選考座談会 第一回海原金子兜太賞 

◆第一回海原金子兜太賞 選考座談会
『海原』No.12(2019/10/1発行)誌面より。

応募66作品――その意欲と個性を読み解く
【出席者】安西篤/田中亜美/宮崎斗士/柳生正名/山中葛子
     堀之内長一〈司会・進行〉
  とき 2019年7月13日(土)
 ところ 新宿家庭クラブ会館

 堀之内 第一回海原金子兜太賞の選考会を開催します。今回は第一回ということもあり、応募作品は66作品に上りました。内容も大変充実していたのではないかと思います。選考委員の方々には、候補作品を五編選んでいただきました。それぞれの選出理由などをお話しください。安西さんは最後にさせていただき、五十音順に、田中亜美さんからお願いいたします。

❖選考委員の推薦五作品

 田中 応募66編の力作を読ませていただきました。若輩者の私がいうのも恐縮ですが、66作品、大変充実しており、読み応えがありました。選考は脳みそを使い果たした感じで本当に大変でした。
 私の順番を申し上げます。一位は64番の「褌」。二位は37番の「ついてない」。三位は7番の「白き訃」。四位は28番の「春野にうとうと」。五位は13番の「遠景近景」です。30句という前提がありますので、私は大きく二つに分けて読んできました。一つは、30句を一つのまとまりとして捉えている連作のもの。そしてもう一つは、個々の俳句の中で作者の世界観が見えてくるものです。
 一位の64番の「褌」は、何人かの選考委員も選んでいますが、これは連作としての面白さでいただきました。
 37番「ついてない」と7番「白き訃」については、私は現代俳句新人賞の選考委員などをやって五年になり、総合誌などでの新人賞の予選などもさせていただいていますが、この方々が『海原』の外で外部の賞に応募した
り、デビューするときのことを考えて選んでみました。そうすると、「ついてない」はシンプルで面白い。7番はすごくデリケートな、いい世界があると思いました。
 28番の「春野にうとうと」と13番の「遠景近景」は、他にもたくさんのいい作品のある中で、本当に迷って、僅差で選びました。「春野にうとうと」の句はとても明るい世界観があって、全体的に少し暗い応募作品が多い中で、この明るさは貴重だと思いました。懐かしいけど新鮮。「遠景近景」は地に足を根差しつつ、どこか都会的感覚もある。こういう風土俳句もありだなということで選びました。
 堀之内 一位の64番については、後で議論になったとき話してください。それでは私の選考結果です。亜美さんと同じで大変いい作品が多く、選ぶのに大変苦労しました。最初はそれぞれにコメントを付して、自分なりの評価(◎、○、△)を付したりしました。際立っていい一句があっても30句というまとまりで見ると、やはり何か言いたくなる。64番の「褌」についても意見があるのですが、これは後で言います。
 まず、海原金子兜太賞の特徴は一体何だろうかといろいろ考えていて、これは自分の好みでもあるのですが、やはり叙情の句に惹かれました。
 一位は、50番の「容れる」。これはやはり感覚がいいということが一番です。表現の意欲も感じられる。具体的に俳句を挙げないとわかりにくいと思いますが、口語調で書かれた叙情、変な言い方ですが、そんな感じをこの作品からは感じました。何か乾いているようで湿っているような。でも、見ている目は確か。一言でいうと現代風だなあ、感性がいいなあという感動を受けたのがこの30句でした。
 二位は、8番の「残癌」。「ざんがん」と読ませるのでしょうか。この題で少し損しているような気がしたのですが、癌を手術なりした後の状態をテーマにしていると思います。いまある「自分」という存在を非常に醒めた目で見て、そこに一つの世界をつくり上げている。そういう魅力ですね。「容れる」の叙情が現代風でちょっと軽みもある感じだとすると、こちらは硬派の叙情という感じ。ここまで客観的に書けるというのは相当なものです。
 三位は、37番の「ついてない」。これは亜美さんと似たような感想です。実はこの66編はみんな真面目。真面目の上に何か付くぐらい真面目だった(笑)。その中でこの「ついてない」だけは、おかしみ、ウィット、エスプリを感じた唯一の作品でした。日常の断面の切り取り方も非常に新鮮。そういう感じです。
 四位の17番「培養中」、五位の57番「翡翠色の雨」。実は点の差はほとんどないという感じです。「培養中」は表現がちょっと生な感じだなと思ったのですが、誰もまねできない魅力がありました。これも具体例を挙げな
いと伝わらないかもしれませんが、映像も現代的なのに、根っこにノスタルジックがある。ある年齢の人が昔を偲んでいるふうですが、「そこまでは帰らないよ」といった意思が感じられます。
 「翡翠色の雨」は正統的な叙情の俳句です。そこに、もう一つ味を加えている。天安門、福島、メキシコ、こういう題材を取り込み、ありきたりでなくこなしている。素材だけではなく、この方が感覚しているところにやはり「今」を感じました。
 それでは宮崎斗士さん、お願いします。
 宮崎 66編、非常にバラエティに富んでいて、大変読み応えがありました。自由自在、刺激的な作品が多かったです。よく言われる「海程調」であるとか、そういった括りはあらためてもう意味を成さないのかもしれないと思いました。
 どの作品も最低五、六回は読んでいるのですが、その上で非常に良いと思った句には○、次に良いと思った句には△を付けて、○1点、△0・5点と数え、合計点の高かった作品を、さらにじっくりと読み込んでいきました。
 結果、第一位に推すのは15番の「むかししかし」です。題材の新鮮さと巧みな表現、非常にシュールな景が浮かんでまいります。例えば〈朧夜のやがてやさしい鰓呼吸〉〈千羽鶴はらわたのよう垂れ晩夏〉など、日常の中の異世界感みたいな部分をうまく掴んでいる。極めて感覚的でありながら、この作者の方の日常がしっかりと見えてくる手応えがありました。「むかししかし」というタイトルも、よき遊び心に溢れています。
