイバー空間千頭の蝶放たるる 榎本祐子
サイバー空間とは、コンピューターやネットワーク上に構築された仮想空間で、今や国際間の戦争も先ずサイバー攻撃から始まるとされている。ウクライナ戦争などまさにそうだった。目に見えないものだけに、その怖ろしさは測り知れない。そんな仮想空間へ、千頭の蝶を放つ。いわばメカニカルな空無の空間へ生きものの蝶を放って、生の空間として捉え返そうとする。そこに生きてこその思いも込めながら。
君の部屋やさしい獣の巣のように 河原珠美
亡き人への追慕の句とみてよい。これは作者の境涯に照らしての感慨なのだが、大切な人への思いは時間とともに薄れていくものではなく、むしろ純粋な形で結晶化されていく。愛する人を失ったとき、その部屋は獣の巣のような乱雑さで、生々しい温もりを残していたに違いない。作者は今も忘れ得ぬその印象を「やさしい獣の巣」と捉えた。その思いは夫との愛の思い出にもつながる。
ざらめ雪断捨離はせず生きんかな 鈴木康之
「ざらめ雪」とは、春、日中に溶けた雪が夜再び凍結し、それを繰り返してできるざらめ糖状の積雪。「断捨離」は、不要なものを減らし生活に調和をもたらそうとするヨガの思想。作者は、今世に流行する「断捨離」の思想には同調せず、あえて「ざらめ雪」のように繰り返し活用する道を選ぼうとする。有限な資源の地球を、「もったいない」で生きようとしているのだ。「ざらめ雪」こそ我が生き方と居直っている。
鳥獣戯画そろりと参ろう春の闇 髙井元一
「鳥獣戯画」は、京都高山寺にある国宝の紙本墨画四巻。動物の生態を擬人的に描いたもので、そこにはさまざまな人間への諷刺が込められている。「そろりと参ろう春の闇」には、作者自身、戯画の端くれにひそかに紛れ込み、動物の一つとして人間をからかってやれば、さぞ面白かろうにという。中七の狂言風の言い回しで、どこか異次元の世界を目指すかのようなおどけ振りをもって、自己劇化を試みた句。
感情のもつれほぐれし風花や 田口満代子
感情のもつれは、身近な者同士であればあるほど、複雑でさまざまな根深い絡み合いを伴うもの。そんなしがらみを抱えながら生きて行かなければならない。風花の舞う空間は、そのしがらみが一気にほどけて、多くの断片を撒き散らしたように見ている。それは作者の無意識のうちのカタルシスだったのかも知れない。
雛飾り雛仕舞いウクライナ遠し 中村晋
ウクライナに起こった戦争は、数々の悲劇とともに大国のエゴをまざまざと見せつけた。ゼレンスキー大統領の国連演説は追い詰められた民の悲痛な叫びのように聞こえる。今日本では、桃の節句で雛人形を飾り、大事に仕舞う平和な時を過ごしているが、遠いウクライナの悲劇は、日本においてもいつまた身に迫る現実となりかねないという危機感を逆説的に暗示している。兜太師の言われていた「十五年戦争前夜」にも通ずる危機感がこの句のモチーフにはある。
麦踏みし足が戦車の前に立つ 柳生正名
三月の東京例会通信句会で圧倒的な支持を得た句。いうまでもなく今度の戦争で、ウクライナの市民が戦車の前に身を挺して反転させた映像に基づく。物生り豊かな祖国を守るために、自らすすんで一身を捧げる姿に感動させられたのである。ところが今やロシア軍は、容赦なく民間人を虐殺することをためらわない。戦争の深刻化にともなって、緒戦における一片の勇気や良識すら、もはや通用しないような、あからさまな戦争の残虐性が露呈しつつある。戦争俳句は、事態の長期化、深刻化とともに様相を変えつつあることを、忘れてはなるまい。
◆海原秀句鑑賞 野﨑憲子
戦況からCMへ桜前線へ 石橋いろり
桜前線の香川通過は半月前だった。ウクライナ情勢はますます緊迫し混迷を極めている。リズミカルなテレビ画面の作品化に世相が映る。省略の妙。句群中、「瓦礫の下の『てぶくろ』絵本残寒に」にも惹かれた。『てぶくろ』は、エウゲーニー・M・ラチョフの表紙絵が素晴しく世界の子供達の愛読書だ。だいたい人間の落とした手袋に、一匹の動物が入るのも無理に決まっているのに、次々に森の動物たちが入ってくる。夢のいっぱい詰まった絵本。戦争は、夢も、希望も、棲家そのものも奪ってしまう。