 第二位が、31番の「藁塚」です。例えば〈馬洗ふ夕の静けさ父性とは〉〈行く秋のからだに蔵ふ山水図〉とか、柔らかな生活感、境涯感の伝わってくる作品が数多くありました。目線の優しさというか……人間と人間の生活というものに対する眼差しの優しさみたいなものを強く感じました。
 三位が63番の「真っ芯」です。こちらは内容もリズムも、かなり自由自在な30句でした。例えば〈まだ冬に居たいやわらかい膝と〉〈なんもかんも焚べて三月の目は閑か〉とか。やや荒っぽくて強引な表現の中に、この作者の方の瑞々しい生活心情が窺えると思いました。
 四位の45番「揚羽」と五位の7番「白き訃」ですが、他にも良い作品が目白押しでして、かなり迷いました。最終的にこの2編は、30句全体のバランスという意味で、優れているなと思ったので選びました。良い句もたくさんありますし、かなりの実力を持った方々ではないかと思って推させていただきました。
 堀之内 柳生さん、お願いいたします。
 柳生 66編の全作品を読ませていただきましたが、言葉は悪いけれど箸にも棒にも掛からないようなというか、そもそも応募作としてどうかというものは見当たらなかった。やはり水準も一定以上を保っていたと思います。30句をそろえるわけですから、改めて「海原」の水準の高さと層の厚さを感じました。
 応募が多かったことの背景には、「金子兜太」という名前を冠した賞であることがもちろん大きいと思いますが、全ての応募者が対等で、なおかつ匿名の形で選考されるということがあったと思います。「海原」のように全国組織になると、われわれ東京にいる者にとってはそれほど感じなくても、やはり選者なりと普段接する機会が多くないがゆえに、自分はなかなか思ったような活躍ができていないのではないかと思っている方もいるかもしれないと思います。そういった人たちも含めて創作意欲を搔き立てることができたというのは大きかったし、今回の匿名という方式は、今後も続けていけたらと思いました。
 全体の感想として、もちろん、それぞれの作家の個性はよく出ているのですが、文体的には、最近の「海原」を特徴付けている口語文語ちゃんぽん、だけど基本的には口語優先というのかな。それも金子兜太の口語とはちょっと違う口語というか、より若者の日常言葉寄りの口語的な感じです。
 かなり昔、短歌の世界ではそれをライトバースと言ったりしたのかもしれないけれども、そういう意味での口語が主体になっているような気がしました。僕などは文語も含めて硬い文体のような句も出てくるのではないかと思っていたけども、あまりそれがなかったので、そこは少し拍子抜けでした。ただ、大きな意味での文体とか傾向性とかいうのはわりとそろっていたのではないか。それが逆に選考を難しくした面もあると個人的には感じました。
 それとの関連で非常に迷いました。その中で64番の「褌」をトップに推したのは、やはり、いま言ったことが僕の中では影響していた可能性はある。「褌」も口語調をたくさん使っているし、別に文語調ゴリゴリとかいうことではないのですが、創作全体のスタンスがほかの人たちとは微妙に違う。一つは連作であることです。ほかの方々は、悪い意味で73はないけれども、できたと思った句をとりあえずそろえてみたという傾向があったのではないか。
 64番は完全に連作志向で、「褌」という言葉を一句の中に必ず使ってしまうというのは非常に難しい。逆に連作の幅を広げるためには、半分ぐらいは「褌」を入れてもいいけど、もう少し外す。あと半分は、近い世界だけど、ズラしていく。そのほうが作品としては逆につくりやすいし、また読むほうもより評価しやすい作品になったと思います。そこをあえて「褌」で押し切ったところにある意味、作者の意地でもあるのか、スタンスを強く感じたのが一つです。
 それから、兜太賞という名前にあまり引きずられてもいけないのですが、僕の中では、いい意味でも悪い意味でもそれが影響したのかなという気はします。今回、選考に当たっては、特にその中でも30句中の「この一句」という作品が自分の中で響いたものを、より優先させた気がしますね。「褌」に関しては、ちょっと本歌取り的な傾向はあるのだけれども、狼、蛍、鮫あたりをうまく使ってきているところが、第一回のこの賞と響き合うものが僕の中ではあった。そこは逆に批判があるのかもしれないということです。
 二位が15番の「むかししかし」。これはいま言った一位と常に幾度も順番が入れ代わったところがあります。この中の一句で言うと、僕が非常に惹かれた句は〈手袋の牛の内側へと入る〉です。牛革の手袋でしょうが、それ
を手にはめるのに牛の中に入っていく。革を取って手袋をつくり、それを使うというのは、ある意味、人間が生きるための行為でもあるけども、逆に言うと、動物から見た人間の残酷さというような。その一句が非常に印象に残って、二位にしたということです。このような句が飛び抜けて印象的でした。
 三位は59番の「晴れやかに」。感覚的にも、今の「海原」のある意味、行動王道的な側面がある点に惹かれました。一句挙げると、〈ぶってしまいそうな手は水母にやる〉。何か虐待みたいなものへの思いを詠んだところが、「海原」の王道に一歩踏み込んでいる。いじめとか、虐待とか、ハラスメントとか、そういう現代的問題にどこか踏み込んでいけているのではないか。そこが非常に新鮮でした。