兜太の忌しゃぶりたらず叱られる 稲葉千尋
俳句道場で師はよく「俳句をしゃぶれ」と話された。私も師の言葉を受け「しやぶり尽くせと冬霧の眼かな」と詠んだことがある。それは、何度も読み味わうことによりその句の心が観えてくるということだ。「俳句は理屈じゃないよ、心だ」「人間が面白くなきゃ、句もつまんねぇ」とも言われた。頓馬で内気な私は、師の言葉に、不器用な自分のままで良いと気付き、どんなに勇気をいただいたことか知れない。私は、句をしゃぶり尽くしていると言えるだろうか、稲葉さんの句に思わず襟を正した。
侵攻止められず緋木瓜白木瓜更紗木瓜 植田郁一
美しい木瓜の花には申し訳ないが、ロシアのウクライナ侵攻を止められない人類への忸怩たる思いを畳みかけるように色ごとに呼びかけ木瓜の花に託した植田さんの力作である。「春の雲戦火見詰めていて崩れず」「椿落つ重なり落ちて傭兵死す」等の句にも注目。卒寿の植田さんの平和への願い、漲る熱い俳句愛に感動した。
シマフクロウの神の座高し雪解風 鈴木修一
シマフクロウは『アイヌ神謡集』の最初に登場するアイヌの守り神である。縄文人の末裔であるアイヌは、七世紀ごろからの大和朝廷の侵攻により辺境へ追いやられた。人類はまた同じ過ちを繰り返している。芭蕉は、「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と言った。今の私達にとっては「地球の事は、地球に習へ」即ち、森羅万象の声を聞け!ではないのだろうか。そこには、縄張りも、国境も無い。邪論と言われても、ここに立つことだけが、人類の生き残れる道ではないのかと思う。
波打つ薄氷あつかましい平和 谷口道子
「波打つ薄氷」が見事に決まっている。谷口さんの第3回「海原金子兜太賞」応募作のタイトルも「あつかましい平和」だった。これは、誌上選考座談会で一位推挙の柳生正名さんの言にもあるように、師のドキュメンタリー映画「天地悠々」の中の最後のインタビューで師が強調していた言葉だ。私も、「平和への願いも、自身の表現も貪婪なまでの図々しさと熱情で新しい世界を切開けよ!」との師の言と捉えている。我がジャイロである。
こぶし咲く戦火を燃やし継ぐ星に 中村晋
真青なる美しい地球に、人類の宿痾のような戦争が、いつもどこかで起こっている。辛夷は、日本原産の花木。春の訪れを感じさせてくれる白いシャンデリアのような辛夷の花。その花のような、心温まる愛語を言霊の幸ふ国から発信してゆくことの大切さを強く感じる。師のごゲダンゲン・リリク著書にあった思想的抒情詩という言葉が頭から離れない。
猫の恋地球に誰もいないのか 丹生千賀
加藤楸邨の「蟇誰かものいへ声かぎり」が、永田耕衣の「恋猫の恋する猫で押し通す」が浮かんでくる。この地球を壊滅してしまえる原子爆弾を発明したのが人類なら、この悪魔のような侵攻を収束させるのも人類でなければならないのである。生きとし生けるものの「いのち」の声を代弁できるのも人類だけなのだから。九十一歳の丹生さんの「地球に誰もいないのか」は、私達、うら若き人類に向けられているのだ。
反戦句碑は同志のたましい風光る 疋田恵美子
マブソン青眼さんが俳句道場にゲスト参加された時の師との対談「昭和俳句弾圧事件について」が発端になり、師が他界された五日後に長野県上田市の無言館近くの小高い丘に建立された「俳句弾圧不忘の碑」。戦時下に弾圧され亡くなった俳人追悼のこの碑文は師の揮毫による。「平和」と「俳諧自由」。師の悲願は、人類存続の要だ。
猪神や爆音で目覚めた少女 日高玲
アニメ『もののけ姫』のシシ神や少女サンを想起させる。猪ではなくて鹿の形の神だったとおもうのだが、森の奥に棲む精霊の王シシ神はこの人類の愚行をどう見ているのか。爆音で目覚めたサンはこれからどうするのか、日常では忘れられがちの、隠れた大切な世界が姿を現す。