 四位は50番の「容れる」。今回は全体にいい句がありつつ、30句をそろえるということで、「この句を入れちゃうの?」といったやや安易で気になる作品がありました。例えば、「キス」といった言葉が直接出てくると、やや感興が削がれてしまいます。この「容れる」は、俳句の調子というか、やや文語調に近い格調を保っているところが私の中では非常に響きましたね。一句を挙げれば、〈扉開ければ銀漢の底なりき〉。文語の句ですが、扉を開けた瞬間に宇宙が広がっているという広がりの大きさを30句全体にも感じました。
 五位が20番の「兜太日記」。これもやはり兜太ネタで来ているところに惹かれました。タイムリーに「兜太日記」を捉えてくれたところに好感を持ちました。
 堀之内 山中さん、お願いいたします。
 山中 今回、66編の応募があったということは、何といっても素晴らしいことでした。ことに創作意欲の幅の広さは、通常の「海原」作品とは違った自在さがあり、挑戦意欲のみごとさに圧倒される作品を読ませていただく感謝そのものでした。全体的には、30句で一つの作品世界になっているテーマ性を注視しながら、また、完結したと思える句をそろえたものや、この一句で勝負を示すなどの、表現への工夫に注目しつつ、何回か読ませていただき、△○◎を付し、最終八編を残しました。
 一位は、54番の「震災八年」。まずは題名がそのままという陳腐さを思ったのですね。震災俳句は、高野ムツオさん、照井翠さんとか他にも印象鮮明な作品があるだけに、なおさら地味だなあという感じでした。しかし、いく度か読み込んでいるうちに「震災八年ってまだこんなにわびしいところにいるのか」との思いがじわっと心に浸み込んできました。ちょうどそこに、公開シンポジウム(7月6日「兜太俳句の晩年」)があって、その中で取り上げられた金子兜太句の〈津波のあとに老女生きてあり死なぬ〉の〈死なぬ〉への感慨が、生きるという熱い涙となっていました。まだまだ復興には程遠い現実である悩ましさが、実感となって「震災八年」が手堅く残りました。また、〈ゲリラ雨狂気と成れる蟻の列〉〈望郷とう自縛断てよと青葉木菟〉の、まさに災害の時代を生き続ける日常感が表現意識を高めていてよかったと思います。
 二位は、63番の「真っ芯」。この作品からは「見上げてごらん夜の星を」という、永六輔の世界が思わず浮かびました。未熟だけど、涙がわく言語感覚と言おうか。方言も、幼児語もまじる身体感覚の記憶が、発語感になっ
ている新鮮さですね。そういう意味では「未熟であれよ」と言いたくなる、一行詩としての俳句表現を思わせてくれました。
 三位は、64番の「褌」。これは天晴というか。30句を「褌」で詠みきったことで、読み手を誘い込む、戯曲化された兜太がクローズアップされてくる独自さですね。丸裸の知的野生が描き出されていてみごとです。
 四位の56番「接吻」は、〈クリムトの接吻春風をください〉のどきどきする導入句が、〈殺すなら優しくたのむ草の絮〉の最終句をもって、大都会という甘やかな危険な魅力を私小説のように描き出しています。絵画はしゃべるがごとき人情感とでも言おうか。これまでの「海程」の作品とは少し違って、歌謡曲のような大衆性が熱く誘いかけてくる。古風で超現代的な人情が伝承力となっている30句でした。
 五位の18番「春と海と汽笛」は、なんともライトバースといいますか。植物をはじめ、いろいろな固有名詞を擬人化させながら、心象風景を創り出しているんですね。〈クリスマスローズうねうねぶんと翔べ〉〈花は葉に空は大きくなったかしら〉の、理屈が抜けている映像力のみごとさですね。そういう意味では「おーいお茶」の軽やかさというか。俳句がだんだん軽くなってきているのかなと。
 田中 もたれないということですね、きっと。
 山中 そういうところにだんだん近づいてきている。軽みではなく、何ていうんでしょうね。
 田中 平明。
 山中 平明か。いわば癒される感じの、人をやさしくしてくれる韻律の豊かさを取り上げてみました。
 堀之内 最後に安西さん、お願いします。
 安西 私は全体的なことだけを言って、個別問題は省略したいと思います。まず、第一回目の「金子兜太賞」ということで66編集まったということは、これはやはり喜ぶべきことでしょうね。一結社誌の中で、新作30句を
応募し、66編も集まるというのはやはり大きな、驚異的な出来事ではないかとさえ思います。ですから、初回の成果としてはよかったのではないかと思います。
 全体に作品は挑戦意欲が強かったと思います。月々の同人作品などを見ていると、こういう意欲というのはもちろんありますが、それほど目立たなかった。だけどこの30句の中には、その挑戦意欲がかなり明快に出てきているような感じがしました。それだけ連作で押してゆけるものがあったのでしょう。
 それから、30句そろえるということはなかなか厳しいことではないかと思います。全体的にその30句は平均的にいい句、無難な句を選ぶというやり方と、秀句の一発勝負で行くというのと両方あると思うのですが、30句を出すとなると、やはりある程度そろえるのでしょうね。ですからテーマ性のある句が多くなるわけです。
 もちろん30句となると、統一することは結構厳しかったのではないかという気もしますが、ある程度境涯感であるとか、自分の生活感であるとか、そういったものがよく出ているものは30句そろえやすい感じがしました。今年は、先生の一周忌を迎えましたので、やはり兜太先生を偲ぶ句が多くなるのも当然のことであろうし、それによって、兜太先生が本当に歴史的存在になったのだなと改めて感じました。
 それから、これは非常に限られてはおりま
したけども、若者言葉として使われている外来語というのがあります。これがわれわれの世代にはちょっと通じない言葉が結構あったと思います。生活感覚として、われわれの世代とまた違う世代が出てきている。いい悪いの問題ではなくて、これも一つのチャレンジだろうとは思います。ただ俳句の韻律の中でこなせるか、言葉としての定着感はどうかという問題は出てきます。

❖候補作品の検討

◇64番「褌」

 堀之内 それでは、以上の各人の意見を踏まえて、各作品を検討していきたいと思います。まず最初に取り上げたいのは、四人の方が推している「褌」です。金子兜太賞は当然、選考委員が挙げた作品の中から選ぶことになりますが、最初に私の考えを述べさせていただきます。
 実は、「褌」は相当実力のある人がつくったと想像して、「やったなあ」と思いました。ただ、金子兜太賞で金子兜太讃歌が本賞になるというのは、今後のこの賞の展開にあまりよくないような気がしたのです。皆さんがこの作品を推す気持ちはよくわかり、この人の意欲とかは素晴らしいので、こういうときにこそ、特別賞といった、何か別な賞があるのではないかという感じがしたのです。いかがでしょうか。
 宮崎 「褌」は選考委員六名中四名の方が選んでいるということでダントツです。しかもその中のお二方が第一位に推していらっしゃる……。この結果に私は大変驚きました。もちろん、「褌」というモチーフで、金子先生の生きざまであるとかキャラクターがきちんと浮き彫りにされている、その意味ではかなり成功している30句だと思います。でも私としては、どうしても悪い意味での軽さというか、マイナスの軽さ。一種戯れ歌的な――やはりそういうものを感じてしまいます。例えば、褌一枚から十枚まで数え唄にした連作がありますが、この辺りはすごく緩い。〈端しで手を拭く顔も拭く〉〈試着してまでは買わない〉〈頂くこと贈られることもなく〉など、一句一句はかなり緩いですよね。
 田中 確かに緩いですね。
 宮崎 俳句作家としての自分をとことんまで追求した、追い詰めたような作品が多い中で、私にはこの30句はあまり響かなかったということです。あと、一番違和感があったのは、〈殺られるところ褌振って帰還せり〉です。もしこれが戦争詠だとしたら、切実な戦争詠をあれだけ数多く詠まれてきた金子先生に対して、これはないだろうという気がします。
 田中 そうですか。
 堀之内 一句一句読むといろいろあるのだろうけど、これはやはり30句まとまっている迫力だと思います。
 田中 「褌」がどんな賞になるかどうかは別にして、これは全然次元が違いました。どういうことかというと、まず、金子兜太が生きていたら、これは選ばなかったであろう句だろうなというところです。
 つまり、先生だったらこういう作品を選ぶはず、先生の意を汲むだろう審査員だったらこういう作品を選ぶはずという優等生的な発想が感じられない。ある意味、ここまで突き抜けているのは、貴重だと思います。
 それから、これはベテランの人だという話がありましたが、もしかしたらこの連作は良い意味で一発屋的かもしれないなと思いました。大先輩であったら失礼かもしれませんが、この「褌」という30句は、誰になんていわれ
ようと、本人にとって、一生忘れられない作品、賞をとるとかとらないとか二の次で、まとめたことに意義がある、そこに完成度もともなっているというものではないかと。
 宮崎さんは、少し軽いのではないかと言われました。私はこの30句の連作から、山口誓子の「スケートリンクにて」という、連作俳句を思い出しました。確かに一つ一つは緩いのですが、数え歌風にしているところなど、構成が緻密です。たぶんこれは「ふどし」と読むと想像しましたが、〈殺られるところ褌振って帰還せり〉というのはそれだけだと誤解されるかもしれない。一方こっちは「ふんどし」と私は読みましたが〈褌九枚平和の証し白地に白〉の「九」は憲法九条を暗示させているのではないかと思わせました。面とむかって戦争は悲惨だとは訴えてない。しかし、これはこれでじんわりと響きます。それと、ほとんど無季句です。無季句というと、私たちの結社の外部の人には挑戦的だと思われがちなんですが、この作品の場合、「褌」というキーワードに絞っているせいか、こちゃこちゃと色んなことをいうより、何か大きな自然の循環のようなものが見えてくる。かつて、星野高士さんが「私は高浜虚子、星野立子の季題趣味を徹底しているせいか、無季句でもよい句にはつい季感を感じてしまう。自然の循環のあるものにはひかれる」と言っていたことを思い出しました。
 堀之内 特別賞という考えはいかがですか。
 田中 そういう考え方はとてもわかります。賞のナンバーワンというより、オンリーワンという魅力がつよくて私は選びました。
 宮崎 僕もそれはいいと思います。
 田中 あとは主観的、個人的に見えて、この計算とか構成は客観的に俯瞰しているから、案外、外部の方に向けてよくも悪くも伝わりやすいのではないかと思いました。身内褒めではない、何か乾きがあるというか。「先生、
大好き」とかベタベタってするのではなくて、ここまで乾いて茶化していると、逆に弟子しか詠めないのではないかということで、外部には訴求力があると思いました。
 柳生 亜美さんにかなり同感というか、これは逆に兜太を客観化していると思います。われわれは、どうしても金子兜太を客観化できていないという、もしかしたらそういう弱さがあるのかもしれない。ただし、それにも両面あるわけで難しいけれども、「褌」はある意味、客観化しようとしている姿勢を買いました。
 もう一つ、今年の蛇笏賞で、選考委員の片山由美子氏が受賞した大牧広さんの俳句を「ステテコ俳句」と評していたことが頭にありました。まさにステテコならぬ褌俳句ではあるのだけど、僕はそれをあえて評価することが「海原」らしいし、ある意味、金子兜太そのままじゃない。金子兜太は自分のことを詠んだ句はまず取らなかったと思うから、これ「褌」30句は取らないかもしれないけれども、金子兜太の精神にはむしろ近いのではないかと思いました。
 堀之内 結局これも、兜太讃歌ですね。
 山中 追悼句ですよね。
 安西 これはやはり兜太を本当に身近に感じている人だと思うんですよね。だから、この「褌」の中に書かれているいろいろな出来事というのは、実際に兜太と接触した感じというのがよく出ていると思います。そういう意味では、兜太を回想する上で作者は、兜太との間の自分の個人的な回想、本当に身近に接した回想というものを、この一句一句のテーマに一応入れていると思います。「一枚から十枚までの褌の数」というのは、本来は別に意味がなくて、要するに兜太と接触した十面を詠んだのでしょう。日常吟の集積ではなくて、あくまでも自分でテーマ性を持ち、兜太を偲ぶという一点に絞って、この作品を書いた。ただ、五位以内には絶対入れたいと思ったけれども、第一位には推すまいと思っていたんですよ。親密感が濃すぎることが、逆に身内の後ろめたさを感じるからです。
 山中 私も一位には推せないという気持ちがありましたねえ。
 柳生 「ふんどし」って聞いただけでいやだという人もいるだろうからね(笑)。
 田中 一位にはこだわらないのですが、何か特別賞でもいいから全編掲載してもらいたいという気持ちです。
 柳生 これを特別賞にするのは、選考としては予定調和です。僕の個人的な意見としては、順位を付けた上で、それが賞にふわさしいかどうかは別途多数決で考えると言いたいわけです。僕は正賞として与えたいという意味で一位にしました。
 田中 私は問題提起の意味もあって一位に推しました。挑戦的な作品を推したということです。好き嫌いが分かれる個性的な作品だとは思う。皆が模範にする作品とも違う。だから、皆さんの意見を聴きながら、一位を取り下げることも、それはそれでやぶさかではないです。
 安西 私は挑戦的というより無骨な実感をもろに出しているところがいいと思った。〈語気荒ければ褌静かなり突っ張る〉〈褌を固めに締めて朝の立禅〉〈兜太焼かれ骨と褌の灰残る〉。特別賞は出したい。