三月のひかり水切りりりりりり 望月士郎
「りりりりりり」の調べのそして字面の美しさに圧倒された。三月がいい。そして、三月の光が水を切ってゆく。そこから立ち上がってくる目くるめく光の世界に酔いしれた。「海原」誌の表紙絵も、毎号、輝いている。
◆金子兜太 私の一句
旅を来て魯迅墓に泰山木数華 兜太
我が家の階段を上がった二階の廊下の突き当たりに掲句が掛かっている。初めて手に入れた先生独特の字体の色紙だ。中国旅吟句で格調の高い抒情溢れた一句で「数華」が目に鮮明で魅力的だ。縁の上海は先生にとって感慨深いものがあったろう。その頃に、御父上の伊昔紅氏と魯迅との接触もあったのではと想像も膨らむ。句集『遊牧集』(昭和56年)より。大西政司
よく眠る夢の枯野が青むまで 兜太
我が家は、今年の干支の寅の置物と一対になる形でこの色紙を飾っています。皆子先生が腎臓癌治療のため、千葉県旭市の旭中央病院に移られてからのお供をさせていただいた当時に、兜太先生から贈られてきた色紙です。「よく眠る」の「ゆっくり生きてゆこうの心意」をいただくうれしさ。おおらかな野生にあやかる年年歳歳の感謝です。句集『東国抄』(平成13年)より。山中葛子
◆共鳴20句〈4月号同人作品より〉
〇印は2選者の共選句 ◎印は3選者の共選句
狩野康子 選
羽後残照見開きひと言夜の灯 有村王志
川鵜またひとりぼっちか冬青空 宇川啓子
冬夕焼母のさざなみガラス質 榎本愛子
解除ボタンかすかに湿る十二月 大西健司
火種にはまだ程遠い綿虫飛ぶ 奥山和子
山茶花の薄く住まうとこのあたり 川田由美子
○狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
人格者のようで祖父はけむり茸 佐々木宏
咎は無し百の吐息に山眠る 佐藤詠子
村灯るあの家この家に雪女郎 白井重之
綿虫に顔入れ誰よりもやさしく 十河宣洋
◎あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
白息を使徒と思えば海荒れて 遠山郁好
毛糸着て雑念少し増やしけり 中村孝史
霜に日が差して誰かの生れたる 松本勇二
清貧に貌あるなら冬菜畑 嶺岸さとし
綿虫や二度寝のようにあなたと逢う 宮崎斗士
ポインセチア遠くに居ればいいひとよ 室田洋子
大根炊ける透き通っていられない 森鈴
てつぺんでキューピー尖る師走八日 柳生正名
川崎益太郎 選
本音吐く炭火ときどきナルシスト 市原正直
雪国や「核」捨てるのにいい遠さ 伊藤歩
冬銀河ヒトに臍の緒という水脈 伊藤道郎
子宮で考え中です枇杷の花 井上俊子
再びを夢見るごとき落椿 宇川啓子
○細胞のひとつ分裂くしゃみ出る 奥山和子
家系図は差し歯入れ歯に時雨けり 川崎千鶴子
綿虫の帰化する原野歩みゆく 後藤岑生
葉牡丹はアンモナイトになる途中 佐々木宏
◎あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
水脈凍てて夢の果てなる引揚船 立川弘子
まゆみの実老いらくの恋やせ我慢 舘林史蝶
天国に原発はないクリスマス 中村晋
冬ざれのタンポポ「私変わりもの」 西美惠子
寒たまご地球に寄生する我等 本田ひとみ
神無月マンモス復活計画 松本千花
四番目に生まれ跡取り千歳飴 深山未遊
桑の実ってこれだったのねお母さん 森由美子
ポインセチア唇いくつ生け捕りに 山下一夫
柊の花より淡く母居たり 横地かをる
村本なずな 選
白鳥の長なり後ろ手に歩く 石川青狼
芽麦一列戦禍なき一日あるように 伊藤道郎
道草や雪は子供に降ってくる 荻谷修
○細胞のひとつ分裂くしゃみ出る 奥山和子
杜鵑活ければ母の居るごとし 北原恵子
どんぐりころころ音楽になる途中 北村美都子
綿虫やここ地球とう仮住まい 楠井収