■推薦作品の検討――その他の作品

 堀之内 いろいろな意見はあるのですが、一位になった作品ですから、それを無視することはできない。最終的には投票という形で決めていきたいと思います。候補に挙がった他の作品について議論していただければと思います。便宜的に、一位は5点、二位は4点……と点数に換算して、点数順にやりたいと思います。

◇63番「真っ芯」

 「褌」は15点で一位ですが、「真っ芯」が10点です。山中、安西、宮崎の三人が候補に挙げています。
 田中 平均的にいい句ですね。まずそれを感じます。
 宮崎 そうなんですよ。トーンが安定している。
 堀之内 でも「素材がそのまま」という感じがありますね。まだ言葉としてこなれていないということです。
 安西 これは俳句としてかなりよくできている。非常におしゃれな感覚もあるし。それで自然の表情を生活感の中にうまく取り込んでいる。そういう点では大変うまい句だと思いますね。〈春風の溜り場になる服が好き〉〈重たい旅をしてきた夫は新芽〉〈さんざん風をいじっている裸の木〉。
 柳生 何か少し軽いというか。〈ファーストキスの男死す嗚呼ライラックの〉という句の「ファーストキス」は題材が悪いのではないけど、「男死す」で持ってこられると……。田中〈十月の草に十月のやけあと〉はうまいですね。〈ステンレスの時計塔抜けてゆく冬の雲〉もいい。その一方で〈雪間に落ちていた仮面は母のです〉とか、こういうのはちょっといただけない。それに「私」が多すぎる。
 宮崎 確かに少し読者に甘えているところがある。
 田中 でも、感覚はすごくいい。
 宮崎 もう少し言っちゃうと、媚びている。だけど、何かちょっとチャーミングなんですよね。
 田中 〈おにぎりはふたつずつだよ昭和の日〉なんてチャーミングですよね。〈蝶の名と蝶々結びを教える仕事〉はうまい。
 宮崎 面白い。結構チャーミングなんですよ。
 安西 〈風九月メタセコイアは音叉〉はいいですね。爽やかな韻律がある。感性が上質という感じ。
 田中 片仮名の使い方も「ファーストキス」まで行くとちょっとださくなる。〈鈴カステラをどうぞ初鳩ふっと来て〉。これはなかなかいい感覚。
 柳生 今までの句はだいたい同意したけど、今の「鈴カステラ」はちょっといただけない。
 堀之内 これは山中さん、二位ですよね。
 山中 自分の人生でこういう季節はもうなくなってしまったような、二度と帰れない時があったなあということをずっと思ったというか。やはり永六輔の世界を思いました。
 堀之内 この方はリズムが独特だね。
 田中 読みやすい。くちずさみやすい。
 山中 新鮮。
 宮崎 自由ですよね。
 山中 未熟なんだよね。でもそこが魅力というか。飛んでいってしまいそうな幸せを、逃がすまいとしている映像がむしろ大きな手柄となって伝わってきましたが、表現としては「褌」と全く反対というか。まだこなれていないところがある。
 柳生 こなれていないよね。
 宮崎 確かにこなれていない。「壊れない言葉で生きていく」とか、変に説明的なフレーズも結構あります。
 安西 逆にこなれていない生々しさも見えてくる。

◇15番「むかししかし」

 堀之内 次は「むかししかし」です。
 田中 これについては、私は正賞でも構わないです。四位、五位に入れるか、最後まで迷いました。
 堀之内 私も「むかししかし」は五位以内には入れませんでしたが、高く評価しました。ただ、何か思い付きのような表現がみられるところが気になります。
 宮崎 ちょっと危ういですか。
 安西 そうそう。しかし、その際どさが新鮮にも映る。結構レトリックにも凝っているし、そこが際どいのかも。〈黙読の夜の林檎を盗みにゆく〉〈真夜中の末梢神経まんじゅしゃげ〉。
 田中 〈「手術中」赤く点灯して金魚〉や、〈パリー祭とても冷たい肉売場〉とかはいい。
 柳生 これはいいですね。
 田中 〈桃は桃にふれて間にある鏡〉。ちょっとムード先行なのでは。〈凍蝶にくっきり青い絵空事〉〈むかししかしみんな抱いてる白兎〉はいいけど、その一つ前の〈かんぜおん1÷3のよう飛雪〉はちょっと駄目。
 安西 非常にテクニシャンだけれども、テクニックにちょっと頼りすぎているという感じです。〈散る花にかさなる字幕くちうつし〉とか。この発想をよしとすれば、この独特の世界というのでマルになるのです。よくよく見ると何かあるんだけどねえ。

◇31番「藁塚」

 堀之内 次は「藁塚」です。これは私も上手と○を付けています。
 安西 この辺が僕は正賞にしたい感じだねえ。心理感覚、言語感覚ともに非常に新鮮でもあるし。
 山中 この30句は大変魅力があり、最終まで残しました。
 安西 季語の生かし方が非常に意外性もある。それで全体に物語性というものも感じられる。〈薄暑光アジアの長い痛みかな〉。歴史感覚のスケールの大きさや〈退路といふ活路ですなぁ竹の春〉〈十三夜素性を明かしさうになる〉の心理感覚のうまさ。
 田中 これも四位、五位の候補として最後まで残しました。正賞であっても構いません。〈流蛍やヘーゲルに逢ふ一人旅〉という、この「流蛍」という言い方が季語的にはこなれているのかどうか、まだ少しわかりません。しかし、ヘーゲルというのが出てくるのがいかにも「海原」らしい。しかも、大上段に構えるのでなくて、日常のなかのささやかな哲学が滲んでいる「ヘーゲル」で、感性と知性の芯のある作者の句だと思わされました。こういうよい句に出会うと〈ダルビッシュ・有の鼻すぢ青岬〉とかが思い付きっぽくて、いやだなという感じ(笑)。それで最終的に外したんだと思います。
 山中 ダルビッシュとか、そういう人が出てくるのがむずかしいなと思いますが。「藁塚」は、現代社会を取り巻く見えないものが見えてくる、私性を定着させているエネルギーがあるのよね。
 堀之内 でもこの句に謎はないね。全てわかってしまう。
 宮崎 謎はないですが、いい感じに境涯感は出ていますよね。
 安西 その境涯感が社会性にもつながっていて、本格派の印象。