審議会長須鯨が揃いけり 今野修三
「雪来る」と火災報知機鳴ってみたい 佐々木昇一
木の家を木枯し叩く武州真夜 篠田悦子
中身のないポケットのよう冬の空 高橋明江
水刻むごとく大根千六本 鳥山由貴子
冬の斜面あの光るのが除染ごみ 中村晋
青空をがんがん冬のプラタナス 平田薫
寒落暉告白は大声ですべき 前田恵
木の葉髪自由と孤独と腰痛と 増田暁子
禁猟区母のアルバムずっしりと 松本千花
無添加の煮干のひかりクリスマス 三浦静佳
布団の奥アンモナイトの息をする 柳生正名
龍の玉良く笑う児がよく転ぶ 梁瀬道子
山田哲夫 選
野仏の膝は日溜り冬の蜂 伊藤巌
少年の微熱のように冬木の芽 伊藤道郎
釘打って十一月を掛けておく 大沢輝一
骸かと掃けば仄かな冬の蜂 川崎千鶴子
ネックレスざらりと外し大根炊く 黍野恵
○狩人にくっついていく風や雲 こしのゆみこ
家族という淡い繭玉冬の雷 佐孝石画
霧に消ゆ歩荷かぽかぽ音残し 篠田悦子
魚を糶る岬や石蕗の茎太し 髙井元一
◎あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
コンクリート打ちっ放し冬の足音す 鳥山由貴子
切り口はいつも血まみれ大枯野 野﨑憲子
姿なきひとと分け入る花野かな 日高玲
踊るように人の死はあり枯野原 平田薫
着ぶくれて服にこころに裏表 前田典子
久女の忌からだにふっと火打石 三好つや子
私の棲むわたしのからだ雪明り 望月士郎
月蝕やどこかで冬のサーカス団 茂里美絵
良縁をまとめどさっと深谷葱 森由美子
軸足はきっとふるさと冬の虹 横地かをる
◆三句鑑賞
人格者のようで祖父はけむり茸 佐々木宏
人間誰も沢山の顔をもつ。句の鍵けむり茸は踏むと灰色の煙を吐く。子供の頃祖母に「煙が目に入ると目が見えなくなる」と聞かされたが、それは俗信で食用と知った。周りから人格者として尊敬された祖父。けれど作者はひょうひょうと時に怖れられ親しまれた祖父を知る。句に漂う俳諧味が愛すべき祖父のイメージを強くする。
白息を使徒と思えば海荒れて 遠山郁好
白息、使徒とシ音で静かに始まる。しかし結句は海荒れて。白息は自分の嘆息。助けを求めれば使徒が現れるかもしれない。しかし鎮まるどころか海は荒れている。ふと使徒の語で白息は多数の人間の嘆息に変わり、現実として神に祈るしかない戦争の不条理。神の力も及ばない悲惨な現状を詠っているのではと思った。
てつぺんでキューピー尖る師走八日 柳生正名
師走八日は日本真珠湾攻撃に始まる開戦日。語り継ぐべき昭和史の大事件。戦争の犠牲になったのは武器をもたない庶民とキューピーの号令下に従った幾万の兵士。立場は異なるが現在のロシアとウクライナ。戦争は今も昔も一見無害な人の心を持たぬキューピーのような存在によって引き起こされる。暗喩のキューピーが抜群。
(鑑賞・狩野康子)
あいまいなおでんの仕切り民主主義 竹田昭江
いま世界中を震撼させているロシアのウクライナ侵攻。ウクライナは民主主義に対する挑戦と言っているが、ロシアの言い分も民主主義を守るというのが言い分で、このように民主主義に対する考えはいろいろあり、それはおでんの仕切り板のように曖昧なものであるという句。捉え方がユニークで上手い。
天国に原発はないクリスマス 中村晋
天国に原発があるかないかは、行ったことがないから分からないが、作者は、ないと言い切っている。言い切っているが、本心は、ないことを願うという願望の句であろう。その思いをクリスマスという季語を採り合わせて祈るような気持ちであろう。作者が福島の方であるので、よりリアルに読者の胸を打つ句である。
四番目に生まれ跡取り千歳飴 深山未遊
日本では古くから、家の跡取りは、生まれた順でなく、男子の一番目と決められていた。それは今も根強く受け継がれている。特に、やんごとなき方に関しては、法律で決められている。これが平民にまで受け継がれて、慣習化されている。この句は、そのことに対する不合理さを訴えた句である。それを直接言わないところが上手い。