◇37番「ついてない」

 堀之内 次に、「ついてない」についてご意見をお願いします。私は「ついてない」を残したいのですけれど……。
 田中 私も二位に推しています。
 堀之内 〈ついてない蛙が解剖台の上〉。懐かしいですね。
 宮崎 でも、〈斎場に水を打ってはくれないか〉とか、このあたりはどうでしょうか。「知り合いは友達未満」などはやはり只事ではないでしょうか。
 田中 斗士さん、厳しい。二位に推したのは、声高ではないものの具体性があるということです。「声高ではない」というのは真面目だけではないということです。「具体性」というのは「寄物陳思」、つまり物に託して思いを述べるところがよくできていると思った。流れもいいし、若い感じがします。最後は、少し息切れしていますが(笑)。
 堀之内 〈万札はくずすと消える鉦叩〉。川柳スレスレ。
 宮崎 これは面白いですけね。
 田中 〈饐え飯を洗って干して昏くなる〉という、この連続する動詞のたたみ方はうまいです。
 安西 日常の心理感覚をていねいになぞっているのでよくわかる。わかりすぎる平凡さはあるかもしれない。
 堀之内 柳生さんはいかがですか。
 柳生 自分が五位以内に入れていないものはいずれも、いまいちピンと来ていなかったりします。いい句はあるけども、粗が見えて、そっちが気になったということです。

◇50番「容れる」

 堀之内 それでは、「容れる」についても触れましょう。私は一位に推しましたが、やはり感覚がいいということです。
 宮崎 全体の雰囲気はすごくいいんですよね。気持ちいい感じ。
 堀之内 基本的に現代風の叙情を感じるんだなあ。軽やかだけど、結構思いは深いのではないか。そんな感じです。
 山中 どちらかというと、感覚的な句だよね。
 堀之内 感覚的な句です。〈花冷のひかがみ知らぬ同士かな〉などは何か今ふうの肉体感を感じる。今の人たちの。
 安西 〈花冷〉の句もそうだが、〈ささくれに熱のあります桃の花〉とか、うまいと言えばうまいのだろうけど。俳味のある日常感を手際よく現代ふうに捉えるうまさと言うべきかな。直感の働きがいいというべきか。
 田中 〈クローバの王冠世界の近くある〉。これは上手い。〈赤ちゃんの見上げてばかり敗戦忌〉。これは何気にいい。作者の世界観はすごくいいと思いました。
 堀之内 柳生さんも「容れる」を推しています。
 柳生 先ほど言いましたように、例えば〈花菜風耳打ちのよう君のキス〉とか、ちょっと脱力してしまう句が入っているのは残念ですが、〈扉開ければ銀漢の底なりき〉〈冬麗のラララ自由にしてあげる〉とか、全体的にいい感じです。
 宮崎 〈棒立ちの八月母は父灯す〉もうまいですね。
 堀之内 それではこれまでの議論を踏まえたうえで、上位六作品について、投票を行っていきたいと思います。まずこの六作品のうち、上位三作品を選んで、一位・3点、二位・2点、三位・1点とします。その合計点で絞り込んでいきます。

❖投票の結果について

 第一回投票の結果は、「むかししかし」12点、「藁塚」8点、「褌」6点、「容れる」5点、「真っ芯」4点、「ついてない」1点となった。そのため、上位の三作品について決戦投票をすることとなった。
 その結果、「藁塚」3点、「むかししかし」2点、「褌」1点となり、接戦だったことを勘案して、本賞に「藁塚」、奨励賞に「むかししかし」、そして「褌」は特別賞にすることに決定した。併せて、各選考委員の選考感想を参照していただきたい。なお、選考座談会で取り上げた作品はすべて匿名で議論しており、次の選考感想は、作者名がわかってから執筆していることを付記しておく。

選考委員の感想

■安西 篤
 兜太先生を記念しての第一回目の応募作品だけに、挑戦意欲も強く、例月の誌面作品をはみ出すような質的内容が多かった。量的にも66編とは、予想を上回る成果を挙げ得たと思われる。
 第一位の31番「藁塚」は、心理的映像の捉え方が新鮮で物語性のある映像を演出。〈薄暑光アジアの長い痛みかな〉の歴史的視野を踏まえた練達の表現力は大賞にふさわしい格調を備え、〈十三夜素性を明かしさうになる〉の心理感覚に句境の幅の広さも見せた。第一次審査得点の段階では、「褌」「真っ芯」に次ぐ三位であったが、討議再投票の結果、その真価が再評価されて逆転一位となった。
 第二位の30番「心音」は、ナイーブで若々しい感覚に飛躍感があり、しかも作品としての完結感もあって未来性を感じさせる海原集作家。総合得点で五位入賞は果たせなかったが、〈耳鳴りは未生の記憶花むくげ〉〈素足と
いう決断があり冬かもめ〉を軸とする感性の太い線が、さらなる成長を予感させる。
 第三位の63番「真っ芯」も新進気鋭の海原集作家。会ったこともない人だし、まったく未知未見の人であった。しかし〈春風の溜り場になる服が好き〉のお洒落な感覚、〈さんざん風をいじっている裸の木〉の斬新な自然体感には目を奪われた。まさに端倪すべからざる逸材の登場である。総合得点で、堂々の第二位となったのもむべなるかなと思わざるを得ない。
 第四位の64番「褌」は、身近に感じる題材だけに、「金子兜太賞」につきすぎる感があり、今後の本賞に類型作が輩出する怖れもあるとの危惧があった。しかし心情的には、その無骨なまでの兜太像への傾倒に深く共感していたから、特別賞として推すことにためらいはなかった。〈語気荒ければ褌静かなり突っ張る〉〈褌を固めに締めて朝の立禅〉と回想のリアリティを貫き、〈兜太焼かれ骨と褌の灰残る〉で締めくくる構成は、連作の効果をフルに活用した迫力があった。
 第五位の46番「余花の雨」では、きめ細かな日常の心理感覚や時事性のある題材を自在にこなす実力を感じた。〈余花の雨母に筆圧促せり〉に母への心情が惻惻と伝わるし、〈深爪で打つキーボード啄木忌〉現代風生活感で捉え返した啄木忌が鋭い。シャープな言語感覚は、もっと評価されてよいと思われた。

■田中 亜美
 海原金子兜太賞に寄せられた66編の力作を心して拝読した。
 64番の「褌」は、応募規定の30句という枠を使い、意欲的に連作に取り組んでいる点に注目した。
  褌のままで構わん客も喜ぶ
  鮫来ない日は庭中に褌干す
  褌一枚形見に貰い損ねた悔い
  褌九枚平和の証し白地に白
  褌乾く犬猫ニコニコ見上げて通る
 一連の作は兜太師と褌の関わりをモチーフにしており、中でも「褌一枚」「褌二枚」と数え歌のように十句配置しているところに、作者の構成の妙を感じた。審査員の中には「軽すぎる」という意見もあったが、たとえば「褌九枚」の「九」は平和憲法の九条を連想させたり、〈褌乾く犬猫ニコニコ見上げて通る〉の句は兜太師の〈犬一猫二われら三人被曝せず〉(『暗緑地誌』)、〈犬も猫も雪に沈めりわれらもまた〉(最後の九句)を想起させるなど、思いの襞は存外深い。
 37番「ついてない」は全体に漂うかろやかで静かな倦怠感が魅力。抒情に浸り過ぎず、語り過ぎず、具体的なモノに即した堅実な詠みぶりに共感した。
  名を持たぬ山から時雨れ始めたり
  這う野火の行きつくところから帰る
  万札はくずすと消える鉦叩
  戦争を知らぬ年寄り夕端居
  ついてない蛙が解剖台の上
 7番「白き訃」は鋭敏な感覚を活かした詩的な表現に惹かれた。
  おろおろと来て初蝶の白に染む
  ホチキスの針の食ひ込む寒の明け
  白を吐き白光り合ふ春蚕かな
  三月のあらすじ石鹸泡立てて
 詩的・抽象的ではありつつ、季語の働きがしっかりと感じられる。
 28番「春野にうとうと」は柔らかであかるい句風が印象的。背後にある人生経験の豊かさを感じさせる。
  春野にうとうと白雲にうとうと
  壊すまで追う男の子しゃぼん玉
  ふくらんでしぼむ朝顔手が痛い
 13番「遠景近景」は清新な風土詠として注目した。
  雪解風穴の獣はやつれたり
  森森深深津津さくらさくら
  鹿通れば穂波ほころぶ麦畑
 31番「藁塚」は社会的、哲学的な素材を扱いながらも、視線が優しい。古き良き抒情性を感じる。
  薄暑光アジアの長い痛みかな
  夕蛍ぽっと来てゐる初老かな
  流蛍やヘーゲルに逢ふ一人旅
  てのひらにいのちの仔細草の花
 最後に、公正で円滑な審査をするために、66編の作品をワープロで同一のテキストにして見やすくまとめて下さった堀之内編集人に心より感謝申し上げたい。

■堀之内 長一
 私の推した五作品は受賞に至らなかったが、いずれも現代の叙情を感じさせる充実した作品であった。「藁塚」や「むかししかし」も注目した作品であり最後まで迷っていたものなので、受賞にはまったく異存はない。「褌」は作者がわかって納得。ベテランの遊び心と思いが詰まっていて、楽しませていただいた。
 推薦作については座談会で触れているので、それ以外に惹かれつつ無念の思いで外した作品のいくつかを挙げる。まず52番の「標本室」〈陽炎や空気人形設計図〉。とてもユニークな自分の世界を持っている。それを表現する言葉の感性も。40番の「痼」〈ほたるぶくろ固唾を一時預けます〉。自虐的といいたいような正統的叙情の世界。もっとこなれたら、誰もまねできない境地に。24番の「蛇伏せり」〈芋虫のかたちにつつむいのちかな〉。ともかくも独特の心象世界。掲句はわかりやす過ぎて作者は不満かもしれないが、こういう句がひょこっと出てくるところをむしろ信頼したい。7番の「白き訃」〈三月のあらすじ石鹸泡立てて〉。安心して浸れる世界だが、30句になるとインパクトがないと言われそう。来年に期待したい。

■宮崎 斗士
 堀之内さんから届いた応募作の全てをまずは一読……66編全体としてのアベレージの高さに息を呑まされた。同じ俳句誌に所属しておられる方々、あえて俗っぽく言うなら同じ釜の飯を食ってきた俳句仲間たちの底力、俳
句作家としてのあらためての力量を思い知らされる。それからは、選考委員の一人として、66編とのまさに真剣勝負の毎日だった。
 66編を何回も精読の上、伊藤幸「サラダに薔薇」、榎本祐子「揚羽」、大池美木「接吻」、片岡秀樹「一掴みぶんの空」、北上正枝「貝寄風」、黍野恵「痼」、木村リュウジ「心音」、工藤篁子「夫の寝息」、黒岡洋子「少年」、黒済泰子「余花の雨」、小西瞬夏「白き訃」、清水恵子「郷愁」、すずき穂波「藁塚」、たけなか華那「真っ芯」、中野佑海「平成の軽き四季」、ナカムラ薫「容れる」、松本千花「俳諧自由」、宮川としを「残癌」、三好つや子「培養中」、望月士郎「むかししかし」、以上20編をまずは残した。さらに熟読、熟考の末、最終段階まで残ったのは、「揚羽」「心音」「余花の雨」「白き訃」「藁塚」「真っ芯」「残癌」「培養中」「むかししかし」の9編。さらに絞り込んだ結果、決定した一位から五位までの作品を、選考委員会にて挙げさせていただいた。
 私が一位と二位に推した作品が、(順位は逆になったが)受賞と奨励賞(次点)ということで、大変嬉しく思っている。と同時に、他の作品群のクオリティの高さを鑑みると、賞には付き物の「運不運」も合わせて感じざるを得ない。なお、「褌」30句については、選考委員会にてかなり辛辣な意見を述べてしまったが、この30句に溢れる、作者自身の金子先生への思いの深さには、むろん異を唱えるものではない。先生のリアルな息遣いが伝わってくる、という意味では出色の作品であろう。ただ、この賞の選考に当たっての私自身のスタンスとしては、立場上(あるいは責任上)、ああいった発言しかできなかった、ということを何とぞご理解ご斟酌いただけたらと思う。
 ともあれ、受賞作3編のカラーがそれぞれ全く違う――。このことは66編全体にも共通することである。かくもバラエティに富んだ作品群……この彩り、「海原」が多方面に声高に誇っていいことの一つかと思う。
 第一回にして、このクオリティ! 次回が今から楽しみである。海原金子兜太賞の今後ますますの発展、清栄を心から祈っております。