(鑑賞・川崎益太郎)
白鳥の長なり後ろ手に歩く 石川青狼
後ろ手に歩いているのはボランティアの方なのだろうか。越冬のために湖を訪れる白鳥たちを長年にわたり世話してきた。後ろ手に歩くその様子からかなりの年輩者であることがうかがわれるが、冬の寒さも厭わず見回りをする。白鳥たちもこの人物を統率者のように思い慕っている。美しい水辺、豊かな自然に囲まれて白鳥を見守る実直な人物の姿が目に浮かぶ。
審議会長須鯨が揃いけり 今野修三
○○審議会などという大層な所にはその方面の都合の良いお歴々が呼び集められる。いつどこでそんな話が?などと訝しがる庶民を余所に物事は進む。根回しは済んでいるから、余裕綽々、長須鯨は席に着くだけだ。一茶が大喜びしそうな皮肉たっぷりの一句。
「雪来る」と火災報知機鳴ってみたい 佐々木昇一
火災報知機は実に目立つ。赤くて丸くて真ん中には押してごらんと誘うような薄いカバーが嵌まっている。ひとたびカバーを押そうものなら、とんでもない音が鳴り響く。作者は雪国の人。雪は時には危険な相手でもある。長い間火災もなく、静かに待機している報知機も「雪が来る」と自分の存在を主張したくなる時があるのだ。
(鑑賞・村本なずな)
骸かと掃けば仄かな冬の蜂 川崎千鶴子
掃くという行為の中で、ふと目に止まった蜂の骸。否、骸かと思ったら、微かに動きだしたではないか。生きてるぞ。仄かな命の蠢きよ。この一句には、そんな命の蠢きを、細やかな情愛を込め眺めやる作者のまなざしがある。日常生活の一コマ一コマを大切に生きる姿勢の中からこそこういう句は生まれてくるのだろう。
家族という淡い繭玉冬の雷 佐孝石画
作者は、家族は淡い繭玉だという。この比喩の確かな認識に心惹かれる。家族は無数の淡い糸で繋がれ、押し合い、引き合いながら日常を送っている。晴れの日もあれば、寒い冬の雷の鳴る日もあってこそ家族という淡い糸で繋がれた存在も強い絆で結ばれた玉になっていくのだと思う。「淡い」という形容が心憎い。
私の棲むわたしのからだ雪明り 望月士郎
私という存在。確かにあるようで、自分でもなかなか捉え憎いこころとからだ。それを冷徹に見極めようとする作者自身のまなざしが意識される。「私」と「わたし」と意識的に書き分けたところが、その存在の有り様を示している様で、工夫が見える。「雪明り」の中に佇む私という設定も印象的で、捨てがたい。
(鑑賞・山田哲夫)
◆海原集〈好作三十句〉武田伸一・抄出
春昼の寺に一礼して歩く 淡路放生
疼痛と嘔吐はせめて菫ほど 飯塚真弓
億ションに巻きついてゐる春の蛇 石鎚優
原罪を問う君の頰に桜散る 井手ひとみ
ヒヤシンス後悔って一人芝居だ 大池桜子
リラ冷えや玉子しつかり焼く昭和 大渕久幸
高齢者は非国民だべ落椿 押勇次
モヒカンに滝が当たっておお寒い 葛城広光
干鱈焙る母亡き昼の野弁当 河田清峰
青き踏む生を満喫するために 日下若名
太刀魚のごとく白髪水俣よ 小林育子
教室に彼だけいない春の椅子 近藤真由美
手の平の蝌蚪ぷにぷにと児等囃す 佐々木妙子
半仙戯円周率のかなたまで 鈴木弘子
春泥や削除できない疵あまた 宙のふう
祖父の胸の静謐に置くライラック 立川真理
凜々と祖父は花野を作っていた 立川瑠璃
カモの首伸びて水面の桜かな 塚原久紅
蔓引くやあらぬ方より冬瓜来 土谷敏雄
春の風邪コンビニの一人鍋を買う 原美智子
傷付きやすき男が零る遅日かな 福岡日向子
恋猫をまね舐めてみる右の足 藤川宏樹
すてぜりふ残した背なに冬の月 丸山初美
餡蜜から向こう側は未知である 村上舞香
砲弾にパパ残りをり苜蓿 矢野二十四
恋猫や駅の正面墓地の山 山本まさゆき
厩戸の空蟬つまむ背後かな 吉田貢(吉は土に口)
家と家間をビュッと東風が行く 吉田もろび
啓蟄のひかりの渦に這い出せり わだようこ
ぼたん雪天使の耳のかたちして 渡辺のり子