■柳生 正名
 応募66作、いずれも読み応えある第1回。何よりも師へのこれ以上ない供養になった。全1980作を墓前に謹んで捧げたい。植田郁一を強く推した。全句に「褌」を詠み込むという高いハードルを自ら設定しつつ、
  鮫来ない日は庭中に褌干す
  褌乾く蝶は蝶呼びもつれ合う
  褌九枚平和の証し白地に白
  肩で切ってるんぢゃない褌で風切る
と質の高い作をそろえた。1句目は「青鮫」へのオマージュだが、鮫の青と褌の白が早春の日差しの中で匂い合う。2句目、蝶の恋という生命賛歌が物干しの褌と縺れる。3句目「日の丸」を虚のイメージとして浮かび上がらせる政治性をも詩的に昇華し、4句目、兜太という存在者のありようを言い尽くした。「兜太賞」には兜太賛歌、などという安直な発想は毛頭ない。この30句には師を客観視し、読み方次第で突き放した視線を感じさせる作さえ含まれる。芸術的な批評性を保ちつつ、師という自らの産土に「接地」したまなざしが詩的な言葉の躍動を支えている。
 と言いつつ、筆者の中で「褌」と幾度か順位が入れ替わったのが望月士郎「むかししかし」。今の海原句の主流はこちら側だろう。
  桃は桃に触れて間にある鏡
 押せばすぐ痛む桃の肌の質感が息づく。
  手袋の牛の内側へと入る
 牛皮に手を差し入れる冷ややかで命の根に届く触覚はサルトルの「嘔吐」風。肉体に裏付けられた言葉の接地性で一歩抜けていた。
 本賞受賞作のすずき穂波「藁塚」。着実な文体で「海原」の今を代表する作風だが、個人的にはさらに一歩の詩的飛躍を期待したい。その力量の持ち主の作だと思うからである。
 三枝みずほ「晴れやかに」は
  ぶってしまいそうな手は水母にやる
の一句。育児の場を想わせる作が並ぶが、自分の内面の、ある意味で深くて暗い翳に注がれたまなざし――。それが言語化される過程のドラマが心を打つ。自身の真実に接地することは難しい。それを成し得たことを讃えたい。
 ナカムラ薫「容れる」。文語、口語交えた表現を30句の容器に盛り込んだ。文語的な
  夏野から風があつまりイエス来る
  扉開ければ銀漢の底なりき
などの地への足の着き方を好ましいと感じた。
 河田清峰「兜太日記」。
  人形のかしらを抜きて更衣
 全応募句中で第一に推したい句であった。

■山中 葛子
 待望の応募作品の66作品は、通常の「海原」作品よりも更に独自性のきわだつ力作揃いとなり、創作意欲の幅の広さに圧倒される選考となった。受賞の3作品については、個人的にも推薦候補の8作品であり、選考会での熱気のこもる評価を経ての受賞を心より祝したい。
 一位の「藁塚」すずき穂波は、〈薄暑光アジアの長い痛みかな〉など、現代社会をとりまく見えないものが見えてくる私性を定着させたみごとさ。奨励賞の「むかししかし」望月士郎は、〈如月の力を入れてそっと持つ〉の、やや抽象的な第一句からはじまる、想像力をさそう心情のドラマ性。特別賞の「褌」植田郁一は、〈夜干し褌狼が嗅ぐ蛍が嗅ぐ〉など、戯曲化を思う追悼句のみごとさ。丸裸ではない人間の知的野生を描きだした、やや手慣れた感じこそが読者を誘うあっぱれの特別賞であろう。
 さて、私の推薦した一位「震災八年」の赤崎ゆういち作品は、題名がそのままという現実。いわゆる震災俳句は、すでに印象鮮明な作品がたくさん生まれている。それに比べると本作品は何とも地味で、時間が止まってしまった歯がゆさがじわっと伝達されてくる。しかしながら、むしろ滋味の深い味わいが心を離れず、手堅く最後まで残った。兜太の〈津波のあとに老女生きてあり死なぬ〉の句が乗り移ってくるようなのだ。〈落とし文八年前のみちのくより〉〈ゲリラ雨狂気と成れる蟻の列〉〈究極の省エネなまけものの威嚇〉の、まさに災害の時代を生き続けるご飯のような存在感と言えよう。
 二位の「真っ芯」たけなか華那の作品は、方言も幼児語もまじる言語感覚のういういしさ。発語感をどこまで成熟させるのか、させないのか。〈正直で馬鹿で棒っこに刺さる五月晴〉〈散り散り往くシャボン玉は風の頸〉〈蝶の名と蝶々結びを教える仕事〉の、一行詩としての新鮮さ。三位の「褌」は先に述べたとおり。
 四位の「接吻」大池美木の作品は、肉体が詩であるすばらしさ。〈クリムトの接吻春風をください〉の第一句の導入句と〈殺すなら優しくたのむ草の絮〉の最終句の結句による私小説のごとき表現力。古くて新しい人情感が伝承されている。五位の「春と海と汽笛」平田薫の作品は、人をやさしくしてくれる即興の気合の魅力。〈クリスマスローズうねうねぶんと翔べ〉〈むらさきさきごけここからはひとり〉の、カタカナ、ひらがな表記を徹底的に追求した、風景となりきるまでの感覚の映像化。
 ほかに「残癌」、宮川としを作品の、俳句と生きる哀歓のみごとさ。

以上

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